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「薔薇とハナムグリ」 アルベルト・モラヴィア

関口英子 訳  光文社古典新訳文庫


「薔薇とハナムグリ シュルレアリスム・風刺短篇集」アルベルト・モラヴィア 関口英子訳

主にファシズム政権下で書かれたモラヴィアの「シュルレアリスム・風刺短篇集」全54編から15編をチョイス。
「パパーロ」と「清麗閣」は国書刊行会の「現代イタリア幻想短篇集」にも収められている(後者は「壮麗館」となっている)。

「部屋に生えた木」、「怠け者の夢」、「薔薇とハナムグリ」

冒頭の「部屋に生えた木」を読んでみる。全くタイトル通りな話で、主人公夫婦の好みの違いがどうとか、それを取り巻く友人達ひいては社会がどうとか、それもあるのだろうけど、とにかく成長する木の描写に圧倒される短編。何か他を言わせぬ圧倒的な視覚的イメージというのをモラヴィアは追求していたのかもしれない。
(2017 07/23)

帰宅して骨休みとしてモラヴィア短編集を。
2、3編めの「怠け者の夢」とこの光文社古典新訳文庫の短編集の表題作にもなっている「薔薇とハナムグリ」。
「怠け者…」は自分と似てるなあと思う反面、そんな夢うつつで仕事できたらいいなあと思ったり。
「薔薇とハナムグリ」は欲棒を性欲と絡めてみるのと、少数派・異端者の眼差しというのがいかにもモラヴィアらしいなと思ったり。

「パパーロ」、「清麗閣」、「夢に生きる島」


「薔薇とハナムグリ」あれから6編めの「夢に生きる島」まで読んだ。

「パパーロ」と「清麗閣」は前にも書いた通り「現代イタリア幻想短篇集」にも訳されていたもの。
「パパーロ」は以前読んだ時との間に、まがりなりにも?投資信託など購入してよりなんか投資とかの話が身近になったのと、なんだ最初にパパーロについての保管場所についての説明があったのに聞いてなかっただけじゃないかと思ったのと、それから最後に全く救いがないなあ、日本人作家ならちょっとは何か救いを入れたのではとも思ったり。

「清麗閣」はそれ以上に徹底的な救いのない惨事・・・なんだけど、なんか楽しくもある・・・のは視点である新婦の母親だけに限らないかも。この母親の視点にすっと寄り添うことで、結婚式自体の進行がぼやけてきて非日常の幻想の進行に目がいくようになる仕掛け(でいいの?)。

「夢に生きる島」また夢の話だけど、今度は怠惰なモラトリアム中年?ではなく、世界が夢を見ているような、この話に限らず、この短編集は主にファシズム政権下で別名義で書かれており、いろんな手段を用いてそれを批判しようというモラヴィアの戦略がうかがえる。

 この怪物の暴政にも抗わず、そこから生じる艱難辛苦をすべて甘んじて受け、原因を究明しようとも、対策を講じようともしないのだ。
 こうして、クルウーウルルルが老いさらばえるのを待ちながら、島はいまもなお夢から夢へとめぐり、悪夢から悪夢へと翻弄され続けている。
(p99)


そして世界は今もなお・・・
この巨大モグラと王の娘の交わりから生まれたというクルウーウルルルなる怪物の夢が島民を翻弄するのだが、「夢」と「悪夢にうなされている状態」という区別が目を引く。前者はある特定の行動、後者は特定の精神状態が島民にもたらされる、というのだが、この区別、モラヴィア文学を解くキーワードにはなっていないだろうか。とちょっと考えてみる。
(2018  01/03)

「ワニ」、「疫病」、「いまわのきわ」、「ショーウィンドウのなかの幸せ」、「二つの宝」


一昨日夜から昨夜にかけて「ワニ」「疫病」を。今日はその続きの3編、「いまわのきわ」、「ショーウィンドウのなかの幸せ」、「二つの宝」。 

 見慣れた日常の光景のなかに、シュールな要素を潜ませ、その双方をひたすら写実的に描くことにより、私たちが当たり前のこととして見過ごしてしまいがちな光景に、じつは計り知れない矛盾や恐ろしさが含まれていることに気づかせてくれる。 
(p295) 


これは訳者あとがきからだが、「ワニ」はこれにぴたりと当てはまる。この作品は二人の夫人についての批判というより、単にそういういつでもどこでもありそうなシチュエーションを土台にシュールな筋書きを堪能する作品だと思う。
「疫病」は、短編集の標題として初めてまとめられた時の標題作…だからか、この短編集の中では一番長め。なんか、キュブラー・ロスの死にいく段階とか、フェスティンガーの認知的不協和とか、関連つけられそう。 

「いまわのきわ」は、とある批評家のいまわのきわに駆けつけた語り手が、その「模範的」な批評家の嫉妬に満ちた告白を聞く、そうして語り手はp167辺りでこの事態を考えてみるのだが・・・第3の考えのところが自分としては興味深く。
「ショーウィンドウ…」では、ここでの「幸せ」と、前述の「パパーロ」を入れ替えてみるとどうかな、と呼応関係考えてみたり。
「二つの宝」はシュールというよりミステリーに成長したら楽しみだなあと思ったり。 
(2018 01/05)

モラヴィア短編集読み終わって解説から


まず堤康徳氏の解説から…

  モラヴィアもまた徹底した「視る人」であった。子供のような好奇心をもって性の神秘をのぞく、その同じまなざしで、地球の未来と文明の行く末を見つめようとしていたように思われる。
(p252)


続いて関口氏の訳者あとがきから。

 外側がすべて透明なガラスでできていて、動いているメカニズムがそっくり見える時計のように、現実の持つあらゆる複雑さを残しつつ、可能な限りもっとも明快な表現のなかにそれを活かすことが理想だという
(p294~295  「モラヴィア自伝」からの要約)


ドストエフスキー、スタンダール、ボッカチオを文学的に尊敬し、行動(政治的、アフリカをはじめとした世界旅行など)を第一とするモラヴィア。それは彼が子供の頃から青年時までに病気で身体が不自由だったことの裏返しなのだろう。きっと。
短編はこの短編集の後ろの方になるにしたがって、誇張が激しくなって、現在から見ればそこまでしなくても的な気もするが、戦中、戦後はそれが要ったのだろう。
(2018  01/07)

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