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「二つの伝説」 ヨゼフ・シュクヴォレツキー

石川達夫・平野清美 訳  東欧の想像力  松籟社

クンデラ、フラバルと並ぶ20世紀後半のチェコ作家。プラハの春の後、フラバルはずっとチェコに留まり、クンデラは母国を離れフランス語で書き、そしてシュクヴォレツキーはトロントに亡命したが、そこで「68年出版」という出版社を設立。自身やフラバル、クンデラなどの代表作も含まれる。ビロード革命後もカナダ在住し、作家養成大学というのをプラハに設立したりしている。

他の短編集(東欧系の本以外にも、柴田元幸氏編の超短編集とか、早川書房若島正編の「異色作家短編集」とか…に、短編いくつか訳されているみたい。「ノックス氏に捧げる10の犯罪」というのがこれまた短編集でシュクヴォレツキー単独?共作?であるみたい。

 批評家たちは、私のチェコの同僚の作家たちの著作の中にも、私自身の本の中にも見いだされる、悲劇と喜劇の混合に、しばしば当惑する。私たちは、何か特殊な効果を狙ってわざとそうしているわけではない。私たちが若かった頃の中欧では、ただただ、人生がそういう姿をしていただけなのだ。私たちにはどうしようもない。
(p217 「どのように私はドイツ語と英語を学んだか」から)


作品は「レッド・ミュージック」(エッセイ)、「エメケの伝説」、「バスサクソフォン」(中編小説)。いずれもシュクヴォレツキーが好きなジャズにまつわる作品。クンデラにも、ヴィトゥスの青年時代にも通じるような。
(2019  09/16)

「エメケの伝説」から

 自由は、我々の生において確かに最高の意味ではあるが、しかし我々にとっての必然性を理解する知恵なくしては達成できないものだ。自由は、我々に唯一不可欠なものであり、そうでなければ我々が人間である限り発狂してしまうだろう。
(p114ー115)

 我々の母であり、我々の救いであり、我々の堕落である冷淡さが。
 こうして物語が、伝説が生まれるが、誰もそれを語らない。それでも、どこかに誰かが生きていて、午後は暑くて空虚で、そして人は老い、見捨てられ、死んでいく。残るのは、板と名前だけだ。
(p118)


大仰な語りで些細と思わせる出来事を詩的に語る。シュクヴォレツキーの読みどころはそこかな。
(2019  09/23)

「バスサクソフォン」あと10ページほど…
戦時中のドイツ人元サーカス回りの不具のバンドと、著者自身を反映しているかのようなチェコ青年とが一夜共演する…読みが進んで盛り上がって?きて、読み終えられるかと思ったのだけど…
(2019  09/24)

「二つの伝説」を通読してみて


これ元々は別々に発表した短編を、1980年代にこの形でまとめたもの。だから、読み終わったこと踏まえて全体的に考えてみる。
「バスサクソフォン」の

  (大きな歴史的エポックは、往々にして短命に終わる。その偉大さは、思い出と名声のなかでより生き長らえるかのように思える)
(p192)

 ただ血の痕、ひたすらに哀しい、もがきあげくバスサクソフォンの雄たけび、私たちの孤独の殻に固く閉じ込められた、死ぬほどの痛みがあるだけなのだ。ただ少なくともあの男は叫ぶことができた。ヨーロッパのとある暗いホールを揺るがすことができた。ほかの者たちはなすすべもなく、ただ魂の落とし戸、世界の落とし戸から、名もなき奈落の底に消えていくのだ。あの声すら、あの声すらあげずに。
(p212)


など見ると、このシュクヴォレツキーという作家が大切にしたい対象がわかってくる。芸術、通常ではない魂の叫び。

「レッド・ミュージック」(著者が若いころ加入していたバンドの名前)では、
1、ナチスドイツと共産党政権の禁書目録が重複結構ある。
2、ナチスが出したというジャズ禁止令?いちいち生真面目な条項が並ぶ。
などなど。
フラバルは下からグツグツ煮込む系、シュクヴォレツキーは上からむんずと掴んで振りかける系。そんな読後感。
(2019  09/25)

(参考)「亡命文学論」(沼野充義)から


カフカの死後、チェコ人作家のカフカ受容、あるいはカフカ的世界に関する章。シュクヴォレツキーとクンデラ、共に今は亡命文学者となった二人のエッセイから。
(クンデラについては、「小説の技法」を参照)

シュクレヴォレツキーの方はチェコ語訳(あ、そうそう、忘れがちだけど、チェコ人にとってカフカは翻訳で読むものなんだよね)「城」を「フランチシェク・カフカ著」として見つける。ナチス政権下にあってカフカは禁書であったが、このチェコ人っぽい名前によって、プラハの古本屋に残っていたのだった。

さて、故郷のナーホトからプラハにやってきた理由はジャズ・フェスティバルのため。「城」を見つけた彼は友人のジャズミュージシャンのところへそれを見せに行くが、グズタフ・ヤノーホ(「カフカとの対話」の著者)がジャズの演奏技法の本を書いているということを知らされる。シュクレヴォレツキー達にとってはジャズの本の方が既知であったが、今の私達には逆だろう。というか、ナチス政権下でグッドマン始めジャズがそんなに聴かれていたということに驚いてしまうのだが。 
(2016 12/18) 

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