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「初期名作集 テレーズ・ラカン、引き立て役ほか」 エミール・ゾラ

宮下志朗 訳  ゾラ・セレクション  藤原書店

光文社古典新訳文庫で國分訳も有(オリヴィエ・ベカーユの死)


「コクヴィル村の酒盛り」

今日は一番興味のあった「コクヴィル村の酒盛り」を読む。訳者のせいもあり(?)なんだかラブレー的なお話は、ただただ笑って読み終えればいいものなのかな? ここがゾラの出発点で後にだんだん社会の現実を見通すようになっていったのか。
まあ、笑ってお酒に親しむ小佳品ということにしておこう。
この話と次の「オリヴィエ・ベカーユの死」は、ツルゲーネフの仲介でペテルブルクで発行されていた「ヨーロッパ通信」で発表された。のちにフランスでも発表されたのだが、「翻訳文学」に関しての言説がいろいろある現代から見るとかなり特殊な例に思える、のだが。
(2010 08/29)

広告の時代


今朝はゾラ短編から4編。広告・商業の弊害?を描いた2編、「テレーズ・ラカン」の元ネタそれから辻馬車を絡めた超?短編。

ゾラ自身は自分でも広告書いていたこともあり、かなり広告に対して愛憎両面を持っていたらしい。「引き立て役」の方はどっちの立場でもなくのらりくらりだが、「広告の犠牲者」になるとかなり辛辣…寓話に近い仕上がりになる。
ちょうどこの頃から、現代資本主義社会の原型(って、この字でよい?)が出揃ってきた頃ではないか、その一番最初を嗅ぎ付けたのがボードレールで、そのあとで綿密に長編小説に書き付けたのがゾラではないか、という気が最近している。バルザックやフロベールとの比較は、この訳者でもある宮下氏が「書物の首都パリ」や(以前自分も読んだ)「書物史のために」に書かれている。
その訳ですが、かなり「現代現代」してて(例えば「リクルート大作戦」)、楽しい反面これでいいのかな?という気にもさせる仕上がり。まあ、作品自体がスケッチ風の軽い作品なので、こんな感じでいいのかな。

我輩はフランスの猫である…

その後2編、計6編を今日読んだ。「猫たちの天国」は漱石も読んだ? ぶたれても血のしたたる肉がある家がいい…自由と隷属、ゾラはどっち?
「オリヴィエ・ベカーユの死」はなんだかピランデルロの「生きていたパスカル」を思い出させるような作品。ちとうとうとしながら読んでしまったのであんまりちゃんとは見ていないのだが、死の経過的描写と考察が結局この小説のメイン?

「猫たちの天国」と「オリヴィエ・ベカーユの死」についてもう少し。

「猫たちの天国」は野良猫の「自由」に憧れる飼い猫の語り。「自由」か「隷属」か?というところですが、結局「隷属」に戻ってきた猫の言葉「ぶたれるのと、血のしたたる肉があればいいのだ」はかなりセクシャルな臭い(「ナナ」とか)がする。
「オリヴィエ・ベカーユの死」は、生きたまま…というか精神はっきりした状態で死んだというか…男が墓にまで埋められそこから出てくる話。前に読んだピランデルロの「生きていたパスカル」との共通点もあるが、あちらが生き返った?あとに重点がおかれているのに対し、こちら(ゾラ)は埋められるところまでに重点あるような気がしている。
(2010 09/07)

ゾラとセーヌ川


今週はゾラの「テレーズ・ラカン」を読んでいる。
ちょっと思うのは、なんだか農民の血とかアフリカの血とか、身分・血等の(言ってみれば)ステレオタイプに依存しすぎているかな?というところ。まあ、そういうものを重視し始めたのが19世紀という時代なのかな、と思う。
一方、前半のクライマックス、セーヌ川ボート上での殺人の場面では、その直前のセーヌ川の描写がかなりの読み応え。具体から抽象へと。そいえば、「獲物の分け前」でも、セーヌ川の中の島の家からの川の描写は印象深かった…「川の作家」かもしれない。
(2010 09/10)

タナトスと性欲の関係


この一見フロイトっぽいタイトルは、実は今読んでいる「テレーズ・ラカン」に出てくるもの。友人の妻を横取りしたいがために友人を殺したロランは、それが為に性欲が失せてしまう。死に対する様々な欲求と、性の欲求は実は根は同じなのかもしれない。近代になって死も性もある一定範囲内に隔離されてしまうとますます…今、世の中で起きている陰惨な事件も、少しはそういったことが原因なのかも。

そのあとの展開で、1時間に10回も同じ悪夢を見るとか、まだそこまで読んでないけど飼い猫が友人の亡霊に見えるとか…こういう無意識情念の描写が多く見られる。

 殺人は、抱擁をも、吐き気をもよおす、うんざりさせるものにさせるほどの、熱烈なる快楽と思われたのだ。
(p111)


(2010 09/11)

生き埋め体験


昨日の「テレーズ・ラカン」の分。なんだか、ちょこちょこ出てきた生き埋めのテーマがどっさり(笑)。ゾラにとって「生き埋め」は得意?のネタだったよう。テレーズが店番をしながら店ごと埋もれていると思ったり、「オリヴィエ・ベカーユの死」みたいに生きながら埋葬されていると感じたり…ゾラには、この後、まるで今のチリの鉱山事故のようなことを扱った小説もあるという(未読)。

話は変わるが、ラカン夫人(殺されたカミーユの母)に対するロランとテレーズの対応…というか利用法というか…が残酷過ぎるほどリアル。これ読んで、「ゾラは実際に殺人をしたから、こんな小説が書くことができたに違いない」と思った人が(当時は)いたに違いない。
(2010 09/14)

気質とは何か


「テレーズ・ラカン」解説も含めて読み終わった。ゾラにとってはこの小説は多血質と神経質の交わりを観察する為に書いた…ということなのだが、いがみあっていても離れられないという宿命はそこから生まれるのだろうか?

普段別々にいる時はなんでもないふつーの登場人物が、組み合わさることによってこんなんまでなってしまう。ラカン夫人は被害者モードで描かれているが、息子カミーユを溺愛しそもそもの原因を作り、また家族の中で一番最後まで生きているのだから、全てこの人の掌で起こっていた…とも言える。

解説にはマネのオランピアとの相似について書いてあったけど、確かにまなざしは似ているかもしれない。
(2010 09/16)

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