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黒と白と、ときどき朱(あか)~第14話~最期の最期まで、そばに居させてくれて

 翌朝、式場に行く前におばちゃんちに向かった。

 妹さんに挨拶した後、習字の部屋に向かった。部屋にあがってすぐ後ろを向くと、引き戸の上にそれはあった。飾ってあった額を取り外し、裏のツメを回してカバーを取ると、そこには細かい字がびっしり書かれていた。これは私が成人式の時、振袖姿を見せに行ったときにおばちゃんにプレゼントした色紙だった。

 表には私が中学生の時、初めて出会って感銘を受けた大好きな“言葉”を、裏にはおばちゃんとの思い出やお世話になったお礼の手紙をびっしり書いて額に入れて渡したんだ。直接言葉にして言うのは恥ずかしいけど、でも想いの丈をどうしても伝えたかった。

 習い始めたときは、おばちゃんのことも習字も大嫌いだったこと。けど「名前の練習はもうしなくていいよ」って言われてから、少しずつ好きになっていったこと。中学3年の夏休み、作品展に全部出したいから手本書いてって言ったら、たくさんあったのに嫌な顔一つせず全部書いてくれたこと。高校生になって「もう長友先生に教えてもらいなさい。もうおばちゃんは教えきれん。」って言われてすごく悲しかったこと。美容師になるって言ったとき、言葉では喜んでたけどちょっと悲しい顔をされてつらかったこと。だから、全部師範を取るまでは墨友を止めないって約束したこと。今の私にとって習字はとても大きい存在で、おばちゃんが教えてくれた習字がなかったら、今の私はなかったこと。習字のおかげで自信が持てたこと…。


 妹さん達がそろそろ告別式に向かうからと、私もおばちゃんちを後にした。昨日と同じ駐車場に車を停め、しばらく色紙を見つめる。家から持って来ていた新品の本と色紙を手に会場に入って、今日は一番後ろの席に座った。今日は昨日より少し落ち着いていられそうだ。周りを見たけど、やっぱり知ってる顔はいない。教え子がこんなにも来ないなんて…本当に悲しかった。

 告別式が始まり、おばちゃんの人生の歩みが紹介された。私がおばちゃんについて知っていたのは、習字教室をする前は看護師さんだったこと、結婚していなくて妹さんと二人暮らしであることだけだった。けど、11人兄弟の真ん中だったことや私の知らないことがたくさん紹介された。

「それでは、最後にお花を一輪ずつ添えてお別れをしましょう。」

「最後に…」そういう進行役の人の声が聞こえて我に返った。いつの間にか、また自分とおばちゃんだけの世界に入っていた。前の人から順番に、色とりどりのお花をおばちゃんが入った棺に入れて、手を合わせてお辞儀をしている。自分の順番が近づいてくるにつれて怖くなってきた。結局、おばちゃんが亡くなったって聞いてから一度も顔を見ていない。まったく想像がつかない。

―――血色がなく青白くなっているんだろうか。ガリガリに痩せ細って骨が浮き出ているんだろうか。カラーも伸びて根元が白くなって、髪もボサボサになっているんだろうか。


 私が宮崎に戻って来てからは、定期的に私の働く美容院にカットとカラーに来てくれていた。最初はカットとカラーを同時にしていたけど、長時間かかると体が疲れるからと言ってカットとカラーを交互にするようになった。そして1~2ヶ月おきに来てくれていたのが、そういえば最近間が空いていた。

―――本当は予兆はいろんなところに出ていたんだ…。

 おばちゃんのところに顔を出しに行くたびに「もうこれはいらんから」「もうこの辺整理しようと思ってね」って参考書やら辞書やら墨やら文鎮やら、いろんなものをくれた。お店に初めて来たときに書いてくれたカルテの字も昔のような力強い字ではなかった。細く震えた字だった。「もうね、最近力が入らんとよ(笑)」って笑っていた。


 また想い出に浸っていると、私の順番がきてしまった。まったく想像ができないまま、心の準備もできないまま、でも足が勝手に前に動く。なぜか躊躇はなかった。流れに身を任せて、花を差し出されればそれを受け取り、前にいた人が前に進めば私も空いた隙間を埋めるために前に進んだ。

 棺の縁からおばちゃんの顔が見える。それはとても綺麗だった。普段お化粧なんて一切しない人だったけど、棺の中のおばちゃんは綺麗にメイクされていた。最後に会った時より若く見えた。目が離せなかった。その顔に吸い寄せられるように、自然と手が伸びていく。けど、寸前で我に返って、伸びた手を戻した。触れることができなかった。

 本当はおばちゃんに触れたかった。ずっとその場に居たかった。けど、それは許されないことであることも分かっていた。だから、少しでもその場に居れるように、ゆっくりお花を添えて、それから席に戻った。

「もう、これで本当にお別れです。他に、手紙や何か一緒に入れたいものがある方はどうぞ。」

 私は、今朝おばちゃんちから持って来たあの色紙と、おばちゃんがいろんな人に自慢してくれた本の新品を1冊持って前へ進んだ。一番の特等席、おばちゃんの胸元にその2つを置かせてくれた。甥っ子さんから「ありがとね…。本当にありがとね…。」って言われて、涙が止まらず、会釈だけして席に戻った。

