見出し画像

黒と白と、ときどき朱(あか)~第17話~約束、守ったよ

「うちの子の先生してくれん?ふみかさんやったら安心して任せられるっちゃけど。」

 しばらくすると、おばちゃんが亡くなる直前まで教えてもらっていた子供たちの親が何人か、そう言ってきてくれた。

 本当は、二つ返事で「やります!」って言いたかった。将来は習字教室をしたいと思っていたし、許されるならおばちゃんの跡を継ぎたいと思っていた。でも、あまりにも急すぎて心の準備ができなくて、まだ美容師を辞める決心もつかなかった。


 ある日、練習用の紙が少なくなってきたので、書道用品を売っている文林堂に向かった。どの紙にしようか悩んでいると、後ろから声をかけられた。

「柚木崎さんのお葬式のときにいた方ですよね?」

「・・・」

 ここの店主だ。優しさをそのまま顔に張り付けたような、ソフトな物腰の男性。会釈をすることはあっても話すのはこれが初めてだった。

「柚木崎さんにはお世話になっていました。いつも墨友の雑誌やら、紙や墨やら買いに来てくれて。本当に今回は残念でした…。」

「私は、子供の頃、習字を教えてもらっていた教え子です。」

 そのひと言を言うので精一杯だったけど、泣かずにちゃんと言えた。おばちゃんに恥をかかせないように。

―――ということは、あの号泣していたのを見られたんだろうか…。

 ちょっと恥ずかしい気もしたが、ここにもおばちゃんを感じられる場所があるんだと、嬉しくなった。


 あれから毎月お墓参りに行っている。亡くなったのが1月31日だったから、31日のある月だけ。2ヶ月も間が空くときは、早く会いたくて、もっと会いたくて、30日に行こうかと思ったけど。いつまでもおばちゃんに依存してたらいけないし、落ち込んでてもいけないから、2か月後に良い報告ができるように、たくさん話す話題があるように、いろいろ頑張るように努めた。

「いつもありがとうね」

 たまに妹さんや親戚の方に出くわすことがあり、いつもそう声かけられた。

 私は決まって、お供えする花にはかすみ草を選ぶようにしていた。小ぶりで自分を主張せず、わき役に徹し、メインのお花を際立たせる。でもちゃんと綺麗で凛としていて、おばちゃんそのものだった。それに花言葉が、言っても言っても言い足りないほどの『感謝』だったから。だから、かすみ草と季節の花をいつもお供えしていた。

 だからだろうか。「いつも」と言ってくれるのは。

 あれ以来、おばちゃんちには行っていない。行きたいけど、おばちゃんがいなくなったことを認めるのがイヤで、怖くて、お墓から200メートルと離れていないのに、お家の仏壇には挨拶できていなかった。

 だから、本当はちゃんと挨拶したいのに、そう優しく声をかけられると、こみ上げてくるものを抑え込むのに必死で、言葉を発することができなかった。ただただ会釈をするのに必死で、きっと怖い顔になっていたと思う。


 おばちゃんが亡くなってから3年半後、ようやく最後の4つ目の師範を取ることができた。今回ばかりは、ちゃんとおばちゃんちに行って仏壇に報告しよう。とは言え、ワンクッション置かないと、やっぱり心の準備ができなくて、お墓に寄り道した。新しいかすみ草のお花に入れ替えて、

―――今から、行くね。

 そう伝えてから、おばちゃんち向かった。

 玄関の前に立ち、いつものクセで左を見る。習字の部屋の前には、何もなかった。いつもなら、そこには赤い鼻緒の下駄がきれいに揃えておいてあったのに...。チャイムを鳴らすのははばかれたので、引き戸に手をかけ力を入れてみる。開いた。

「こんにちは。」

「・・・・・・はい。」

 奥から妹さんの声が聞こえ、しばらくすると出てきた。

「お姉さんに習字を教えてもらっていたふみかです。おばちゃんにお線香をあげさせてもらってもいいですか?」

「あー、どうぞ、どうぞ。」

 仏壇に向かい正座をする。そこには懐かしいおばちゃんの写真があった。久しぶりのおばちゃんち...おばちゃんの残り香が感じられそうだった。持ってきた師範の証書を箱から出して仏壇に向けると、まだ何も話していないのに嗚咽が漏れた。

―――おばちゃん、やっと全部、師範取ったよ。遅くなってごめんね。生きてるときに約束守れんくて…ごめんね。でも、ちゃんと約束守ったよ。だから、褒めてよ…。あの時みたいに「すごいね!よく頑張ったね!」って、あの満面の笑みで褒めてよ…。

 気持ちが落ち着き、後ろに向き直ると、妹さんがお茶を出して待っていてくれた。

「おばちゃんと約束したんです。全部、師範取るって。それで、やっと取れたから報告したくて…。ありがとうございます。」

「そうね。ありがとうね。」

「あの、習字の部屋…、行ってもいいですか?」

「あー、散らかってるけど。あ、あと、まだ紙とか墨とかあって、良かったら持って行ってくれん?もうあなたがいらなかったら、捨てようと思って。」

 「捨てようと思って」という言葉に悲しさを覚える。習字の部屋に続く扉を引くと、そこには床以外、あの時の習字教室の面影はなかった。習字道具はもちろん、机も座布団も片付けられていた。隅のほうに、紙と墨が申し訳なさそうにまとめられていた。

「そこにあるのは好きなだけ持って行って。」

 そう言われ、紙と墨は全部もらった。一人では使い切れない量だったけど、捨てられるのだけはイヤだったから、全部引き取ることにした。あと、辞書を数冊と、おばちゃんが使っていた筆立てがそのままあったから、形見としていただいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?