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黒と白と、ときどき朱(あか)~第13話~葬式

 10時くらいに目が覚めた。

―――いつの間に眠ったんだろう…。

 昨日泣きすぎたせいか、瞼が重く、鈍器で殴られたように痛かった。頭もボーっとしている。体はコンクリートみたいに固まっているようだった。目だけ開けてボーっとしていると、寝心地が悪かった。

―――そういえば、昨日はお風呂も入らず、着の身着のまま寝てしまったんだ…。コートも着たままだ。

 寝返りをうった。コートが邪魔をして動きづらい。昨日のことを思い出し、また涙が一筋流れた。しばらくの間、そのままにしてあげた。

 のそのそと起き上がり、仕方なく浴室に向かう。温かいシャワーのお湯が体にあたるのが気持ち良く、しばらくその気持ち良さに身を任せた。

 ふと我に返り、シャワーのお湯を出したまま頭と体を洗う。その間何度も意味もなく顔を洗った。ボーっとした意識をはっきりさせたいのと、何か分からないけどその何かを追い払うために。

 上がって体を拭いた後、適当に部屋着に着替えて髪を拭いた。洗面台に向かい、ドライヤーで髪を乾かそうと鏡を見ると、映った自分の顔がひどかった。

―――なんて酷い顔してんだろう…。

 ため息が出る。鏡に映った自分の顔を見てると、誰かに殴られたのかと思うほど目が腫れ上がり、いつも通り目を開けているはずなのに全然開いていない。起きてシャワーを浴びて、今鏡の前に来るまで、何度も何度も、昨日のことを思い出しては泣いて、疲れてボーっとして、我に返っては行動を再開して、また泣いて…。たったシャワーを浴びるだけなのに、起きてからすでに3時間以上が経過していた。

―――そろそろ準備しないと…。けど、おばちゃんの葬式だなんて…。全然、想像がつかない…。

 髪の毛を乾かし、軽く化粧をした。派手になりすぎないように、ファンデと眉とアイラインをちょっとだけ。でも、それもすぐに涙で流された。

―――もう、いいや…。

 髪の毛をシンプルに後ろでひとつ結びにし、ゴムの部分を少量とった髪の毛で巻いて隠した。想い出しては泣いて…を繰り返すから、いちいち時間がかかった。もう窓からは夕日が差し込んでいた。

―――行きたくないけど、行きたい。おばちゃんが死んだという現実を認めたくない。笑わなくなった、冷たくなったおばちゃんになんて会いたくない。けど、会いたい。おばちゃんの死はもちろん悲しいけど、とてもお世話になった人だから、大好きな人だから、世界一大切な人だからこそ、「ありがとうございました」って伝えたい。

 葬儀が行われる会場へ車を走らせた。ゆっくり運転したのに、着きたくないと思うと早く着いてしまうものだ。駐車場に車を停めて入口の方を見てみると、私の知らない人がいっぱいいた。私は勝手に思い込んでいた。結婚をしていなくて妹さんと二人暮らしのおばちゃんは、そんなに人脈はないだろうと…。でも、間違っていた。黒い服に身を包んだ人がそこにはたくさんいた。

―――それもそうだ。おばちゃんは86歳で亡くなった。その長い人生を考えれば、それだけ多くの人と出会っているだろうし、なんといっても、おばちゃんは常に笑顔で自分のことは二の次、いつも他人のことを考える人だった。想い出すおばちゃんの顔は全て笑顔で、それ以外の顔は想い出せない。そんなおばちゃんにお世話になった人は多いだろう。

 中には談笑している人さえいる。一瞬、笑ってるなんて不謹慎だって、おばちゃんに失礼だって腹が立ったけど、想い出話に花を咲かせて…ってのもアリかとちょっと思えた。ただ、今の私にはまだ笑って話すなんてできない。腰は重たかったけど、入口に向かった。

 建物に入って受付に向かう。お香典を渡すとき、本来は「お悔やみ申し上げます」って言うものなのだろうが、言えなかった。一言でも何か話そうとすると込み上げてくる涙を抑えるのが必死で、黙って会釈だけして渡した。でも、そんな努力も空しく、お香典を受け取ってくれた甥っ子さんから言われた「来てくれてありがとうね」という一言でストッパーが外れた。泣きながら、何度も何度も頷いた。胸が苦しくなって、それしかできなかった。おばちゃんの教え子だからこそ、記帳はキレイな字でって思ったけど、それも手が震えて叶わなかった。最後に深くお辞儀をして、式場に向かった。

