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黒と白と、ときどき朱(あか)~第8話~準師範と師範

 おばちゃんの元を離れ、高校の書道部での練習が始まった。しかし、おばちゃんも長友先生も、もちろん私より字が上手で素晴らしい先生であることに変わりはないが、文字の書き癖が違く、練習する部屋や環境も大きく変わって書きづらかった。

 おばちゃんちでは、床に座布団を敷いて正座し、6人でいっぱいになるような狭い部屋だった。机も下敷きを敷くとそれだけで奥行きがいっぱいになり、横幅は手本と下敷きと墨筆硯を置くと自分のスペースにちょうど収まり、隣との隙間はない。だからと言って窮屈さは感じなかった。というか、それが初めてだったから、そういうものだと思っていた。

 高校の部室では、高さも奥行きも幅もある2人掛けの大きな机がたくさん並んでいた。下敷きを置いても向こう側にまだ何か置けるくらい余裕があり、横幅も2人で使っても余裕があるのに、それを1人で使える。

 30~40人規模の教室を2つ3つぶち抜いたくらいの大きい教室で、一番前の壁には大きな黒板があり、その前にはダブルベッドを2つ縦に繋げたくらいの大きな先生用の机がドーンっとあった。続いて2人掛けの大きな机が横3列×縦6~8列くらいあり、その後ろには二八の大きな作品が2~3人同時に書けるくらい広いスペースがあり、その周りには大小たくさんの作品が飾られたり、雑多に置かれたりしていた。

 そんな中で2~3人がポツン…ポツン…と練習している感じだった。先生も基本的には教室にはおらず、だだっ広い空間でしかも正座ではなく椅子に座って、黙々と書くのはやはり居心地が悪かった。それでも、何度か先生に添削してもらううちに、私の字の癖に合わせて手本を書いてくれるようになったり、環境にも徐々に慣れていった。


 毎月毎月、決められた課題を提出し、良ければ昇段、悪ければそのままの段をキープだ。五段までは、毎月の課題提出が昇段試験になっているので、毎月昇段するチャンスがあるが、五段→準師範→師範の昇段試験は1年に1回しかない。そして、今年もその季節がやってきた。

―――今は五段、今回ので昇段しなければ、また1年待たなければいけない。そんなのは絶対イヤだ。

 8月後半~9月前半にかけて書き上げて提出し、10月頭には結果が葉書で届く。一番蒸し暑く、長く感じる辛い季節。それでも、1ヶ月ならまだしも、1年も待たなければいけないのは我慢できないので、必死で書いた。満足のいく作品が仕上がり、結果ももちろん「合格」。無事、準師範に昇段することができた。

 合格の報告も兼ねて、久しぶりにおばちゃんのところに顔を出しに行った。3~4ヶ月ぶりくらいだろうか…。半年以上会っていないような感じがしていた。

 いつも通り玄関をスルーして、習字の部屋の方を向いておばちゃんの下駄があるのを確認すると、直接入口に向かって、そーっと扉を開けた。ガタガタガタ…!

「あー!ふみかさん!久しぶりやね(笑)」

「おばちゃん!準師範合格したよ!」

「おめでとう!雑誌で見つけてたよ!」

 それから10~15分くらい雑談をして帰った。おばちゃんはなんにも変わってなくて安心した。


 どんなに頑張って書いても昇段するのは1年後…。そう思うとやる気が出ない。毎月の課題の提出をサボる月も増えていった。


 そして、また例の季節がやってくる。この季節だけはやっぱり気合が入る。昨年の準師範の時のことを振り返り、例年より早めに手本を書いてもらい、「良いのが出来ても出来なくても最低100枚書く」を目標に練習を開始した。

 まだ、夏休みも終わらない頃、家で正座して書いていると、膝の裏側(太ももとふくらはぎの接地面)にじっとり汗をかいてくる。正座に慣れているとは言え、2時間を超えてくるとだんだん痺れてくるし、浮腫んでパンパンになってくる。休日には、2時間おきに休憩をはさみながら一日中書くこともあった。

 夏休み中ではあったが毎日のように課外があったから、学校に行けば長友先生が見てくれる。それでも敢えて、休日におばちゃんちに行って、おばちゃんに見てもらった。先生が嫌なわけではない。けど、重要なポイントでおばちゃんの添削なしにGOを出したくなかった。何度かおばちゃんに見てもらい、ある程度仕上げていく。すでに70枚以上を書き上げていた。9月に入り、2学期が始まると部室に持って行って先生に見てもらった。

「あー、そうやねー、ここはさぁ…」

 褒められるどころか、たくさん指摘をもらった。分かっていたことだし、一発で「これでいいぢゃん!」って言われても困るけど、やっぱりなんか物足りない。

―――おばちゃんなら、まず褒めてそれからアドバイスしてくれるのに…。指摘ばっかりやん…。

 指摘されたところを修正するために練習を再開したが、だいたいこの頃になると、ちゃんと書けているんだか、バランスがおかしいんだか分からなくなり、スランプに陥ってしまう。

―――あ”ーーー書けない!!よく分からない…。まだ目標の100枚に達してないのに…。

 別の日に、気持ちを切り替えて書いてはみたものの、清書をする段階で力んでしまうのか、

―――よし!ここまでは完璧!あと1文字!1文字書けば、本当に完璧…だったのに、あ”ーーー!!よし 次!…1文字、2文字…4文字…よしよし!…あ”ーーー!!はい次!…1文…あ”ーーーもぉーーー!!

