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黒と白と、ときどき朱(あか)~第6話~橋名板


 宮崎市から中学校へ橋名のプレートを生徒に書いてもらえないかと依頼がきた。新しく宮崎に開通する高速道路から一般道路に繋がるIC橋のプレートらしい。

 職員室では、とりあえず3年生全員に書かせ、その中から上手い人を選ぼうかと考えていた。と同時に、当時作品展でいつも入賞していた私と河野さんの名前が挙がり、全員に書かせることなく2人で手分けして書かないかと話がきた。

 橋名の漢字とひらがな、竣立年月日の漢字とひらがなで4つ。2人で相談し、それぞれの得意分野である私が漢字を河野さんがひらがなを書くことにした。先生から、半紙よりも大きく長い紙に薄く鉛筆で長方形が書かれた紙を見せられ、清書はその鉛筆で書いた四角の中に収めることや提出日などの注意事項を聞き、練習用と清書用の紙を何枚か受け取って帰った。

 家に鞄を置くなり、真っ先におばちゃんのとこに向かった。練習用と清書用の紙と書く文字のメモを見せて、選ばれたことの報告やどうやって書いたらいいのかの相談をした。

「えーっ!ふみかさんが橋名板を書くと!?」

「きょうめいばん??」

「あの橋に埋め込まれている名前のプレートよ」

「そうそれよ!すごくない!?うちの字が埋め込まれるっちゃじ!」

「すごいねー!でもどうやって書こう?おばちゃんも書いたことないが(笑)」

 と言いながらも手本を書いてくれることになった。家だと半紙以上に大きいものを書ける環境がないので、日曜日の習字をしてない時間帯におばちゃんちで書かせてもらうことにした。

 その週の土曜日、習字に行くとすでに橋名板の手本が出来上がっていた。

「こんなんでいいか?」

―――良いも何も、おばちゃんの字は全部キレイやっちゃから良いに決まってるし。

 書いてくれた手本は予想通り、鉛筆で書かれた四角の中にキレイに納まるように書かれていた。縦長と横長の文字、更に漢字と数字とアルファベットが混ざってバランスが取りづらいはずなのに、キレイに納められていた。

―――すげー!おばちゃん。大満足!!

「いいよ!てげいい!おばちゃんありがとう!ぢゃあ、明日の10時に来るわ!」

 そう約束して帰ったが、今すぐにでも書きたくて、早く明日になっておばちゃんちに行きたくてウズウズしていた。あのおばちゃんの手本通りに書けば、書いた清書を持って学校の先生に見せたら「うわぁー上手に書いたね!」って褒めてもらえるのは目に見えてたし、実際に橋が完成してそこに埋め込まれている自分の字を想像したら、格好良くそこに納まっているのが想像できてニヤけてしまった。

―――しかも、それが橋が壊れない限り半永久的に残るじ。すげー!うふふ…

まだ1枚も書いていないのに、完成した時のことを想像してはやる気持ちを抑えられなかった。夜、布団に入ってからも、いろんな妄想を巡らせなかなか寝付けなかった。翌朝も、いつも休みの日は遅くまで寝ていて、10時とか11時頃にようやく布団からでてくるのに、早めに目が覚め9時半には家を出た。

 ウキウキしながら習字の部屋の戸を開けたが、そこにおばちゃんの姿はなかった。でも、机の上には、あの手本と一緒に墨や硯、筆、半紙、下敷きが準備してあり、私だけの席が用意されていた。おばちゃんたちのいる居間に続く扉を開け、呼んでみた。

「おばちゃーん!ふみかやけどー」

「…はぁーい!ちょっと待ってねー」

「先に練習しちょくねー」

「はいはーい」

―――居るんだったらいっか。先に準備して、手本見ながら書いておこう。

 持って来た練習用と清書用の紙を脇に置き、硯に墨を入れた。もらった練習用の紙は4枚しかない。ひとまず、おばちゃんが準備してくれた半紙で、橋名と竣工年月を1回ずつ書いてみた。

―――竣工年月の方が書きやすい。

 竣工年月を先に、橋名を後で書くことにした。何枚目かを書いている途中でおばちゃんが部屋に入ってきたけど、構わず書き続けた。おばちゃんも特に声をかけることはしない。その1枚を書き終えて、ふーっと一息ついた。

「お茶飲むね?」

「あ…うん!ありがとう!」

 おばちゃんは決して邪魔をしたりしない。集中している時はそっと見守っていてくれるし、でも要所要所で声をかけてくれたり、こうやってお茶やお菓子、漬け物を出して休憩させてくれる。こういう優しいおばちゃんが大好きだった。そして今は、そのおばちゃんと二人きりで独り占めできている。すごく幸せな時間だった。ある程度まとまってきたときにおばちゃんに見てもらった。

