見出し画像

思い出は奇麗で

#みんなの卒業式

ドラマや漫画で見るような、キラキラした卒業式というものは、
生まれてこの方ない。
第二ボタンを女の子にあげる。
卒業式の最後に体育館の裏で愛の告白などといったことを経験せずに、
この年まで生きてきた。

ただ、そんな自分でも「卒業」という綺麗なカタチで
皆に「頑張ってこい!」と背中を押されるような出来事があった。

8年前、22歳になったばかりの2月の終わり。

「部長、お話があるのですが……」

業務時間が終わり、ドキドキした気持ちで声をかけた。理由は一つ。
「会社を辞めること」であった。ネガティブな理由ではなく、ポジティブな理由だ。

その前の週に社会人入試というもので大学で面接を行い、結果は合格。
晴れて、大学4年間学ぶことを選んだのだった。

「大学に行くのか……」部長は驚きの表情をしていた。それもそのはず、社会人から大学生になるということが、世間では認知されているものではないし、日本中に数えてもそんなにいないと思う。それでも、実社会を通じて学びが足りないと感じたのは、働いてからだった。

信用組合で窓口をやっていたため、お客様の対応などをやっていた。毎年のように何かしらの試験を受けていたのだけれど、その資格が実務につながるようなことはほとんどなく、資格を試験を受けていた中で、法務3級の試験は毎年のように落ちていたのもきっかけだった。

大学を出ていない自分にとって、民法などは言葉はわかっていても、意味を理解していなかったのもあった。

「今、挑戦することを恐れてどうするんだ!」22歳だからといって恐れることはないし、まだ挽回ができる歳でもあった。むしろ、ポジティブな気持ちで、自分が学びたいって気持ちで行動するからこそ、きちんと身につけることができるのではないか?と思った。

「まだ時間もあります、そして勉強したいと思ったからです。」

そんなこといったような気がする。

それから1ヶ月、引き継ぎをした。

全然、仕事ができない自分が、いっちょまえに年上の後輩に指導をしたり、ひと目読んだら、イメージしやすい手書きのノートをつくったり、手順書などをつくる。

その書類を作成するたびに、

「この事務作業のとき覚えるのに苦労したな……」
「お客さんに迷惑をかけて上司と一緒に謝ったな……」

様々な思いが、こみ上げてきた。

それだけでなく、実年齢は年上なのだけれど、後輩が飲み会、ご飯を奢ってくれたり、最後だからという理由でおもてなしをしてくれた。当時、AKB握手会に行くほどのファンであった後輩に、

握手会の券がない (笑)

 AKB48『GIVE ME FIVE!』のシングルももらった。

「卒業の意味であげます……」


『卒業とは 出口じゃなく 入口だろう』**

2012年3月31日付で信用組合を(卒業)することになった。

そして、最終日に

「餞別や!」
部長から5000円の入った封筒と、中にこのような手紙が入っていた。

画像1

帰り道、涙を堪えながら自宅に向かっていた。

このときから、他人とは違う道を選んでいた。この選択をしなければ、会わなかった人たち、今でもつながるような出来事はなかったと思う。

卒業のカタチはそれぞれだ。

大学生から社会人へ……
社会人から大学生へ……

またスタートする。

一度、区切りがあってまたはじまる。

自分で選択した未来なのだから、この道は正解だと思っている。





コンテンツをお読みいただきありがとうございます。 サポートのお金はライティング向上のための資金として使います。