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黒と白と、ときどき朱(あか)~第12話~私の中の壊れていく音

 本当だったら、私はもう習字なんて辞めているはずだった。仕事との両立も大変だし、ただでさえ休みが少ないのに、毎月の課題を提出をしようとするとさらに遊べる時間が減る。それでも、今でも習字を続けてるのは、おばちゃんとの約束があったから。それがなかったら、とうの昔に、1つ目の師範を取った時点で辞めていた。でも、その約束は生きているうちに果たすことができなかった…。

 親戚の方がお茶とお菓子を出してくれた。けど、声も出せず会釈するのが精一杯で、ずっと正座したまま涙が止まらない。親戚の方たちはおばちゃんと私の話を続け、それが聞こえるたびに涙が溢れ出た。

 その間、ずっとおばちゃんの1番そばに座らせてもらっていた。というか、顔を見たいのに見たくない、そんな複雑な気持ちのまま動けずに、顔側のすぐそばに座り続けた。

 そこへ知った顔のおじちゃんが現れた。子供の時に一緒に習っていた子のお父さんで、地域の集まりやお祭りなどで、何度か見かけたことがあった。ただ、おばちゃんの甥っ子にあたる人だって分かったのは大人になってからだった。おじちゃんが私のそばに来て言った。

「今日は来てくれてありがとうね。明日も16時から大塚のファミーユでお葬式があるんだけど、来れる?」

 「もちろん行くに決まってるぢゃん!」っていう気持ちと、「葬式」というワードに現実を付きつけられて複雑だった。声が出せなかったので、とにかく頷いた。こんな時なのに、時間と場所を忘れないようにしているちょっと冷静な自分がいて腹が立った。

 もうしばらくそばに居させてもらってから車に戻った。ただ、すぐには運転する気にはなれなくて、運転席の背もたれに上半身を預け脱力する。ドアを閉めると音が遮断され、全ての外の世界から自分が切り離された気がした。無だった。何も考えることができず、ただただ呆然とした。

「なんで…?」

 思わず心の声が音を成して口から出ていた。なんで亡くなったのか、なんでおばちゃんだったのか、なんで今だったのか、いろんな「なんで?」が浮かんできて、また涙が頬をつたった。ひとしきりボーっとして、実家に向かった。“かも”ぢゃなくておばちゃんは“亡くなった”ことを母親に伝えるために。

「あんた、どこに行っちょったと?電話したっちゃが!」

「おばちゃんちに行ってた。明日お葬式だって。」

「おばちゃんち行ったっちゃ。なら良かった。ゆみ叔母ちゃんと話しちょったとよ。おばちゃんち行った方がいいやろうか?って。でも、あんたが顔出したんだったらいいね。」

「うん…。」

 こたつに肩まで入って横になった。母には背を向けて、テレビを観ているフリをした。涙が一粒流れ落ち、枕にしていた座布団を濡らした。

「葬式も行くと?」

「うん…。」

 泣かないようにするのに必死だった。親の前では泣きたくなかった。

「香典どうする?」

「お姉ちゃんとよしこの連名で出すわ。」

 私は三姉妹の真ん中で、姉も妹も私も3人とも、おばちゃんちに習字を習いに行っていて、すごくお世話になっていた。姉は結婚して鹿児島に、妹は岡山の大学に行っているから、私が3人の代表で葬式に出ることにした。

 座布団のシミが広がっていく。母に伝えることは伝えたし、涙を我慢するのも限界にきていたし、とにかく独りになりたくて自分のマンションに戻ることにした。

「帰るわ…。」

「あ、そうね…。気を付けてね。」

 車に乗り込みエンジンをかけて、実家に背を向け走り出した瞬間、ストッパーが外れた。嗚咽を漏らしながら、泣き叫び続けた。涙には流れるがままに流させてやった。


 マンションの駐車場に着き、いろいろ疲れてボーっとしていると、携帯の着信音が鳴った。マネージャーからだった。マネージャーはパートだから、私が早退したことは知らないはず、だけど、たぶん誰かが連絡したんだろう。

