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「話す」ことは「放す」こと@1日6,000歩#164日目

21/1/17 6,322歩/6,000歩達成✨(+322歩)


1.午前:小川方面へウォギング。往復41分。

2.夕方:近所をウォギング。11分。


「話す」ことは「放す」こと


昨年11月から、「いつか書きたいな」と思っていたこと。

娘の七五三を間近に控えたある日。私は数年前からお世話になっている個人経営の美容院に居て、還暦を迎えたばかりの美容師さんに、ある話をきいてもらった。

人に話すつもりはなかった話だけれど、美容師さんが話を引き出すのがとても上手な方で、質問をしてくださったので、初めて話したのだった。

その話とは、「自分の七五三詣で」のこと。

女の子は、一般的に、三歳と七歳で、

男の子は五歳で「七五三詣で」をするとされている。

自分が三歳のときの七五三は、着物を着て家族で神社で撮った写真が家に飾ってあったので、「七五三、やってくれたんだな。」と認識していた。

では、七歳の時は。

「七歳は、やらなくてもいい。」

根拠は不明だけれど、母が、何度となくそう言っていたことを、覚えている。

七歳当時の私は、特に七五三詣でへのこだわりもなかったし、母が「やらなくてもいい。」というのなら、そういうものか、とこだわりなく、捉えていた。


さて、時は流れ。娘が小学1年生となり、数え七歳となった。

私の捉え方は、子ども時代そのままであった。

「七歳の七五三はやらなくてもいいと聞いてきたし、自分もやっていないし、こういう時節でもあるし。・・・やらなくて、いいかな。」

秋が近づいてきたころ、義母から、「七五三の着物はあるの?」と七五三詣でをやる前提で、尋ねられる。

前述のような自分のおもいをそのまま伝えると、

「私はやってもらった。やるでしょ?」とおっしゃる。

娘に聞いて、決めることにする。

私「着物を着て神社にお詣りに行きたい?」

娘「うん、きもの、きるー!」

ということで、娘の七五三詣でを行うことにした。

娘の着物をどうしようかと考えて、ふと、「そういえば、お姉ちゃんが赤い着物を着ていた写真もあったな。あれって七歳?その着物、とってあるかな。」と思い出し、母へ電話で尋ねる。

私「お姉ちゃんが着てた赤い着物、とってあったりする?」

母「・・・探してみればあるかもしれない。」

私「そういえば、七歳の七五三はやらなくていいって、お母さん言ってたよね?お姉ちゃんはやったんだね。なんで私はやらなかったの?」

母「・・・。お父さんが亡くなった次の年で、気持ちの余裕がなかったんだよ。ごめんね・・・。」

父は私が年長さんの年の9月に、病気で亡くなっている。

私の七歳の七五三のタイミングは、父の一周忌の少し後。

夫が亡くなり、子ども三人を連れて引っ越しをし、仕事をし、家事と育児をしていた母。それどころでなくて、当然だ、と思う。

少し考えれば分かりそうなことなのに、母に謝らせてしまった。配慮のない質問をした。母との会話の後、そのように、自分を責める気持ちがあった。


この一連のことを、私は誰に話すつもりもなかったけれど、美容師さんに質問されるまま、話をした。

「・・・母にひどい質問をしちゃったな、って思ってるんです。」

ということも話した。

と、美容師さんが、

でも、よかったですね!

「・・・?」

「お母さんが生きている間にきけて、よかったじゃないですか。」

「・・・。確かに、そうですね。こういう機会がなかったら、きけないままでしたね。」

その後、美容師さんは七五三当日の娘のヘアスタイルについてのアドバイスや、着物を着る予定の私のために、自分でできるアップヘアについて、丁寧に指南してくださり、ヘアスタイルの本も「持ってっていいよ!」と貸してくださった。

この日、美容師さんに話を丁寧に聞いてもらって、自分が過ちととらえたことを、「よかったですね!」と言ってもらえて。その一言で、自責の念が、成仏していくのを感じた。災い転じて福と成してくれるような、一言だった。

帰り道に、しみじみと、

話すことって、放すことなんだなあ。」

と思ったのだった。

20/7/28から、人生の満足度を高めるために、1日6,000歩以上歩く(走る)ことにした。
詳しくはこちらに↓

歩き始め初期の効果はこちらに↓


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