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「水車小屋攻撃他七篇」 エミール・ゾラ

朝比奈弘治 訳  岩波文庫  岩波書店

岩波文庫版ゾラ短編集よりまず2編


前に読んだ藤原書店版の初期短編集(宮下志朗訳)とはだぶりなし。
光文社古典新訳文庫でもゾラの短編集(國分俊宏訳)が出て、こちらとは2編(「シャーブル氏の貝」と「アンジュリーヌ」)がだぶり。
それからこの岩波文庫の方の長めの4編(「水車小屋攻撃」「シャーブル氏の貝」「ジャック・ダムール」「一夜の愛のために」)は、ツルゲーネフが依頼した「ヨーロッパ通報」の為に書かれたもの。だから長さもほぼ同じ、最初の読者はロシア語訳のロシア人になる。

さて、今日は冒頭の普仏戦争を題材とした2編。「水車小屋攻撃」と「小さな村」。作者の同情を一番ひいていると思われたのが実は改修に改修を重ねた水車小屋自身。ドミニクやフランソワーズよりももっと。それは何かのゾラが体現したかったエッセンスに違いない。それが掌編の形で現れているのが「小さな村」。
(2015 11/15)

エビとネクタイ


ゾラの短編集から「シャーブル氏の貝」昨夜半分強。
まあ、古典的な寝取られ男(フランス文学の古典的題材でもあるし、ゾラでは「テレーズ・ラカン」などがある)の話で、残りの筋もなんとなく想像つく感じ。ただ、さっき挙げたゾラの長編作品のような凄みはなく、ひたすらに明るい。というのも、この作品、ゾラ自身が、ブルターニュの半島の南西側のつけね、城壁と塩(塩田)で有名なゲランドとその近くの漁村にバカンスに行った先で書いている。作品の名を借りた?近況報告、旅先案内みたいなもの。ちなみにこの頃のゾラは「居酒屋」に取り組んでいた。それを一時中断して、このバカンスに出掛けたという。

というわけで、バカンス行く?
(2016 01/07)

昨夜、残りの「シャーブル氏の貝」を読んだ。解説で朝比奈氏はこの短編の主役は海なのでは、と書いているが、同感な感じ(笑)。放埒な、また人間が小さく感じるような虚無感を与える海。その海に巧く身を任せた若い二人に対し、ブルジョア的に、エビ捕りにまでネクタイをしていったシャーブル氏の姿が笑いを誘う。
(2016 01/08)

ジャック・ダムールとその後


ゾラの短編集から「周遊旅行」と「ジャック・ダムール」。前者はまあシニカルで微笑みを誘う掌編…この時代くらいからかな、ガイドブック持って歩くような旅行スタイルは。

後者は普仏戦争からパリ=コミューンの背景での、世界情勢から人間関係までありとあらゆるものに振り回され続けたジャック・ダムールの物語。前に挙げた歴史的事件、それから主人公もそれに合わせてフランスに帰ってきたコミューン関係者の大赦…名前だけは知っていても今まで馴染みがなかったのですが、こうやってある一家庭を見てみると突然立体感もって現れる。

ジャックが元妻に会いに来るところは前に書かれた「パリの胃袋」で、コミューン時代は後に「壊滅」で全面展開されるという。「パリの胃袋」での再会と、この「ジャック・ダムール」での再会は結末違うらしいので、またゾラを読むポイントが増えた。

結末と言えば、ゾラ自身はコミューン運動に対して批判的だった(それはこの作品読めばすぐ気づく)というけれど、その割には主人公やもっとゾラが軽蔑してそうな煽動家のベリュの二人が、なんだか束の間の居場所を得るのが意外。それを提供する娘ルイーズと元妻フェリシーのアレコレもぼやかしたまま終わるし。もっとも、田舎のご隠居さんみたいな毒抜きされたようなこじんまりした世界自体に皮肉もこめられているような…
とにかく最後の章はなんだかとってつけたような感は残って不思議…
(2016 01/12)

「一夜の愛のために」


この作品はいい意味でタイトルに裏切られる。前半までの内省的なゆっくりした進み方から、後半のゴシックロマン的な、死体を恋人の家から運び出すという展開へと切り替わる。この筋自体はゾラはカサノヴァの「回想録」から構想を得たと書いている。相手のテレーズの「遺伝・血」に関してはゾラの得意分野?だし、テレーズとコロンベルの性的関係・描写は「テレーズ・ラカン」(こちらもテレーズ(笑))や「獲物の分け前」や「ナナ」・・・とこちらも得意分野。 
(2016 01/15)

「ある農夫の死」から

 老いた馬は力が尽きると物陰でひっそりと倒れ、人々もそのまま死なせておくが、彼もそんな老馬のようなものだ。
(p300)


いろいろな職業の人の死についての連作短篇の最後を飾るのがこの作品。この短篇以外のものはゾラの皮肉がきいているらしいが、この作品だけは厳粛なタッチ。
(2016 01/16)

「アンジュリーヌ」


「ゾラ短篇集」から最後の「アンジュリーヌ」。この作品のみドレフュス事件の影響で英国に亡命していた頃の作品。ゾラはロンドンで聞いた話を元にこの作品を書き上げたが、作品上の舞台はフランスになっている。 
さすがにお得意の怪談もの?で、同じ事件を三通りの展開で聞かせるなど、構成的にも面白い。最後は謎と恐怖を極限まで引っ張って、落ちの謎ときと(この時期のゾラらしい)明るい終わり方・・・
老詩人のV・・・とか、画家のB・・・とか、モデルはいるのかな? 

 叫び声が聞こえてくるのは、彼女にとっての再生がまだなされていないからです。しかしやがて生はよみがえるでしょう。信じてください。すべてはふたたび始まるのです。失われてしまうものは何もありません。 
(p321~322)


と老詩人のV・・・は語るが、死んだ少女アンジュリーヌの生まれ変わりがこの屋敷に引っ越してきた画家B・・・の娘だという仕掛け・・・ 

・・・とにかく、「ルーゴン=マッカール一族」シリーズ最終作の「パスカル博士」と同じ「生命」(ヴィ)という言葉で終わっているこの作品。晩年のゾラへのとっかかりとしても貴重な作品。 
(2016 01/17)

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