「はい…。」

「ふーみん、聞いたよ。大丈夫?」

 優しい声だった。その優しい声に、またも涙腺が破壊されていく。話すことができない。電話の向こうでマネージャーも泣いていた。それもそのはず、マネージャーもおばちゃんに可愛がってもらっていた。おばちゃんは私のお店に来るとき、いつもトマトやいろんな野菜を差し入れに持って来てくれた。みんなにっていうのと別に、私用とマネージャー用に小分けしたものをいつも持って来てくれていた。お店に来て私の手が空くまで待ってる間に、マネージャーがよく話しかけてくれていたから、その時に仲良くなったのだろう。おばちゃんがマネージャーと楽しそうに話しているのを、私も遠くから見ていた。

「…もう今は家?」

「着いたけど、まだ車の中です…。」

 なんとか声を出せた。

「…おばちゃん…亡くなってました…。」

「そう…。私も仲良くさせてもらってたから、知らせを聞いてビックリしてさ…。最近までお店に来てて普通に元気やったから、すごく急で…。」

「3日前まで、普通に子供たちに習字を教えていたらしいです…。」

「そう…。ぢゃあ、本当に急やったっちゃね…。ふーみん、大丈夫?」

「大丈夫…ぢゃないです…。全然…。だって…めっちゃ大好きやったし…。親よりも誰よりも大好きやったのに…。しかも、今年に限って新年の挨拶行ってなくて…。年賀状は出したけど…それがめっちゃ後悔してて…。会いに行っとけばよかったって思って…。」

「そうやったっちゃ…。でも、ふーみん本出したわ!おばちゃん喜んでたと思うよ?」

「うん…。それだけが救いやけど…。親戚の人たちもみんな『あんたのこと我が子のように想ってたよ』って言ってくれて…。」

 そこまで話すと、苦しくなり、過呼吸みたいになっていた。その間もずっと、マネージャーは「うん…うん…」って一緒に泣いてくれた。

「ちょっとこんな状態ぢゃお客さんの前に立てないですし、明日お葬式に行きたいのでお休みさせていただきます。」

「うん、うん、いいが、いいが。お店のことは大丈夫やから、最期の挨拶をしてきない。」

―――最期のって…。

涙が止まらない。

「ありがとうございます…。」

「私も行けたらお葬式行きたいんだけど、どこで何時からって分かってる?」

「大塚のファミーユで16時からです。」

「そう。また決まったら連絡するね。ふーみん、今は本当に辛いやろうけどね…、」

 マネージャーは、そこで話すのを止めた。続きは「時間が経てば…」とでも言いたかったのだろうか。それとも「気をしっかり持ってね」とでも言いたかったのだろうか。でも、何も言わなかった。私としても何も言われたくなかった。言われたとしても、言われた言葉は素直に聞き入れられなかっただろう。そんな2日3日で立ち直れるほど軽い悲しみではない。どんなに泣いても涙は止まらなくて、叫びすぎて体は疲れきっていたし、頭の中もおばちゃんとの想い出でいっぱいだった。こんな状態で気をしっかり持つなんてできなかった。

「…ありがとうございます。それぢゃあ…。」

 それだけ言って電話を切った。ハンドルに顔を伏せて体を預けた。少しずつ過呼吸も治まり、気持ちが落ち着いたところでマンションの部屋へ向かった。

 部屋に上がっても何もする気がおきず、床に座り込んでベットに体を預けた。頭を後ろに倒し、天井をボーっと眺める。そしてまた一筋、目尻から溢れた涙が頬を冷やした。それを合図に、また行き場を失った感情が暴れ出す。声を出してひとしきり泣いた後、一気に疲労感が襲ってきた。座っているのも辛くなり、ベットに横になった。その後も、体は疲れ切っているのに頭の中はおばちゃんのことでいっぱいで、思い出しては声をあげて泣き、落ち着いてボーっとして、また想い出が蘇ってきて泣いて…を繰り返して、いつの間にか眠りについた。

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