「おばちゃーん?」

「ん?書けた?」

「書けるけど、文字数が多すぎて入りきらん…」

 それぞれの修正箇所と枠内に入れるアドバイスをもらい、また書き始めた。

「ぢゃあ、おばちゃん向こうにいるから何かあったら呼んでね。」

「…うん。」

 修正箇所をクリアし、竣工年月の収まりも良くなってきたので、橋名の練習にうつった。竣工年月に比べて橋名は文字数が少なかったから収めるのは簡単だったけど、縦長と横長の文字が混ざっていてバランスを取るのが難しい。しかも、アルファベットなんて今まで筆で書いたことがない。どういう筆使いをすればいいのか、どう書くのが正解なのか、どう書けばキレイに上手に見えるのか分からず戸惑ってしまった。形だけでも、おばちゃんの書いてくれた手本と同じになるように、なんとか書き上げた。

「おばちゃーーん。見てー。」

「はぁーい。」

 それぞれ一番キレイに書けたものを机の上に広げ、おばちゃんが来るのを待った。

「どら?書けたね?あら、キレイに書けたぢゃない!」

 おばちゃんはいつだって真っ先に褒めてくれる。そして、全体をよーく見た後にアドバイスをくれる。

「なんか書きすぎてよく分からんくなった(笑)」

「ちょっと休憩しない(笑)お茶持ってくるから。」

 お茶を飲みながら、たくわんをつまんだ。おばちゃんと他愛もない話をしていると、良い気分転換になった。

「よし!いっきに清書まで書き上げるわ!」

 アドバイスをもらった箇所を最終調整しながら仕上げていく。半紙でただただ文字の練習をしたり、プレートの大きさに鉛筆で枠を書いた紙で本番さながらに書いてみたり、感覚を掴んでいった。まずは橋名を、そしてまた微調整しながら竣工年月を仕上げ、それぞれ2枚ずつ清書を書き上げた。

「おばちゃーん!書けたっちゃけどさー、どっちがいいと思う?」

「どら?おー、いいねぇ!こっちがいっちゃない?」

 それは自分でも良いと思っていた方だった。自分が良いと思った方をおばちゃんも選んでくれて嬉しかった。

「でもねぇ、本当はこういうプレートになる時は、ここはあんまりくっつけん方がいいとよね。」

「えーっ!先に言ってよ!もう清書してしまったがねぇ…」

 おばちゃんが言うには、線と打込みが交わる部分は完全にくっつけず、打込みの先っぽを少し重ねるくらいが良いらしい。完璧主義の私は、一瞬だけおばちゃんを恨んだ。でも、文字自体はキレイに書けていて満足だったし、もしかしたらプレートになったら案外良い感じになるかもしれないと思い直した。

―――もし、仕上がったのを見て「やっぱり…」と思えば、次回同じような依頼があった時に生かせばいい。


 翌月曜日、職員室にいる担任のところに持って行った。おばちゃんと2人で選んだ上手い方を1枚ずつ見せて反応を待った。「…うん!良いんぢゃない!いいねー!」と言った担任の声を聞きつけ、他の先生達も見に集まってきた。「やっぱ上手いねー」「なんでこんな書けると?!」「先生より上手いわ(笑)」想像はできていたことだけど、褒められるのはやっぱり嬉しかった。


 12月、開通式に招待されることになった。

 真新しいアスファルトの上、本来であれば車しか通れない橋のど真ん中に整列して待った。橋の下には国道10号線が通っていて、右からも左からも車が行きかっている。スーツを着た大人の男の人ばかりの中、セーラー服を着た私と河野さんは、すごく居心地が悪くソワソワしていた。キョロキョロしていると、自分の書いた文字がプレートになって埋め込まれているのを見つけた。すると、とても誇らしく堂々と立っていられた。

 開通式が始まった。すぐそこにはテレビでしか見たことのない宮崎市長がいる。私と河野さんは前に呼ばれ、それぞれ自分が書いたプレートの縮小版を記念品としてもらった。開通の挨拶が終わり、これまたテレビでしか見たことのないテープカットが目の前で行われた。

 式典が終わると市長のところに挨拶に行き、一緒に記念写真を撮ってもらった。自分が書いて埋め込まれている橋名板も写真におさめた。

 車しか通れない高速道路に繋がる道を歩けるなんて、そうないチャンスだと思い、河野さんと料金所の方へ歩いて行った。真っ新なアスファルト、まだ乾ききっていなような濃いグレーをしている。料金所に近づくにつれ、片側一車線から三車線になり道幅も広くなる。仕切りもない。

―――こんなところでインラインスケートが出来たら、ゴツゴツしてないからスイスイ滑れるし、広いからスピードもつけれるし、楽しいだろうな。

 行けるとこまで行って引き返し、再度自分の文字のプレートを見納めして、グルーっと10号線に続く道路を下りていった。


 しばらくの後、昔通っていた小学校の運動場の下にトンネルが開通することになった。すると今度は、その小学校に通っている子供たちにトンネル名の文字を書いて欲しいと宮崎市から依頼があったらしい。どういう選抜方法だったかは知らないが、選ばれたのは同じくおばちゃんのところで習字を教えている3つ下の子だった。何かあるごとにおばちゃんの教え子が選ばれ、教え子だけではなく、その親や大人たちの間でも「やっぱりおばちゃんは教えるのが上手くて凄いっちゃ!」と言われるようになった。そんな凄いおばちゃんに教えてもらえてることがすごく誇らしかった。

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