見出し画像

「欺かれた女」 トーマス・マン

高橋義孝 訳  新潮文庫  新潮社

駒場東大前の河野書店。店先のたぶん絶版になっているだろう文庫の100円均一にびっくり。中に入れば場所柄か濃密な専門書空間が広がる。ここでマン(弟)の「欺かれた女」、戦間期のブルガリア農村調査記録、ラス・カサス伝を購入。
(2009 01/24)

トーマス・マンの「欺かれた女」…更年期になりつつある未亡人が、病気の出血を月のものの再現だと思い込んで、アメリカ人の若者に恋してしまう…という話。まあ、まだ出血の場面まで読み進めていないのでその辺はなんともいえないが、この小説コレットの「シェリ」に似ているなあ、と思った。アメリカ人の若者のふわふわした立場がコレットのシェリににているなあ、と感じたところから始まったのだが、「フェリークス・クルス」でも、コレットらしき人物が登場し「シェリ」を構想する、という場面があったので、マンのコレットへのこだわりはただものではないのだろうか。
あんまり言われていないことかもしれないが、トーマス・マンって世俗描写が巧いところあると思う。ジョイス・プルースト・マンとそれぞれ別の方法で世俗描写を得意としていた…というのが20世紀前半の文学状況だったのだな…と感じた。

つい先程、トーマス・マンの「欺かれた女」を読み終えた。新潮文庫で120ページほど。高橋義孝訳。
前はコレットと絡めて書いたけど、今回はまずシェリ?ことケンのアメリカ性について。この作品がマン自身のアメリカ亡命生活後に書かれていることもあり、アメリカに対する批判的眼差しが見える。それは単にケンの言動(アメリカには歴史がない・・・)や、アメリカ人ケンが旧きよき?ヨーロッパ夫人ロザーリエを滅びした・・・とかいう物語表層のことにとどまらず、もっと深いものがあると思う。それは何かと訪ねられたら、まだ答えられないのだが・・・ジェームズの「テイジー・ミラー」などと比較するといいのかも? 

続いては、この小説の語りやロザーリエの語りが原文では擬古調になっているらしいということ。これはこの話が「神話的」要するにいつの時代でも起こりえること、考えてみる価値のあること、とマンが考えていることから来ているのだろう。「選ばれし人」辺りで一番如実になっているこうした、言ってみれば「時代小説」的な、また皮肉な老いた詐欺師的語り手マンはこの小説でも健在。「ブッテンブローク」で自分の家を、『魔の山」で第一次世界大戦下のドイツを描いたマンは、「ワイマルのロッテ」辺りを転換点としてこうした「時代小説」語り手化していく・・・。
なかなかうまくまとまらない読後感であるが、とりあえず今日のところはここまで。
(2009 09/05)

作者・著者ページ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?