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「ポオ小説全集Ⅲ」 エドガー・アラン・ポオ

田中西二郎 訳  創元推理文庫  東京創元社

阿佐ヶ谷銀星舎で購入。短編タイトルはこの文庫のものではないのもある。


「落穴と振子」


ポーの「落穴と振子」を読んだ。19世紀に書かれたというのが信じられないくらい、現代的というか、超時代的というか・・・一昔あった映画の「CUBE」みたいな感じ?
スペイン最後の宗教裁判所がフランス軍(ナポレオン軍)によって解放された・・・時代を舞台にしているのだけど・・
振子が「時」の具体化であることは容易にわかるのだけれど・・・落穴は? さて?
(「ポオ」か「ポー」かは不問(笑))
(2011 01/20)

ポーとデモクリトスとパルメニデス(「妖精の島」)


人間の頭の中の小さな虫が人間について認識しているように?、人間ももっと大きな宇宙という球体の一部だ…と幻想する一編。完全なる球体というイメージはパルメニデスに通じそうだが、別の作品、例の「メールストロムの旋渦」の序文にデモクリトスの井戸(アトムが飛ぶ空虚を例えて言う)のことが出ていた。やはり、ヘラクレイトス→パルメニデス→デモクリトスは通じてる?
(2011 04/14)

悪魔に首を持って行かれた男の話と週に3日の日曜日

今日は短いものを2編。
前者は、悪魔物語に形だけ借りた批評というかエッセーみたいなものかな?とも感じた。ポーが酷評した詩人の文体とか、「極端は極端を呼ぶ」とか。それを感じたのは、一つには解説にあった批評家ポーのイメージがあったため。
後者はまあ、80日間世界一周みたいなタネで結婚の許しをもらった、というもの。でも、15世紀フランスに行けば何もしなくても大丈夫だったかも?(「本の都市リヨン」参照)
(2011 04/22)

ポーと観察(「モルグ街の殺人」、「メールストロムの旋渦」)


ポー短編集3から今日は冒頭の有名な2編。
なんか異常なテンションの2作ですが、共通するのは「観察」の重要性。殺人事件の捜査は勿論のこと、大渦から逃れる為に、というか諦めかけた時に魂に平穏と好奇心が生まれ、そこから脱出方法を見つける…というところにポーにとっての観察の特権的あり方を感じさせる。
(「メールストロムの旋渦」…これ訳によってタイトルいろいろ変わり過ぎ(笑))
(2011 04/25)

新聞記事の作られ方

ポー短編集3は3作品…といっても、最初の2つがすぐ終わる小品なのに対し、その次のは中編といってもいいくらい…その作品(まだ読み途中)はこないだのモルグ街の殺人の続編とあるけど、探偵同じの別の話。それもメインテーマは事件でも謎解きでもなく、その事件を扱った様々な新聞記事への批判…らしい。新聞記事なるものがどのように造られていくかかなり執拗に描かれていく。
前の2作品は中世のゴシックと近代のゴシック(ここではゴシックという言葉を怪奇趣味かつ時代精神に忠実な…くらいの意味で使っている)。
(タイトル書いてないからどの作品かわからない(笑))
(2011 04/26)

ポーを多量服用…


今週はずっとポー短編集3を読んでいるのだが、やっと残り散文の位置(1/3)くらい。ポーの幻想文学ばかり読んでいると、正常な世の中に戻ってこれなくなる…というわけではないだろうが(笑)、かなり疲れる??(うまく言えないけど)のでなんかで中和させたいんだけど、合わせて持っているのが超解読へーゲルだからなあ(笑)。
ちなみに今日読んだ中では、「鋸山奇談」が一番よかった。といっても千葉県の話ではない(笑)
(コルタサルとかパヴィッチとかほかいろいろとか、とにかく夢みている人は、どこか時空を隔てた人の生を生きている、みたいな発想の元祖??)
(2011 04/27)

名前の輪舞(「眼鏡」)


ポー短編集3を続けて、今日は「眼鏡」。視力の悪い若者が遠くにいた婆さんに一目惚れするという話だが(冒頭部分も慈愛精神?…こういう過去の小説に書かれ固定された科学理論の研究というのも面白そう)、も一つこの短編には主人公そして相手の老婆(結局主人公の曾曾祖母であった)の一族の姓がモワッサールとかフロワッサールとかいう名前の連続になっているという伏線がある。で、なんと主人公の名前(姓以外)がナポレオン・ボナパルトというすごいというかケッタイな名前。
最後、老婆に渡された眼鏡で、相手が82歳であったことに気づき呆然とする主人公を横目に、老婆は4代続く「ッサール」系の姓を連呼しながらファンダンゴや鳩の翼(っていうヘンリー・ジェイムズの長編あったけど、関係ある?)を踊る。ここら辺、ユーモラスな他に何か重要な含みがあると思うのだが…なんだろうなあ?
(2011 04/28)

ポーとへーゲル…


昨日で超解読へーゲルを読み終えたので、棚上げしていたポー短編集3に戻る。あと3編なのでもう少し…
というわけで、標題のこの2人。同時代人ではない?けれど、なんとなく共通項もあるかも。というのは、精神とその運動性について。
へーゲルがヘラクレイトスであるならば、ポーはデモクリトス? そういう意味ではポーと対比すべきはマルクス?
と、思ったのは催眠術にかかった男との対話を読んだから。どこまでポーの時代に「真実」と思われていたのかはまださっぱりわからないが…
あと、1編。
(2011 05/09)

ポーの読みどころ(「早すぎた埋葬」)


今日でポー短編集3を読み終えた。最後の「早すぎた埋葬」は、こういう主題が19世紀には流行っていたのだろうか(例えばゾラの短編とか)?生きながらに埋葬される…という話集。深刻な書き方が最後の語り手自身の話で明るく転じるところがなかなか。原因と結果の転倒はフロイトを先取りしている?
解説では「強烈なポーの自己意識を超えたところに現れるもの」が読みどころとされている。自分の雑誌を持つ為に奔走し、あらゆる原稿を書き続けた。また、自分の短編の効果は全て計算されている、と語ったポー。でもそこから何かが忍びよっている…と、そんな感じ。
(2011 05/10)

(「鳩の翼」調べたけれど何も手がかり無し・・・読み間違えたか?)

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