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黒と白と、ときどき朱(あか)~第7話~おばちゃんからの卒業

 高校に進学した後も、部活はソフトテニスを続けた。中学の時は特に強豪校というわけではなく、ただテニスを楽しんでいる趣味の延長のような部活だった。しかし高校に入ると、強豪校の仲間入りするほどの中学から来た部員も多く、しかも女子部員は少なかったので、いつも男子と一緒に練習しメニューも男子に合わせるため、めちゃくちゃハードだった。放課後はもちろん、土日祝日もGWも、夏休みも冬休みも、いつも部活で潰れた。しかも、高校も県内トップの進学校だったため、普通の授業プラス、朝課外、夕課外があり、夏休みはお盆の3日間以外、冬休みも年末年始の12/30~1/3以外は1日中課外があった。だから、習字に行く時間もなかなか取れず、おばちゃんちに行く回数も減っていった。そんな生活が1年ほど続いた。

―――テニス部やめて書道部に入ろう。

 2年に上がった頃から、そう思うようになっていた。本当は、テニスも好きだから兼部できたら良かったけど、高校が兼部を禁止していて出来ない。だから、どちらかを選ぶしか選択肢がなかった。どちらかしか選べないのであれば、テニスを続ける理由もなかったので、即決で「書道」だった。

 その日も授業と夕課外を終え、テニス部の練習をした後に下校した。夜遅くに帰宅し「テニス部をやめて書道部に入ろうと思う」と親に言ったら、反対された。元々、部活は運動部には入れと言われていたので、反対されるのは想定内だった。

 親が運動部に入って欲しいのは体が作られるから…。昔の頑固な人間なんだ。でも、それが書道部がダメな理由にはならないし、習字と書道部とで極めることの何がいけないのか、まったく分からない。親の気持ちも分からないではないが、これは私の人生。私は親の所有物でもないから従う必要もない。これまでも、これはダメだ、あれはダメだ、こうしなさい、ああしなさいと虐げられてきたが、これ以上、理由のない親のわがままに付き合っていられない。親の了解がないと入退部できないわけではないので、勝手にテニス部に退部届を出し、書道部に入部届を出した。

 次の習字の日、おばちゃんにも書道部に入ったことを報告した。

「おばちゃん、うちねぇ、テニス部やめて書道部に入った!」

「へぇ~、そうね!そしたら、もう長友先生に教えてもらいないよ!」

 長友先生とは、高校の書道部の先生で大東文化大学出身で、宮崎の書道界では有名な先生。墨友の審査員もするほどで、すごい先生であることは知っていた。その点、おばちゃんは大学を出たわけでもなく、元々看護師をやっていて引退後に趣味で始めたのが習字教室だった。分かりやすく言うと長友先生はプロでおばちゃんはアマチュア。それでもおばちゃんは、私たちに教える傍ら自分自身も先生について習っていて、いろんな書体を勉強して4つの師範を持っていた。

―――え…!?なんで…そうなる…の!?

 長友先生についた方が上達するのは分かるけど、上達するかどうかはどうでもよくて、書いている時間が好きで、おばちゃんに習うのが好きで続けていたのに…。急にフラれた感じでショックだった。私が豆鉄砲をくらっていると、おばちゃんが続けた。

「だって、ふみかさん上達しすぎて、もうおばちゃん教えきらんもん(笑)手本も後藤田先生に書いてもらってるし。」

 後藤田先生とは、おばちゃんが習っている先生だ。後藤田先生も、どこだったかは知らないが、ちゃんと書道の大学を出ているプロ。

 いつの日だっただろうか…。半紙に直接朱墨で書いた手本ではなく、誰かが書いた手本を印刷した上質紙に変わった時から、そんな気がしていた。最初は、他にも同じ文字の課題の子がいるから、1枚だけ手本を書いて、あとは人数分印刷して、効率良くしているだけかと思っていた。しかし、よく見るとおばちゃんの書き癖とは違う点が目に付くようになり、後藤田先生に書いてもらっているんだと思った。だんだんと私とおばちゃんの書道のレベルの差が縮まってきていて、おばちゃんも教えきれなくなっていることに薄々気づいてはいた。でも、だからって…。

「えー!このままここがいい!」

「いやー、もう書道部入るっちゃったら、長友先生のがいいよ。あの先生はすごいし、その方がふみかさんのためやが。」

 中学卒業と同時におばちゃんの習字教室をやめる人が多い中、高校に上がってからも続けて習いに来るのは私を含め、ほんの数人だけだった。おばちゃんの習字教室は人気だったから、次から次へと親が習わせたいと言って、小学校に入学したばかりの新しい子が入ってくる。そんなヤンチャな教え子が多い中で、自分が教えなくてもいい、しかも自分より優れている先生に教えてもらうと知れば退きたくなるだろう。おそらく後藤田先生に手本書いてもらってるのだって、タダではない。かと言って、私たちからプラスで手本代を徴収することもしない。

「別に上手くならんでもいっちゃけど…」

 断られるのは分かっていた。わがままだということも。これ以上言ったらおばちゃんを困らせることも分かっている。でも、どうにかしてすがりつきたかった。

「ダメやと…?」

「…長友先生に教えてもらいなさい。」

 優しい口調だったけど、もう何も言わせないというような強い意志が感じられた。

 それから、おばちゃんちには行くことはなくなった。

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