見出し画像

「仮面の道」 クロード・レヴィ=ストロース

山口昌男・渡辺守章・渡辺公三 訳  ちくま学芸文庫   筑摩書房


アメリカ北西部のネイティブアメリカンの仮面。元々の公刊(1975)。山口昌男と渡辺守章の共訳で出版。その後レヴィ=ストロースから増補版を贈られて、元々の第一部「仮面の道」を、山口昌男氏(2013没)分も含めて、渡辺守章氏が改訳、第二部の「三つの小さな旅」を渡辺公三氏(2017没)が翻訳したのが本書。
(2020  02/17)

仮面芸術

 この仮面芸術の表現は、シャルトル大聖堂やエジプトの墳墓を飾る彫像の瞑想的な静謐と、カーニヴァルの喧騒の派手な仕掛けとを併せ持っている。これに匹敵するほど壮大かつ正統な伝統は、他の場合なら細切れにされて、縁日の出店や大聖堂に保存される類のものだが、ここではそれが始原的な統一体として生き続けている。こうした様々な要素を統合できるディオニュソス讃歌的な才能と、他の人間には差異と映じるものを同一なものと観る、殆ど怪物的とも言ってよい才能とが、恐らくは、ブリティッシュ・コロンビアの芸術の例外的かつ天才的な特徴をなしている。
(p18ー20)


…しかし、レヴィ=ストロースまでくると表現の豊穣さが半端ない。そして、統合・同一化する能力は人類から枯渇し始めている。
(2020  02/19)

 一つの集団から他の集団へと、造形的な形が保有されるときには、意味上の機能は逆転する。反対に、意味上の機能が保有されるときには、造形的な形の方が逆転する。
(p137)


とりあえず目についた(強調点付きで)ところを引いておいた。だからこの「法則」がどこまで通用するものだとレヴィ=ストロースが考えているのか、などはまだわからない…
(2020 04/08)

第1部第2章まとめから
スワイフウェ仮面…
造形面…白色(白鳥の毛や羽根)、垂れ下がった舌→魚との呼応、突き出した目、鼻の位置に付いている鳥の頭部
社会学的…仮面を所有するか借りることにより富の獲得が容易になる。仮面の継承は高貴な身分に限られる。贈与儀礼等非宗教的儀礼にのみ使われる。
意味論的観点…銅の繋がり(水平的)と魚の繋がり(垂直的)
(p62)
(2020 05/04)

神話の奥に潜むもの


第3章から第5章まで読み、第1巻部分を読み終え。
第3章の「赤い魚」(カサゴ)、毒ー臭いー銅(富と技術(この地方の部族の一部には、ヨーロッパ人がこの地に到着した時には全く存在しなかった銅の精錬技法を含む神話が残っていた))、地震というセット。
p75くらいには仮面はある人間のエゴイスト的な性格を改善するために授けられるということ…この辺加えると、この本的には後になるけれど、日本のナマズが地震を起こし、金持ちからお金を(文字通り吐き出す絵(p195))と直結するような。南北アメリカの古層だけでなく、モンゴロイドの古層までに潜む神話要素なのか。
第4、5章は、今まで取り上げてきたスワイフウェ仮面の系統と反対の要素を持つゾノクワ仮面が取り上げられる。

 意味作用というものは、選んだ単語が内含する意味、ならびにこの単語の選択そのことによって排除され、その単語に代替しうる他のすべての単語の意味、という両面から生じるのである。
(p82-83)


ゾノクワ仮面は眼窩が窪み(しばしば眠っている状態)、色は黒っぽく、大体が女性的造形(男のバリエーションもあるが)。スワイフウェ仮面が先祖と繋げるのに対し、ゾノクワ仮面は異界からそういう繋がりを阻止しようとする。スワイフウェ仮面が世俗的、春・夏の時期なのに対し、ゾノクワ仮面はカーニバルの以降期間を経た秋・冬の時期。後者では、宗教儀礼が行われ、人々は所属する宗教結社に参加し、何も所属しないものは観客となる。
前者がだいたいバンクーバー島を南北に貫く分布をしているのに対し、後者はバンクーバー島北部中央を前者の分布線との交点に東西に分布している。書いてはなかったけど、このゾノクワというもの、熊とかとの繋がりもあるだろう。
(熊の姿のゾノクワ像は写真有り)
(2020 05/24)

近すぎる者と隔たった者

 調査を続けながら、我々がこうして常に遭遇するのは、一つの同じ主題であり、それは、余りにも近すぎる者同士の結婚と、余りにも隔たった者同士の結婚との間の調整という主題なのである。
(p157)

 空の貝殻と傷の瘡蓋と銅とは、二重の関係によって結ばれているように見える。まずそれは隠喩的な関係であり、何故なら、空の貝殻は銅に似ており、また、瘡蓋は当の人間にとって貝殻のようなものであるからだ。しかもそれは、換喩的な関係でもあり、それは神話が、貝殻と瘡蓋とを、銅を手に入れるための二つの手段と見做している限りにおいて、そう言えるのである。
(p163)