 棺の蓋が閉められる。私のところからは見えないが、開かないように固定される音が聞こえてきて、耐えられず自分の太ももに顔を埋めて嗚咽した。
親戚の男の人たちが、おばちゃんの入った棺を持ち上げ、みんなの真ん中をゆっくり外で待つ霊柩車に向かって歩いていく。本当は、最前列に立って立派に見送りたかった。けど、もう限界…。前を見ることが出来ず、ハンカチに顔を埋め、周りにたくさん人がいるのも忘れ声を出して泣いた。おばちゃんが近づいてくるにつれ、怖くなり後ずさりしてしまった。おばちゃんが私の前を通り過ぎていく。

―――嫌だ!これでお別れなんて嫌だ!亡くなっていたとしても、もう会えなくなるなんて嫌だ!

 大声で叫びたかった。やっぱり、おばちゃんが死んだことが受け入れられなかった。まだ行かないで欲しいとすがりつきたかった。けど、足が動かなかった。立っているのがやっとだった。本当はその場に崩れて泣き叫びたかった。けど、おばちゃんの大切な式だからと失礼のないようにと思って、頑張って取り乱さないように立ち続けた。

 すると、誰かが私の肩に手をかけてくれた。おばちゃんの甥の娘さんにあたるまゆさんだった。おばちゃんのとこで習字を習い始めた頃は何度か一緒になったこともあったが、まゆさんが中学生になり習うタイミングがずれて、まったく会っていなかった。一昨日、おばちゃんちでおばちゃんが眠っている棺の前で、20年ぶりくらいに再会していた。

「一緒に行こう。」

 そう、まゆさんが言ってくれた。足元がおぼつかない私の肩を抱いて、バスに一緒に乗せてくれた。おばちゃんを乗せた霊柩車の後をバスが動き出す。一緒に来れた安心なのか、泣き疲れたからなのか分からないけど、過呼吸気味だった呼吸が落ち着いてきた。流れていく景色を見ながら、ゆっくりと涙を流した。


 火葬場に着き、周りの人の流れについて行った。火葬場なんて初めて来た。建物は大きく立派なのに、おばちゃんが入れられるそこは、ずいぶんと小さく狭かった。上も下も、右も左も、台も全てが銀色で覆われていて、すごく冷たく寂しい雰囲気のたたずまいをしている。

―――この中でおばちゃんは焼かれるのか…。

 そう思うと、おばちゃんが不憫でたまらなくなった。

 到着してしばらく待たされた。決められた時間が来ないと始まらないらしい。後から知ったけど、誰かが亡くなったら、火葬場に予約をしないと火葬してもらえないらしい。てっきり、亡くなった後は、葬式・告別式・火葬と全部セットで順々に進んでいくものだと思っていた。まず、火葬を希望する場合は、火葬場に予約をして、そこから逆算して葬式や告別式の日程を決めるというのだ。一日に火葬できる人数も限られていて、だから時間もきっちり決められている。なんかそんな事務的な感じが、あのまったく温かみを感じない銀色の佇まいが、異様に寂しく感じた。

―――あえてそういう仕組みになっているのだろうか。必要以上に悲しくならないようにする為に…。

 おばちゃんの入った棺が運ばれてきた。銀色に覆われたそこに入れらて、いかにも頑丈そうな分厚い扉が閉められる。淡々と進んでいくその様を呆然と眺めていた。そして、点火のボタンが押された…。ボッと点火した音が聞こえた…気がした。自分がもし炎の中に居たらどれだけ熱くてどれだけ痛くてどれだけ苦しいだろうと想像し、今おばちゃんがそんな辛い思いをしているかと思うといたたまれなくなった。でも、今のおばちゃんはそんなの感じないんだ…と気づいて、幾分か気持ちが楽になった。

 そんなことを考えながら、ふと周りに目をやると、みんな閉められた扉に向かって手を合わせている。私もそれにならって扉に向かって手を合わせた。


 告別式をした会場へバスで戻った。帰った方がいいのかどうしたらいいのか、というかどうするものなのか分からず、居心地悪く立っていると、甥っ子さんが声をかけてくれた。

「ふみかちゃんも一緒に食べよう。」

―――食べる…!?何を!?

 そこには40人分くらいの立派なお弁当が、机に綺麗に並べて置かれていた。

「火葬されてる間、おばちゃんのことを想いながら、最後の食事をするとよ。どうぞ。」

―――居るのはみんな親戚の人たちばかりな気がする…。親戚でもない私なんかがここに居ていいのだろうか?これは辞退するべきことではないのだろうか?