 適当に空いてる席に座る。前から8列目くらいだろうか。ちょうど真ん中辺りで、顔を上げると目の前にはおばちゃんの写真があった。けど、その顔は笑っていなかった。おばちゃんは写真が苦手だった。というか、人前に出たり目立ったりすることが苦手だった。「おばちゃんはいいから」っていつも言っていた。後になって聞いた話だと、おばちゃんが写っている数少ない写真の中から一番笑顔のものを選んでアレだったそうだ。

 私が成人式の時に着物姿を見せに行って、一緒に写真を撮ろうと言った時も「えー、おばちゃんはいいが(笑)」と言いながら、恥ずかしそうに一緒に写ってくれた。私も写真を撮られるのが苦手だったから、これが唯一のおばちゃんとの写真となってしまった。


 私が県外に出てからは、帰省するときには必ずおばちゃんにお土産を買って帰り、実家に着くなり「おばちゃんちに行ってくるわ!」と言って、どこよりも先にお土産を持って挨拶に行った。そして、お土産を渡すといつも「いっちゃが!こんな気使わんで(笑)」と、でも嬉しそうにニコニコしながら受け取ってくれた。居間や客間ではなく、いつも習字の部屋で話した。

 おばちゃんちに行くと、必ず玄関ではなく習字の部屋の方に直接行く。入口のところにおばちゃんの下駄があるかを確認し、下駄があったら何かおばちゃんが書いてるってことだから、扉を開けて部屋に上がった。下駄がないときは、それでも一度習字の部屋の扉を開けて、いないことを確認してから玄関に向かった。

 顔を出すといつもお茶とお菓子や漬け物を出してくれた。お茶をのせたお盆ごと床において、座布団に座って、お菓子や漬け物を食べながら談笑した。今思うと、居間や客間でテーブルがあるところでっていうのが普通だけど、特におばちゃんにこっちでって案内されたわけではないのに、なぜか習字の部屋だった。でも、それが自然で一番落ち着いた。そして、必ずと言っていいほど毎回「もうね、新しい子は入れんで今教えてる子が卒業したら辞めようと思っちょるとよ」と言いながら、次回会う時には「またね、新しい子が入ってね!この子がまた正座もじっとできんでね、手が焼けるっちゃが!」と、嬉しそうにグチっていた。そして「○○ちゃんが級が上がったとよ!」「○○ちゃんが写真版に載ったっちゃが!」「見てん!○○ちゃん上手くなったやろ!」って、本当に本当に嬉しそうに話していた。


 そんな笑っているイメージしかないおばちゃんなのに、写真の顔が笑っていないのがすごく悲しかった。「おばちゃんはそんな人ぢゃない!!」そう叫びたかった。

 お焼香が始まり、係の人の案内で前の人から順番に席を立った。係の人に「お願いします」と言われ、隣の人に続いて並んだ。前に進むにつれて、喪主の席に座ってるおばちゃんのご兄妹の方たちのお顔が見えてきた。おばちゃんと一緒に住んでいた妹さんもいた。元々小柄な方だったけど、その日はさらに小さく見えた。

 私の順番が来た。手を合わせて…。伝えたいこと、話したいことはたくさんある。あるけど…。

 たぶん、シンプルに「本当に、本当に、今までありがとうございました!」って心の中で叫んで、深く一礼した気がする。いろいろ頭の中がいっぱい過ぎて記憶がなかった。

 式も終わり、参列者が会場を後にする中で、私は動けなかった。人が流れていくのを呆然と見ていると、その中に知っている顔があった。会ったことはないはずなのに、なぜかその人がおばちゃんが習字を習っていた後藤田先生な気がした。そして、無意識に足が動いていた。

「後藤田先生ですか?私、…」

「ふみかさん?」

「はい…。(なんで私のこと知っているんだろう?)おばちゃんに教えていただいていました。」

「今回は辛かったね。柚木崎さんね、いつもあなたのことを話してたのよ。本まで出してすごいぢゃない!」

 そう言って、後藤田先生は私を抱きしめてくれた。初対面のはずなのに、なぜか居心地が良くて私も身を預けて泣いてしまった。そして、何か話したかったはずなのに、嗚咽で言葉にならなかった。体を離した後も、手を握り背中をさすってくれた。

「辛いね…、本当にね…。先生も訃報を聞いてビックリしたが。ふみかさんは今後どうするの?習字教室は継がんと?ふみかさんが継いでくれたら柚木崎さんも喜ぶが、きっと。」

 私もおばちゃんの跡を継ぎたかった。というか、継ぐつもりだった。誰にもおばちゃんにも言ってなかったけど…。ただ、こんなに早くこんな日が来るとは思っていなかったから…。私の予定では、結婚し出産を機に美容師を辞め、落ち着いたら習字教室をしたいと思っていた。おばちゃんのとことは別でもいいし、おばちゃんが「いいよ」って言ってくれるのなら、おばちゃんの教室を継ぎたかった。

―――なのに…。こんなに早く…。おばちゃんだって、まだ86だよ…!?


