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【読書記録】こちらあみ子/今村夏子

 この本を読んだきっかけは、映画「花束みたいな恋をした」を観たことです。
 この本に収録されている「ピクニック」という短編は、主人公の麦と絹が感銘を受けた小説で、映画の中でも重要なシーンに何度か「今村夏子のピクニック」というキーワードが出てきます。
 私はこの映画の世界観が大好きで、俳優さんも好きで、おまけにロケ地は20代の自分が住んでいたり働いていたりよく知っている場所ばかり。映画の好みが全く合わない夫と「この映画、いいよねー」とめずらしく共感した作品でした。それなのに、私は今村夏子さんの「ピクニック」は読んだことがなく、これは絶対に読まなくてはと直後に本屋さんで手に取っていました。

 この本には「こちらあみ子」、「ピクニック」、「チズさん」の3編が収録されていて、巻末の解説には町田康さんと穂村弘さん。読んでからその余韻にしばし浸り、さらに解説を読んで、もう一回最初から読み直したくなりました。そして、この本の凄さに改めて気付かされています。映画の中では「ピクニック」が絶賛されていますが、私は「こちらあみ子」の方が強く印象に残りました。
 「こちらあみ子」はあみ子の視点で描かれていますが、読み進めても、純粋で真っ直ぐで、それ故に視野が極度に狭く、相手の気持ちや距離感、空気といったものが全く読めないあみ子に感情移入することはできず、それに翻弄される周囲の家族や友人たちの感情に心が揺さぶられていきました。それでも、あみ子にはあみ子の世界があることを強く認識せざるを得ず、それがとても苦しい感覚でした。あみ子が「なんで誰も教えてくれんかったんじゃろう。いっつもあみ子にひみつにするね。絶対みんなひみつにするよね。」というセリフも、心に刺さります。

 一般的に共感するのが難しい状況や視点から描かれているという点では、他の2編も共通しているように思います。
 「ピクニック」は主人公(ルミたち)に共感しながら読み始めましたが、途中で違和感が出てきます。違和感を感じる前は、一般的な感覚を持つ人物だと思われる「新人」の行動に対して異質だと感じてしまいます。しかし、改めて読んでみると、物語はルミたちの視点で描かれているのですが、ルミたちの感情は一切描かれていないことに気付きます。「ルミたち」の感情がどうだったのかというところは読者に委ねられているのですが、私は集団のいじめってこういう感覚なのかもしれないと、恐ろしさを感じました。最後に「新人」が「ルミたち」の仲間になっていることにもゾワッとする余韻がありました。
 「チズさん」も、一般的な世界ではない視点から描かれていて、そこから見ると一般的な人々の様子こそが異質に見える。そもそ主人公は一体何者なんだろう….。ぐるぐると想像が掻き立てられます。

 いつもと違う視点から世界を覗き込み、自分の感覚って正しいの?と感じたり、真実は一体どこにあるのかなと色々なことを考えさせられる作品たちでした。時間を置いてもう一度読みたいです。

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