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ソーシャルワーカーという立場

 私は,ソーシャルワークの専攻の学科を卒業し2年を迎えた。私は最初所属していた大学の学科は精神保健福祉士を養成する学科に所属していた。さらにその3年後には,精神保健福祉士だけでなく社会福祉の領域をもっと深めていきたいを理由に,大学を編入学し社会福祉士を養成する学科に2年間所属した。実際5年間の大学生活の中でソーシャルワークを学んできたことになる。この5年間で,私は2つの大学でソーシャルワークを学んできたことに後悔はしていない。その主な理由には,自分が考えてきたことを深堀りし,多角的な視点が持てるようになった。大学生活の中でも,重視したものが地域活動とソーシャルワークの学問領域を併用して考えることだった。地域活動では,地域という場に自ら行動していく中で,そこの中で獲得される味わいが,「いのちをつなぐ絆を深める地域のネットワークづくり」に貢献できた点であった。



2019年 東日本大震災 ボランティアツアー時の写真

 先の,「いのちをつなぐ絆を深める地域のネットワークづくり」には,ただ単に地域活動していけば良いということではない。地域活動の中で生まれる形なのである。その地域の中には,過疎地域で人口減少している実態,災害によって遊び場が減って,子どもの居場所がない,障がいを持っている子どもの世話している高齢の親などなど身近な問題が社会問題になっているという認識から,どのようなことが出来るのかという点で多く考えさせられた。そこで私が行ってきたのが,自主的に行動し地域でネットワークに向けてつながりを増やしていくこと,そしてその活動に参加することを実施。そうする中で,絆が生まれていく。さらには,そこに存在していた困り感に傾けていくことへの重要性でもあった。良く社会福祉の領域では,児童・高齢者・障がい者・生活困窮者といった分野で学ばれてきていたが,私はこのやり方にもっと深めていく必要があると思う。それは日本国内には外国人・被爆者・在日朝鮮人・ハンセン病・水俣病・部落なども存在していることを置き去りにしてはならない。
その地域には,このような資源があるというものを掘り起こし,協力していく形でも重要であるし,その人々の声にも傾けていく必要があると思う。例えば,実際には,その地域には被爆者が立ち上げた団体があるイベントに参加し,地域のネットワークで,被爆者団体と協働した取り組みが必要になってくる。
さらに,歴史的な背景を学ぶ中で,社会福祉は資本主義を批判する立場の中で,日本の資本主義の確立の背景を学ぶことも重要だと感じている。例えば,日本が起こした朝鮮半島の植民地支配時代には強制連行してきた歴史があるといった国家独占資本主義の確立。その地域には,朝鮮人強制連行されていた場所を見学するという方法もある。

札幌市南区:藻岩犠牲者の碑

この歴史から何故学んでいかなければならないのか,簡単に言えば,差別してはならないという認識が一つである。特に私が思うには,吹田ほかが述べている「私たち現代に生きる者は未来社会への指針を単に現在思考に止めず,過去
の歴史的事実の集堆積に深く学ぶ中から,予見と洞察の教訓を引き出さねば
ならない」(『社会福祉への接近』ミネルヴァ書房 吹田 盛徳,古閃 慶之,豊田 慶治 編著 1984)にあると思う。
 さらには,ソーシャルワークのグローバル定義にも「植民地主義の結果、西洋の理論や知識のみが評価され、地域・民族固有の知は、西洋の理論や知識によって過小評価され、軽視され、支配された。この定義は、世界のどの地域・国・区域の先住民たちも、その独自の価値観および知を作り出し、それらを伝達する様式によって、科学に対して計り知れない貢献をしてきたことを認めるとともに、そうすることによって西洋の支配の過程を止め、反転させようとする。ソーシャルワークは、世界中の先住民たちの声に耳を傾け学ぶことによって、西洋の歴史的な科学的植民地主義と覇権を是正しようとする」とある。このように植民地支配の反省から人権及び社会という点では,ソーシャルワークは必要不可欠だと思っている。現状況だとロシアによるウクライナ軍事侵攻によって苦しむ住民の心が戦争によって傷ついている。戦争は住民の心を奪うだけでなく,生活全般を失ってしまうことになる。生活を支えていく役割を担うソーシャルワーカーとしての役割は大きい。そのためにも,私たちが直面している戦争・災害・貧困など様々な社会的な課題に向き合いながら市民との連帯がソーシャルワーカーとして重要だと思う。今回は,戦争の悲惨さそして核兵器を持たず,ソーシャルワーカーとしての市民連帯には被爆者団体との協力関係の基で地域のネットワークづくりでした。そこで私に打ち明けていただいた被爆者の方が「今まで自分のことを話すことがなかった・・・」という声が印象的であった。また子どもの居場所や福祉施設でも利用者さんの語りでも勉強になったと思っている。このように,私たちの声が届き,その声が今を生きている私たちにとって,つなぐいのちが光となることだという確信でもありました。


 最後に私はソーシャルワーカーとして福祉施設に留めるのではなく地域の中でも,多くの人々が声をあげ,時には閉じられていたものが開かれていく声へと届けられるように地域の中にある資源を見つめ,その人々と共に考えていけるような存在でありたいこと,そしてネットワークづくりに取り組み続けていきたいと思っている。
私たちの声は今を生きる証でもあり,いのちをつなぐ光なのです。
※久々の投稿のため,温かく見ていただけると幸いです。

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