見出し画像

「ガルシア=マルケス「東欧」を行く」 ガブリエル・ガルシア=マルケス

木村榮一 訳  ガルシア=マルケス全小説  新潮社

《鉄のカーテン》とは赤と白のペンキを塗った木の柵である


若き(30代始め、1950年代後半)ガルシア=マルケスが東欧を訪れた時のルポ。
最初の章は東ドイツ、ベルリン。フランス人女性(インドシナ出身)とイタリア人男性とマルケスの三人旅。フランス車をこのイタリア人が買ったというので「よし、鉄のカーテンの向こう側に行ってみよう」ということになったらしい。

  私はそれまで、朝食をとるという、日常生活の中でもっとも単純な行為をしているだけなのに、あれほど悲しげな顔をした人たちを見た覚えがなかった。
(p20)


これをスタートの印象として、ここからどう変わっていくか(あるいは変わらないのか)みてみよう。
…と書いてみたものの?解説見るとイタリア人男性というのはマルケスの対談集「グアバの香り」での相手であるメンドーサ、インドシナ出身のフランス人女性というのはメンドーサの妹のようだ。

 そうした背景には、人間的な感受性の欠如があると思う。大衆を重視するあまり、個人そのものに目を向けようとしないのだ。
(p47)


この後マルケスのルポは東ドイツに駐留するロシア兵へと進む。ロシア兵を「人間的」に見ようとする態度がそこにはある。
チェコスロバキア(ここから先はまた別の旅)編からはこんな文章を。

 これまでプラハは消化しようのない影響を外から受け入れてきたが、太りすぎることも、胃潰瘍になることもなかった。過去を大切に保存しつつ、よく考えた上で現在と手を握ることによって、その中間に身を置いている。
(p65)


雪解け以降プラハの春事件以前という社会主義時代のチェコスロバキアにとって一番いい時期の描写。でもメンドーサとマルケスは女性のストッキングに西欧との違いを見つける。
(2019  04/15)

ポーランド行ったら本屋に行こう


マルケス東欧の旅はポーランド編。物資が足りなくても本は多く(でも何故かジャック・ロンドンばかり)、土曜日には社会主義の細胞(末端)組織の会合に行き、日曜日は教会へミサに参加に行く。ガルシア=マルケスにとってかなり不可思議なこの状態。ポーランドはソ連は嫌いで西側に向いているが、それは昔のようにフランスの文化影響圏に入りたいだけなのだ、と。

 ポーランド人はいったい何を求めているのだろう?  彼らは屈折していて、扱いにくく、女性のように疑ぐり深い上に、頭のいいところを見せたがる。今置かれている状況は、彼らの生き方の相似形である。
(p92ー93)


(2019  04/22)

それでも、地球は丸い


「ガルシア=マルケス東欧を行く」は半分くらい経過。ソ連領内に入ってゆく。

  地方特有の貧しさが漂うひなびた光景を目にして、時差にして十時間ほど離れたところにあるコロンビアの田舎町を思い出した。世界はわれわれが思っている以上に丸く、ボゴタから東へわずか一万五千キロ旅するだけで、トリーマにあるのと同じような町にたどり着くのである。
(p109)


トリーマというのはコロンビアの田舎町。
…全世界中に無数無限のトリーマがあるのかも。
(2019  04/23)

ソ連のスペイン人


ガルシア=マルケスの東欧旅行記中ほどのソ連編。スペインではフランコの独裁を嫌うスペイン人が、たくさんモスクワにいてスペイン語を話していた。一回スペインに戻っても、またソ連に戻ってくる人もいたらしい。

モスクワが人口700万人の大きな村で、建物もなにもかも巨大化させている…というのは、マルケスの見立て。あと、モスクワに着く直前の描写はなんとなく宮脇俊三氏の「シベリア鉄道」を思い出させるような感じがしたので、引用してみたいなあと。

 どこから市街地がはじまるのか見当もつかない。いつの間にか木々が姿を消し、緑一色に覆われていた風景が空想世界の記憶だったような気がしはじめた。列車は絶え間なく咆哮を上げながら、高圧電線と信号機、大惨事の予兆で震える不気味な防壁が迷路のように入り組んでいる中へ突入していく。その時人は、故郷から遠く離れた土地へ来たものだと実感する。続いて死のような静寂が訪れる。
(p118)


(2019  04/25)

ハンガリー動乱を追って

ソ連とハンガリー動乱1年後のハンガリーへ潜入した章でこの本無理やり旅行前に終了。
ハンガリーは何かの視察団で西側で動乱後初めてハンガリーを訪れた時の記録。このままではお仕着せのものを見せられて終わると感じたマルケスは警備を抜けて外に出ることに成功し、トイレの落書きにハンガリー庶民の本音を見る。
(2019  04/27)

作者・著者ページ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?