 あと、もうちょっとってところで思った通りに筆が運べない。気持ちを切り替えて新しい紙を出して書き始めても、やっぱりダメで、その繰り返し…。気分転換に名前の練習をしたりもした。

 修正して書いては添削してもらい、修正して書いては添削してもらいを繰り返していくうちに、少しずつ肯定的な評価ももらえるようになってきた。

「ここがちょっとアレやけど、これで良んぢゃない?あと、これも。これとこれのどっちかやね。」

「んー、いや、まだ書くっちゃけど…」

「あら、そうね。そしたら、とりあえず、この2枚取っていおいて、次書いてみたら?」

「はい。」

 いつの間にか練習で書いた紙は100枚を超えていた。でも、全然納得のいく清書は書けていない。とりあえず目標は達成したから良かったけど、スランプから抜け出せずにいた。

―――もういい…。いっそのこと、敢えて書かずにいよう。

その週の平日は、もう部室には行かなかった。しかし、土曜日やっぱり書きたくてムズムズしてきた。お昼を兼ねた遅めの朝ごはんを食べた後、汚れてもいい服に着替えて準備をした。これ以上、まっさらなキレイな半紙を汚すのがもったいなくて、書き損じた紙の隙間や裏側を使って練習を始めた。なんか今日は調子が良かった。スランプのような嫌な感じもなく、書くのも苦ではない。間をあけたおかげで見る目も新鮮になり、キレイに書けている部分とバランスのおかしい部分とがはっきりと見て取れる。いつの間にか3時間以上が経過していた。気分転換に下に下りて冷蔵庫を漁った。おやつ的なものとお茶を飲み干すと、また2階に上がって書き始めた。

 練習を再開し、ある程度まとまってきた頃、清書に取りかかった。前回は力みすぎて、少しでもズレると新しい紙を出して書き直し、でもまたズレて書き直し…の繰り返しで、どんどんダメになっていったから、今回はダメでも練習のつもりで最後まで書き上げて、悪いのも全部取っておいて、最後に見比べて上位の数枚を週明け学校に持って行って、先生に見てもらおうと決めていた。

―――締切日を考えると、家で書けるのは今週末が最後…時間の許す限り、清書を書き続けよう。

 夕方いっぱい清書を書き続けた。ある程度良い作品も仕上がったので、夜ごはんを食べに1階に下りていった。ごはんを食べ、テレビを見て、お風呂に入り、ひと息つくと夜の10時をまわっていた。2階に上がり、今日書いた清書たちを並べ、消去法で5枚を残す。残した5枚を見比べて、これでいいのか、明日もう一度書いた方がいいのか…悩んだ。悩むくらい、結構良い仕上がりだった。

―――けど、あと1日書ける日がある。言い方を変えれば、明日が最後だから書きたかったらもう明日しか書けない。けど、書くだけ書いて、またスランプに陥ったら…後味が悪くなる…どうしよう…。よし、明日決めよう!時間を置けば、また新しい目で見れる。そこで見て決めよう!

 なんだか今日は達成感のある1日だった。良い夢が見れそうだ。


 翌日曜日。
 朝起きると首から肩にかけてが筋肉痛なのか凝りなのか…バキバキだった。昨夜選んだ1軍の5枚と2軍の数枚を床に並べて、自分は椅子の上に立って遠目から見比べてみる。が、1軍と2軍が入れ替わることはなかった。

―――この5枚のどれかを提出しても悔いはないけど、この5枚とも何かしら修正できる箇所がある。何枚か書いてみて今日の気分、今日の自分の調子で決めよう。

 最初から清書を書き始めた。首肩は辛いが、それ以外は調子が良い。20枚ほど書いた頃だろうか、変わり映えがせず、上限に達したような感じになってきたので、書くのを止めた。

―――もういいだろう。これで、結果がどうであろうと後悔は一切ない。

 結局、150枚近く書いていた。裏側を使ったものもあったから、実質はもっと書いたのだろう。もう満足だった。昨日の5枚と合わせて消去法で選ぼうとしたが、差がなくてどれも捨てられないし、どれも選び出せない。最終的に10枚まで絞ったが、それ以上は難しく、10枚とも明日学校持って行って先生に一緒に選んでもらうことにした。


 ある日、学校から帰るとハガキが届いていた。昇段試験の結果通知のハガキだ。「合格」と書いてある。初めての師範だった。

―――これで、おばちゃんに顔向けできる!

 別に顔が合わせづらいとかではなく、師範までやりきったことで、やっと恩返しができる気がしていた。


「おばちゃん!師範合格したよーーー!!」

「ふみかさん!すごいね!雑誌で見つけてビックリしたが(笑) 1回で合格する人なんて滅多におらんとよ!」

「だって100枚以上書いたもん!」

「ひぇーーー!!」

「額に入った証書が欲しっちゃけど、どうすればいい?」

「あー、そうやね!お願いしちょくわ!」

 証書がないと資格として成立しないわけではないけど、姉が師範に合格した時にもらっていた証書が格好良かったので、私も欲しいと思っていた。一通り、師範合格の報告と雑談をし、証書の手配をお願いをしておばちゃんちを後にした。

 後日、その証書が届いたと連絡があって取りに行った。

「やっと終わったよー」

「よく頑張ったね!」

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