黒と白と、ときどき朱(あか)~第10話~お願いだからウソだと言って
2012年1月31日火曜日。
その日入っていた予約が全て終わったのは夕方頃だった。最後のお客様を見送って、遅いお昼を食べようとバックルームに入って携帯を見ると、母からの着信が5分前にあった。仕事中、携帯に出れないのは分かってるハズ。だから、いつもはメールをしてくるし、もし急用だったらお店の電話にかけてくればいい。なのに…、「なんやろ?」と思いながら、折り返してみた。
「どした?」
「ふみかぁ~…」
いつもになく弱々しいというか、震えてるというか、泣きそうというか、沈んでるというか、なんかそんな感じの声だった。
「まだ、分からんちゃけど、習字のおばちゃんが亡くなったかもって…」
「かもってってなんや…」
いきなりの訃報にテンパりながらも、それを悟られたくなく、冷静にツッコんだ。
―――おばちゃんが死ぬとか、あり得んし!全然元気やったし!しかも、「かも」って…。
不確かな言い方されて…。しかも、それが大好きな、大切な人の訃報の話って…、超ーイライラした。
「まだ、分からんちゃけど、ゆみ叔母ちゃんから聞いたっちゃけど、この前の土曜日に習字に行った子から聞いたらしっちゃけど、救急車が来てたんだって」
「………」
「聞いちょ!?」
「…それ確かやと…?」
私もだんだん力が抜けてきた。立って電話していたハズなのに、イスを探して座っていた。
「うん…まだ、聞いた話やから分からんけど、お母さんもちょっと聞いてみるわ。また分かったら連絡するわ」
「うん…。」
電話を切った後も、力が入らずフラフラしていた。と同時に気も立っていた。ただ待っているだけというのも嫌だったし、おばちゃんが亡くなったのは間違いやったってなって、お母さんに怒りをぶつけたかったから、すぐゆみ叔母ちゃんに電話した。何回も呼び出し音を聞いたが出ない。一旦切って、でも間髪入れずに、今度は出るまで呼び出し音を聞き続けた。
「もしもし?」
「どういうこと!?」
「叔母ちゃんも聞いた話やから、分からんちゃけどね…。この前の土曜日は普通に教えてたらしいっちゃけどね…。」
母と同じ内容の話をされた。
―――私が聞きたいのは、そういうんぢゃなくて、「救急車で運ばれたけど、大丈夫やったみたいよ」とか、そういう話が聞きたいのに…!けど、2人とも同じ話をするって、確定やっちゃろうか…。受け入れろってことやろうか…。でも…。
泣きそうになっていた。思考もだんだん停止しようとしている。私の沈黙が長かったのか、
「…大丈夫!?」
耳元から叔母ちゃんの声が聞こえてきた。
―――そうやった…。おばちゃんと電話中やった…。
「…うん。」
でも、全然大丈夫ぢゃなかった。我慢してた涙も、おばちゃんの「大丈夫?」で溢れてきた。
「とりあえず仕事中やから切るわ…。」
「叔母ちゃんも、また何か分かったら連絡するから。」
電話を切ってから、ウソだって誰かに言って欲しいのと、これはたぶん確実やなと気づいている自分もいて、涙が止まらない。
もう、何もかもがどうでもいい。仕事中だろうが、メイクが崩れようが、つけまつげが取れようが、スタッフに泣き顔を見られようが、洋服が汚れようが…何も考えられなくなっていた。椅子に座る力すら入らなくて、床に崩れ落ちた。壁にもたれかかって、流れるだけ涙を流させた。放心状態…。
バックルームに入ってきたスタッフが異変に気付いて、声をかけてくれた。
「中村さん、大丈夫ですか?」
「………」
声を出す気力もない。
「また、貧血ですか?」
「………」
私はよく、低血糖で貧血みたいになって立っていられなくなることがあった。その時はいつも、顔をうつ伏せにして何かにもたれかかっていたから、そう声をかけてくれたんだと思う。
放心していたのに「大丈夫?」の一言で、また感情が溢れ出した。それまでお母さんと叔母ちゃんと電話で話していた内容を思い出してしまった。
―――おばちゃんが亡くなった…。
