見出し画像

寂しいの向こう側

「行ってお帰り〜」という言葉は僕が田舎に住んでいたときによく聞いていた言葉だ。さっき調べたらどうやら方言だったらしくてじぇじぇじぇって感じ。あ、言葉の意味としては出かけてる人にかける言葉で、僕が学校に行こうとしているときに近所の人に言われた。僕も「行って帰りまーす」って言ってたような気がする。今思えば、いってらっしゃいと送り出すだけの言葉よりも行って、帰ってらっしゃいというのは暖かみを感じる。確かに人に気に掛けられる暖かみを感じて育った僕だが、家から見える山々の景色を眺めていると閉じ込められた様な感覚に陥り、あの山の向こうも見てみたいななんて思って東京にやってきた。

東京という街は情報の多さと賑やかさを感じるけれど、ものすごく寂しい街だと思う時もある。こんなに人がいるのに僕のことを知っている人はいないし、もちろんすれ違うあなたのことを僕は知らない。隣の家に住んでる人の顔も名前もほとんど知らない。ゴミ捨て場で出会った人に挨拶をすると無視だってされる。満員電車なんてたっっっっくさん人がいるのに容赦無く自分のエリアを確保するための押し合いが始まり、背の低い人は体が持ち上がるほどの板挟みに合い、ほとんどの人がイアホンをし携帯を触り、外部の情報を遮断し、皆、ひとりぼっちになる。そう、ひとりぼっちの人がたくさんいる。僕もその一人。

この映画はとある島が舞台である。そこに住む三兄弟の物語。長男哲雄、腹違いの次男徳太、徳太の妹いぶき。主人公は徳太、暴力的な性格の哲雄が仕切る「置屋」(家が風俗みたいになってる)で四人の遊女と長年の持病で体調の悪いいぶきの世話をしている。この島への交通手段は1日に2回しかやってこない船で、その船がやってくる港で新しい客を捕まえようとする徳太。客が捕まえられなければ兄からのひどい虐待が待っている。1日の大半を遊女の下着を洗濯、妹の世話、客引き、兄貴の暴力、備品の買い出しで過ごしている。愛を与えられなかった三兄弟が複雑に絡み合い、向き合いきれない現実からもがく中、誰にも言えない秘密を抱えた徳太がそれを打ち明ける。

僕は映画の中で生きているこの人たちは世界のどこかにほんとにいるんじゃないかと思えてくる様な映画が好きだ。もちろん現実を忘れさせてくれるエンタメも好き。この映画は圧倒的に前者で、登場人物たちが抱えるドラマがひしひしと伝わってきて、自分のその部屋に居合わせている様な感覚にさえなる。

徳太がながめる海はとても狭く見えて、僕でいうところの山に近いものがあった。海はあんなに広くて優雅にみえるのに、徳太の背中とその奥にある海は狭く、あの向こうの世界が果てしなく遠くに思えた。タコに話しかける徳太、犬に話しかける徳太。道端に咲いているタンポポに話しかける徳太。彼には挨拶してくれる近所の人もいなければ、心配してくれる友人も親もいない。

この映画のすごいところは時代背景の情報量を徹底しているところだ。この映画には携帯電話が登場しない。スマホもガラケーも出てこない。ましてやテレビも出てこない(あれ、見落としただけかな?)冷蔵庫も見た記憶がない。あとエアコンも。唯一目に止まったのは黒電話。そして原発反対運動と、テレビ局の人が来るかもしれないからと普段着ないスーツを着ておめかしするおじいちゃん。

あとはなんといっても俳優の方々の芝居。これはもう是非劇場で体験してほしい。そう、鑑賞というより体験に近い感覚だった。映画の番宣で山田孝之さんが、「是非徳太の孤独に寄り添ってあげてほしい」の様なことをどこかの番組で言っていた気がしてそれを思い出しながらこの文章を締めくくろうと思う。徳太という人ではないけれど、僕の中にも孤独でどうしようもなくなる自分が少なからずいて、
誰かとの繋がりが恋しくなったりする時はある。きっと周りにもそんな人がいるはずだろうから手を差し伸べられる人になりたいなと思った。
そんな綺麗事を並べてはみたものの、
帰り道、とある駅構内で一人しゃがんで泣きながら電話している女性を横目で通り過ぎたのは僕だ。

「はるヲうるひと」

この記事が参加している募集

#映画感想文

66,387件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?