「ご飯を食べたら、収骨しに行くから一緒に行こうや。ふみかちゃんが来てくれたら、おばちゃんも喜ぶから。」

―――本当に私はここに居ていいのだろうか…。

 一番隅っこの席に座らせてもらった。みんなは時に談笑もしながら食事を始めていたけど、私はお弁当を前にしても食べる気にはなれなかった。蓋がされたままのお弁当を見つめ座っていると、後ろから肩を叩かれた。みまさんだった。

 小学生の頃、一緒に習っていた生徒の中で唯一高岡から習いに来ている2人姉弟がいた。そのお姉さんの方がみまさんだ。懐かしかった。そして、私のことを覚えていてくれて、声をかけてくれて、この告別式に来てくれて、嬉しかった。20年近くぶりだったので、本当に久しぶりだ。

「私たちはここで失礼するけど、おばちゃんによろしく…。」

「あ、はい…。あ、お久しぶりです。ありがとうございます。」

 立って会釈をして、みまさんとそのご家族を見送った。席に座り、またお弁当の蓋を見つめる。向かいに座っている知らない人が声をかけてきた。

「食べよう。おばちゃんとの最後の食事よ?食べんと元気も出らんし。」

 そういえば、この3日間一口も食事をしていなかった。

―――食事するのを忘れることってあるんだ。どんなに体調が悪くても、食べんと治らん!って思って、食欲なくても食べてたのに…。今までの人生で初めてだ。「食べる」という行為を忘れたのは。

 胃に意識を集中させてみる。確かにお腹は空っぽだった。目の前には立派な箱が置かれている。開けてみると、色とりどりの根菜の煮物やお刺身、天ぷら、巻き寿司、フルーツ、ゼリーが綺麗に納められていた。ただ華やかさはなく、どれをとってもどこか控えめで、食欲は湧かなかった。目の前の食べ物が不味そうに見えたとかそういうのではなく、「食べる」という行為をする気になれなかった。

 向かいに座っている人に無言で促され、箸を動かすことにした。しばらく食べ物を箸でもてあそび、とりあえず一口口に運んだ。味は感じなかった。作業的に咀嚼し、飲み込み、胃に送りこんだ。美味しくも不味くもなかった。ただただ、その作業をノロノロ繰り返した。

 周りの人たちはすでに食べ終わり、急須から入れたお茶を飲みながら談笑してる。私はまだ3分の1くらいしか食べていなかったが、そもそも食欲がなかったので、残して悪いとは思いながらも蓋をした。

―――胃が久しぶりにゴロゴロしてる…。

「それぢゃあ、そろそろ火葬が終わる時間やから、行こうか。」

 甥っ子さんが声をかけてきてくれた。

「はい…。」

「今度はバスとかはないから車で行くけど、どうする?一緒に行く?」

「…自分の車で行きます。」

「場所分かる?あ、ついて来ればいいか。先に行くから後をついて来ないよ。」

「はい。」

 一緒に車に乗せてってもらうとなると、自分の車は置いていくわけだらか、またここまで送ってもらわないといけない。帰る時まで気を遣ったり、遣わせたりするのが嫌だった。というか、極力他人と接したくなかった。早く独りになりたかった。

 外に出て、駐車場に停めてあった自分の車に乗り込む。大きく深い溜息が出た。おじさんやまゆさん達が乗った車を見つめ、続けて出発する。途中、私が遅れて曲がったりすると、ハザードを付けて待っていてくれた。そして、私の車が来たと分かると発進してくれた。

―――どうして、こんなにまでしてくれるんだろう…。家族でも親戚でもない私に…。

 実際、収骨に来たのは、本当に近い姉弟や親戚だけで、あかの他人は私だけだった。

―――本当に私は来て良かったんだろうか?迷惑ぢゃないんだろうか?「おばちゃんも喜ぶから」というのは表面上の理由で、本当は「可哀想だから」とか「なぜかずっと居るからしょうがなく」とかではないのだろうか?もし、そうだとしたら本当に申し訳ない。本当に本当に最期のお別れの場なのに、親戚だけにしてあげなくていいのだろうか?

 けど、そこから立ち去る術を私は知らなかった。そして、また促されるままに「火葬が終わったから」と収骨する場所へ案内された。そこはとても閉塞感のある、でもとても明るい一室だった。真ん中には台があって、その上には人の形に綺麗に並べられた骨があった。

―――これが、おばちゃん…?

 それ以外の感情が湧かなかった。

「それでは、脚の方から順に入れていってください。」

 火葬場の人がそう説明し、銀色の長い菜箸のような物を渡した。一人一個ずつ脚の方から骨壺に納めていく。私はもちろん自分が最後になる場所に移動した。

―――親戚の方よりも先に収骨させてもらうなんて図々しすぎる。

 骨壺の中でもきちんと下が脚で上が頭になるように順番に入れるらしい。初めて知った。2回くらい順番がまわってきて収骨した。

「それでは最後に頭部を入れて閉めますが、よろしいでしょうか?」

「ふみかちゃん、本を置いてたの、この辺やろ?この辺のも入れとこうや。」

 そう、おじさんに促され箸を受け取った。どれが本の残骸か分からなかったけど、胸辺りの明らかに骨ではない灰を見つけ、それを慎重につまんで骨壺に2回ほど運んだ。そして、係の人が白い手袋をはめた手で慎重に頭部を入れて、蓋が閉められた。

 火葬場の外に出て、親戚の方たちにお礼を言って、その場を後にした。

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