嗚咽が漏れる。職場であることも忘れ声を出して泣いた。いつもと違う様子を察してか、周りがあたふたしている。でも、そんなの私には関係なかった。
「何!?どうしたの!?」
「わかんないけど、泣いてるみたいです…。」
「ふーみん、どうした!?」
「習字のおばちゃんが亡くなったかもって…。」
私はちゃんと声を出したつもりだったのに、思ったより小さいかすれた声になっていた。言葉を発する力も残っていなかった。
私が、どれだけおばちゃんのことが大好きで、大切で、慕っていたか…。ここのスタッフは知っている。いつも「親よりも誰よりもおばちゃんが亡くなった時の方が泣くわ」って話していたから。おばちゃんも、私が宮崎に帰ってきて今のお店に勤め始めてからは、よくカットやカラーで来てくれていた。スタッフとも仲良く話し、トマトやらキュウリやらスタッフみんなに差し入れしてくれたことも度々あった。だから、スタッフもビックリしていた。
「ふーみんの上着と荷物まとめて持って来てやって。」
「店長が今日は帰っていいって。とりあえず、おばちゃんとこ行って確かめて来た方がいいよ!」
―――動きたくない…。というか動く気力が…出ない。
「中村さん…、上着…。」
「とりあえず、行くだけ行った方がいいって!」
―――そうよね…。ウソかもしれんもんね…。
少しずつ意識がはっきりしてきて、手足にも力が入るようになってきた。のそのそと立ち上がった私に、後輩が上着を着せてくれた。
「はい…バッグ…。」
「ありがと…。」
それだけ言うと、足早にお店を後にした。いつも仲良くしている隣の店舗のスタッフに「お疲れ様!」って言われたけど、言葉が出ず会釈するだけになってしまった。
家までは走れば10分程度。とにかく早く家に帰って、車に乗っておばちゃんちに行きたくて走った。南国宮崎と言えども、1月の日が当たらない夕方は寒い。でも、寒さは全く感じなかった。
―――お願いだから!間違いであって欲しい!「こんなウソつくとか最低や!」ってお母さんを怒りたい!
前のめりな気持ちを赤信号が制止する。
―――こんなにもここの信号長かったっけ?
マンションに着くと、家にも上がらず、駐車場に直行して車に乗っておばちゃんちに向かった。涙で視界がぼやる。拭いても拭いても溢れ出る涙が運転の邪魔をする。事故りそうになりながらも、必死に車をとばした。大人になって初めて、声を出して泣いた。車の中で1人であることも手伝ってか、それは次第に叫びとなっていた。溢れ出る感情が涙の放出だけでは追いつかず、それが雄叫びとなって出ていた。そうでもしないと行き場を失ったこの感情が、私の中で悪さをしそうだった。
おばちゃんちに着いて、子供の頃いつも自転車を停めていた砂利のところに車を停めた。車から降りておばちゃんちの方を見上げる。その瞬間、気づいてしまった。いつもなら妹さんと2人暮らしで静かなおばちゃんちとは違う何かに。
―――やっぱり…!?
玄関に近づくにつれ、いつもならいないはずの人達の声が聞こえてきた。習字の部屋の入口のところにも、いつもあるおばちゃんの下駄がない。明らかにいつもと様子が違う。
―――マジで…!?ウソぢゃなかったと…!?
それでも信じたくなくて、大勢の人がいるところに行きたくなくて、習字の部屋の入口に向かった。引き戸を引こうとした時、中に人の気配を感じた。明らかにそこに似つかわしくない男の人の気配。私はそのまま入口の外で泣き崩れた。しゃがんで泣いていると、男の人が引き戸を引いて現れた。
「おばちゃんは…?」
「こっちに…。」
涙で顔をグチャグチャにしながら、声にならない声で聞くと、その男性は玄関に案内してくれた。
「どうぞ…。」
男性の手が導く方を見ると、そこにはちょうどおばちゃんが入るくらいの、白くて長い大きな箱が横たわっていた。
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