料理の三角形とか、そういう見方と同じ構造主義的観点がここにも見られる。でも、単に図式的なものではなく、もっと深い哲学的意味までレヴィ=ストロースは見据えているのだろう。そこまで自分は到達し得てないが。
(2020 05/25)

それ自体で充足しているものはない

 我々が見てきたことは、反対に、一つの仮面はそれ自体においては存在していない、ということであった。一つの仮面は、その傍らに常に存在するものとして、その代りに選ぶことができるような、現実の、あるいは可能性としての他の仮面を、前提としているのである。
(p224-225)

 仮面は、それが語り、あるいは語っていると信じているものによってのみ成立しているのではなく、それが排除しているものによっても成立しているのである。
(p225)


構造主義の基本的考え方が、仮面の話においても確認される。これは仮面だけのことではなく、芸術作品、そしてそれの時代様式も同じ。芸術家は自分の独創的な表現だと思っている(可能性有り)のだが、結局は周りの様々な「作品」に取り囲まれて、その相互作用で形成されるもの…ということが、第1部の最後に書いてある。
第1部終了。
(2020 05/28)

第2部「三つの小さな旅」


1 スワイフウェを超えて
2 クワキウトル族の社会組織
3 仮面の裏側

これらは改訂版で増補されたもの。なので、第1部の補遺となっており、「旅」という言葉でイメージするような紀行文ではないし、「小さな」に至っては逆でスケールが第1部より大きく世界対比になっている(まあお茶目?な謙遜なんだろう)。確かなのは補遺だけあって、第1部より細に入って理論的だというところ。
というわけで、読み進めるのは大変だったけど、少しでもゆっくり糸口を探していけば世界的な広がりを得ることもできた(とても全部ではないけど)。

「1、スワイフウェを超えて」では、仮面の意味論的あるいは形態的変容がどのように起こったかが書いてない…という批判について(これについては、詳しい歴史がこれら部族では追えない以上、現時点での分布から見た対比で浮かび上がる特徴を追った方が良いというある意味身も蓋もない言葉で退ける)。

「2、クワキウトル族の社会組織」についてはいろいろ…

 地域での生活は、政治的、経済的歴史の結果としての、あるいは歴史がつくりだす絆と、現実あるいは仮想の系譜がかくあるべしと求める絆とを、解きほぐしがたく混ぜ合わせることになる。
(p260)


この辺が論点かな。これにより、父系相続とか、母系社会とかいう仕組みが溶解に至っていく流れがテーマ。

 「血統の名」と「土地の名」と呼ぶことができそうなものの同時的な並存によっても際立ってくる。
(p272)


「土地の名」というのからプルースト思い出したけど、あそこもそういう意味を含んでいたのかな。とにかく、この辺からヨーロッパ中世との比較が多くなってくる。

 家族から国家にいたる社会的現実のあらゆる局面において、家とは、世界の他の場所では、その方向が互いに矛盾するために相互排他的にしか適用されえない複数の力を組み合わせることを可能にする制度的な創造物なのである。
(p278)

 すなわち、出自は通婚関係の価値をもち、通婚関係は出自の価値をもつ。そうなれば、交換は、文化のみがその限界を接近させることのできる断裂を生み出す場となることを止める。交換もまたその原則を自然の秩序に属する連続性のなかに見いだし、そして、もしその必要が感じられれば、通婚関係を血による親族関係に置き換えることをさまたげるものもなくなるのである。
(p282)


ここ、意味わからずすり抜けようとしたけど、もう一度戻ってゆっくり読んでみた。と言って理解できたわけではないけれど、ひょっとしたら経済の三要素のうち、交換や市場が発展していく流れの土台をここでは説明してはいないか。

「3、仮面の裏側」については少しだけ。

 女性が夫に贈る戦勝記念品が、彼らの娘あるいは姉妹を嫁として提供する前に、彼女の親族が秩序ある社会の障害だった怪物たちを消滅あるいは馴致したことで宇宙を浄化するように配慮したことを証明するのである。
(p320)


3の論点は、最初は何故様々に交流し合うアラスカからシアトルあたりまでの北米太平洋岸のうち、ごく狭い範囲でしか仮面がないのか?というものだったけれど、いつの間にかそれはこの広範囲で仮面が意味しているような価値観体系が変容して見られる(めでたしめでたし)…となっている。
主眼は二つの対照的となっていた仮面がそこまで対照的ではないのではないか、という批判に、主に吝嗇の性格について書かれている。神話を見ていくと、吝嗇もまた富の再配分という秩序に対する原初側の罪悪であり、それを遠ざけていますよという合図がここで言う「戦勝記念品」である、と(少しだけにするつもりが長くなった)。

レヴィ=ストロースと伝播概念


解説から一つだけ。レヴィ=ストロースが忌み嫌っていた伝播という概念という表現があった(p379)。ここは、え?と思ったけど、この後で…

 但しレヴィ=ストロースは、本書において仮面及び神話の近隣諸族における伝播経路及び伝播という事実そのものを考察の対象としている
(p381)

とあるので…どうだろう、レヴィ=ストロースは伝播概念の何が気になったのかな。
(2020 05/31)

関連書籍


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?