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「デモのメディア論」 伊藤昌亮

筑摩選書  筑摩書房

メディアはメッセージである、のデモ版か。デモのメッセージたる反原発、反格差等々ではなく、そのデモが出てきた(一つのデモは大きく計画、動員、発信の三つに分けられる)方法、ツールなどから分析する、デモが日常化した今日の源泉を探る。

SNSを使用したデモの始まりは

ベラルーシ→モルドヴァ→イラン→アラブの春→スペイン→アメリカ


と伝わって行くが、その前段階ではフィリピンも。イランまでは今あるツィッターとかフェイスブックとかではなく旧東欧圏で使われていたツール。エジプトまでの段階では主に計画と発信でSNSが使われ、動員ではほとんど成果をあげていない。普及率はおろか識字率もこれらの国では低い。一方デモの運営方法もミシェロヴィッチへのデモでのセルビア辺りからノウハウが次の地域へと直に伝えてきたみたい。

 つまりデモの参加者は、自らが参画している集合的企画を実現するためにこそデモの場に参加するようになる。また自分が関与している集合的表現を実践するためにこそデモの場に参加するようになる。その結果、デモに参加するという行為の位置づけそのものもまた大きく変化するようになる。目的志向型の行為から自己目的的な行為へと、つまり何らかの目的のために「動員される」という行為から、一つの集合行為を成り立たせることそれ自体を目的として「参加する」という行為へとその重心が移動した。
(p107〜108)


(2018 10/24)

ハロウィン終わって…
「デモのメディア論」を先月末に読み終えた。

  希薄化し、不確かなものになってしまった社会の中にしっかりと実在しているという意識を彼らは持つことができない…(中略)…その結果、そこから疎外されるかたちになってしまった彼らはいわば社会の外側に立ち、自分たちなりの社会をその場に新しく創り出そうとする。そこに立ち上げられるものこそがサウンドデモ型、お祭り型のデモであり、「社会を創り出す運動」である。
(p202)
  デモが終わると人々は再び日常生活のあちこちに散っていく。そして再び水面下に潜伏して「意味の実験工房」に入り浸り、デモの場で示し合った新たな「意味」の生成と精錬の作業を続ける。
(p240)


そしてネットで繋がり、再びデモを発信する。これが一連のサイクルだという。デモの場「抗議する運動」の上部構造の氷山の一角の下で、下部構造「関係する運動」がネットワーキングを中心に地道に新しい社会を作っていく。
「抗議する運動」は1970年代くらいまで、「関係する運動」はその限界を乗り越えるために1980年代くらいから行われてきた。しかしそこにも限界があり、現在はこの二つを組み合わせてサイクル運動している。という見立て。

しかし、この二つの要素の組み合わせは、時に、というか多くの場合というか、「攻撃する運動」と「憎悪する運動」の組み合わせに変容しかねない、ともいう。

   それはむしろその本質として、これら二つの面、二つの態の間を絶えず不安定に揺れ動く両義的な行動であると捉えられるべきではないだろうか。
(p263)


追記
社会を創り出す運動(特にスペインの運動)は、国家・経済が頼りにならなくなってきてからの自衛策。ということは、西欧圏でも発展途上国のインフォーマル経済化しつつある、ということか。
(セネガルの事例など参照)
それと、読み終わった時期にはちょうど、渋谷スクランブル交差点でのハロウィンお祭り騒ぎがあった。報道されるのは「攻撃する運動」の目立つ場面の繰り返しだけなのだが、実際はどうなのだろう。報道でも参加者が終了後ゴミ拾いしている映像があったけれど。
こういう現社会の素描は、見る側の立ち位置によって大きく変わるので、読み手も注意が必要。
(2018  11/03)

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