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黒と白と、ときどき朱(あか)~最終話~恋しい、けど、もう大丈夫

 おばちゃんは、まだ大人になったばかりの私に、人が死ぬとはどういうことなのかを、身をもって教えてくれた。

 大切な人が亡くなるとどれだけ悲しいのか、大人になっても声を上げて泣くことがあるということ、人は死ぬと冷たく硬くなること、葬式と告別式ではどういうことをするのか、その間おばちゃんは変わらず綺麗で、でも火葬場に連れて行かれ、火葬場がどういうところなのか、冷たく狭く閉ざされた空間に入れられ点火され、その間最期のお別れの食事をすること、そして次会う時には骨だけになってること、それは意外にもろく軽く、もうそこにはおばちゃんを感じられなくなっていること…。

 そして何より、大切な人を亡くすと、人間というのはこんなにもボロボロになるんだと、ドラマの中の話だけではないと思い知った。


 これまでは、常に人生の軸になっているものがあった。夢とか目標とか、やりたいこととか。高校生までは部活、専門学校からは美容に打ち込んだ。そして、その傍らにはいつも習字があった。でも、今は美容師も体が追いつかず辞めてしまった。習字も全部の師範を取ってからは、依頼がない限り書いていない。初めて軸をなくした。軸をなくすと、仕事をどう頑張ればいいのか、休日をどう過ごせばいいのか分からなくなった。生きていても面白くない、そう思うこともあった。


 おばちゃんの手が恋しい。あのゴツゴツした骨の感触も、硬い皮膚の感触も、力が反発し合って書きづらかったことも、すごく懐かしい。私の手を包み込むように一緒に握って書いてくれたあのゴツゴツした感触が、温もりまでもが蘇って感じられる。本当に懐かしく恋しい。もう一度、もう一度だけでいいから「ここはねぇ」って、一緒に握って書いて欲しい。そしたら、私は力を抜いて全てをおばちゃんに任せて、おばちゃんの手の感触をしっかり感じながら、その温もりを忘れないように記憶しながら書きたい。

 習字の部屋の引き戸を開けた瞬間の、おばちゃんの真剣に書いている横顔。でも、すぐこっちを向いて全力で迎え入れてくれる満面の笑顔。

 おばちゃんは何があってもいつも肯定してくれた。褒めてくれたし、認めてくれた。そして、一緒に喜んでくれた。自分の気持ちをよそに、いつもみんなのことを考えてくれた。私もそんなおばちゃんのような人間になりたい。まだまだ、おばちゃんには到底及ばないけど、自分よりも他人を思いやれる人間になりたい。


 おばちゃんが亡くなってから8年半が経つ。そろそろ顔を上げて前に進まないといけない。この8年半、いろんな人が愛情を注いでくれていたことに気づいた。

 ある時、職場の先輩に、思わずおばちゃんの話をして泣いてしまったことがあった。おばちゃんがいなくなった今、婚約者を一番に紹介することも、結婚式に呼んで花嫁姿を見てもらうことも、子供が産まれて抱っこしてもらうことも、もうできない。だから、結婚をする気も、恋人を作る気も湧かないと。それから、その先輩は事あるごとに気にかけてくれるようになった。その職場を辞めた後も呑みに誘い出してくれ、「お前は愛情に飢えているんだな」って言われた。それまでまったく意識したことなかったけど、図星だった。

 確かに家族から愛情を受けた記憶がない。いや、小さい頃はあったんだろうけど、大きくなるにつれて、それ以上にイヤな思いをしたから、それで記憶が上書きされたんだ。

 だから、褒めてなんでも肯定してくれて認めてくれる優しいおばちゃんが大好きだった。コンプレックスの塊だった私に習字という誰からも奪われない自信をくれた。いつの間にかおばちゃんに依存していたんだ。それだけおばちゃんがくれた愛情は大きくて、その分失ったものも大きかった。

 けど、この8年半、いろんな人から愛情をもらっていたことに気づいた。友達、同志、同僚、先輩、後輩、大好きな人…。一緒に笑い、一緒に泣いてくれた。正直何人いても、おばちゃん1人の愛情には足りないし、到底敵わないけど、私にも愛情を注いでくれる人はたくさんいた。8年半かかったけど、やっと気づくことができた。

 だから、自信を持って、前を向いて、歩いて行こう。

 本当は、もう一度だけ…、もう一度だけでいいから、おばちゃんに会いたい。夢でいいから会って話をしたいって思う。約束を守ったときも期待したけど、夢には出てきてくれなかった。もし、結婚や出産の報告をしたら、夜に夢に出てきてくれるというのなら、頑張りたいと思うけど。でも、おばちゃんと同じように教え子に囲まれて全うする人生も素敵だなと思う。実の子供は無理でも、習字教室を開いて教え子に囲まれる人生も。おばちゃんも喜んでくれるかな。教え子ならぬ教え孫ができたら。

 正直、おばちゃんの死をちゃんと消化できているのか分からない。まだ、ちゃんと泣けてないし、今でも思い出して泣くことがあるから。これから先も、また思い出して泣くかもしれないけど、それはきっと必要なことだから。一旦立ち止まって泣きたいだけ泣いて、また歩き出せばいい。

 いつかの、あの時みたいにアクセル全開にして。

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