 全ての人が帰った後も、私は一番後ろの席で、ただただ呆然とおばちゃんの写真を見上げていた。

 ガランとした空間の中、式に参列できなかった人がポッ…ポッ…と訪れて、おばちゃんとの最期の挨拶をし、お焼香をして親戚の人と話して帰っていく。そのうちの一人に見覚えのある姿と声の人がいた。その人は、幼稚園か小学校低学年くらいの女の子を連れていた。お焼香が終わると、空いてる席に座り、女の子とおばちゃんの写真を指差して話している。

「けいちゃん…?」

 そう話しかけると、向こうも気づいてくれた。一緒におばちゃんに習字を教わっていた5歳年上の友達だった。

「ふみかちゃん…!おばちゃん…。」

 けいちゃんは、そこまで言うと涙声になって話せなくなった。私ももらい泣きして一緒に泣いた。こんな時に不謹慎だけど、ちょっと嬉しかった。5歳も離れていたから、会えたのも私が小学校1年生の時以来20年ぶりくらいだった。久しぶりに会えたのも嬉しかったし、おばちゃんの教え子が私以外一人も来ておらず、「そんなイケズなことある!?みんなお世話になったんぢゃないと!?」ってムカついていたから、私以外にもおばちゃんの教え子が来てくれたことが嬉しかった。もちろん、県外にいてすぐに来れない人もいるだろう。私の姉と妹もそうだし。諸事情があって来れなかった人もいるだろう。けいちゃんの妹で、私とも友達であるともちゃんも、お腹に赤ちゃんがいるから辞退したと、けいちゃんが言っていた。もしかしたら来ていたけど、私自身が自分でいっぱいいっぱいで気付けなかっただけかもしれない。

 二人とも落ち着いてきて、習字に通っていたときの想い出を話した。そして、おばちゃんの最期の話になった。私は、これまでに聞いた話をけいちゃんにも教えてあげた。

「3日前まで普通に習字教えてたんだって。でも、風邪っぽくて寝込んで、ちょっとキツイからって甥っ子さんに病院に連れて行ってもらったら、そのまま…。教え子がおばちゃんちに救急車が来てるのを見たって言ってたらしいから、甥っ子さんが救急車呼んで一緒に行ったのかもね。病院行って調べたら肺が真っ白やったって、肺炎だったんだって。たぶん我慢してたっちゃろうね…。」

 本当におばちゃんはいつも「自分より他人」を優先する人だった。他人の幸せを自分のことのように喜んだり、他人を喜ばせるのが好きだった。私が習っている間も一度も教室が休みになることはなかった。おばちゃんが体調が悪そうにしていたとこも見たことない。私が知ってる限り、30年は習字教室していたから、一度くらいは体調が悪いときもあっただろう。それでも、私たち教え子が来る日は我慢していたんだろう。

―――そして今回も、習字の日だからって体調が悪いのを我慢して教えて、習字が終わっていっきにきたんだ…。きっと…。

 ひと通り話して、けいちゃんは娘さんと帰っていった。私はまた一番後ろの席に移動して、おばちゃんの写真を見上げる。私が帰らず、ずっとボーっとしているのを見かねてか、甥っ子さんが声をかけてきてくれた。

「一番前に行って、おばちゃんの近くにいてもいいよ?」

「ありがとうございます。けど…、ここでいいです。」

 本当はおばちゃんの近くに行きたかった。おばちゃんの顔が見たかった。けど、怖かくて行けなかった。

「すみません…。もう少しだけ居ていいですか?」

「うん、全然構わんけど…。」

「ありがとうございます。」

「明日は10時から告別式があるっちゃけど、来れる?」

「はい…。是非。」

「その後火葬するから、一緒に入れたいものがあったら持って来てもらってもいいし…本とか。」

「そしたら、本も入れたいけど、もう1つ入れたいものがあって…。それがおばちゃんちにあるんですけど、明日告別式の前に取りに伺ってもいいですか?」

 どうしてもおばちゃんに一緒に持って逝ってもらいたいものがあった。

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