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書き続けて感じたことは、年齢に比べ経験したことがあまりにも少なかった話





思えば物覚えが良い方ではなかった。

高校卒業後、金融機関に入社したときも誰よりも出来ないことが多い人材だった。同期が3人いたのだが、何故か自分だけ出来ないことが多く苦戦していたことがある。仕事に対する習熟度は一番低かった。
鈍臭い自分はいつも悪目立ちしていた。裏で色々言われていたこともあった。
他人に誇れるようなスキルもなかったし、二十歳にもなっていない未成年が、誰かに必要とされることもなく、目の前をがむしゃらにやっていくことしかなかった。

当時は自己肯定感という言葉を知らず、結局自分で解決するか、時間がなんとかしてくれるなどの思考回路しかなかった。

2年目のとき、はじめて会議の書記を担当することがあった。仕事の効率化を図るため、意見を交わしていた。議論を交わしている内容を一言一句見逃さないようにメモをするのだった。

しかし、相手が言っている言葉の意味を知らないこともあり、その言葉が出るたびにフリーズした。「全部メモればいい」「要点だけまとめればいい」上司は簡単に言っていたが、理解力は人それぞれであって、自分は理解力が乏しい人間だった。

同期は、涼しい顔をして記録していたわけだが、自分はそうではなかった。

会議に参加をしていた後輩に議事録をみてもらい内容がこれで合っているのかを確認してもらって、議事録となる。


「う〜ん、ちょっと内容が良くないですね。もう一度、まとめ直していただけないでしょうか?」

普通に書記をして一度や二度の差し戻しはあって完成すれば、普通なのだろう。後輩とのやりとりで軽く五回ほど差し戻しをされたことがあった。


議事録が完成するまで2週間もかかっていれば、鈍感な自分でも流石に違和感を感じないわけではない。

このときから同時進行に物事を進めることが困難だということを実体験で学んだ。

先輩として終わっているエピソードである。

先輩や上司はこんな不器用な自分でも優しく接してくれていたこと。そのため、後輩や年下の人との接し方をどのようにすればいいのかわからないままだ。

年上だからとか、年下だからというものがより一層、人間関係を構築する上で、難易度を上げるのだった。

丁寧に接したいがフラットすぎるのもよくないという曖昧な思考がより調整が難しく、臨機応変な対応というその場で正解を出せという瞬発力は自分にはなかったのだ。

思えば就職活動も嫌いだった。
社会人から大学生になって同じように面接を重ねたが、他の人はどんどん内定を貰い、自分が希望した会社から内定を貰うまで、ずっと就職活動を続けていた学生もいた。
どんなに頑張っても自分は何かを選ぶ立場になれなかった。なれるのならなりたかった。「就職活動が楽しくてもう一度したい!」という人種になれるのならなりたい。そんなエピソードを見るたび、聞くたび、劣等感を感じられずにはいられなかった。

面接は嫌いだ。相手の意図を考えて真面目にコミュニケーションをすることが得意ではない。楽しそうな状態や面白いことを言おうとするときは違うのだが、相手の反応がわからないことは恐怖で仕方なかった。
相手に合わせて質問に応えること、意図とは違うことを言ってはないだろうかと考えれば考えるほど、発した言葉に自信がなくなるのである。
内定をいただいたのも大学四年の10月くらいだった。

早めにインターンに参加をしていたのも関わらず、この様である。

書くことは好きである。noteを書いているとき、目の前に映る描写を書いているときは楽しい。ただ、自分のことを書くときは嫌で嫌で仕方ない。職務履歴書を書いたとき、自分の経験したことを書くのだが、手が止まるのである。

転職サイトで職務履歴書を提出する際、何度も自信喪失をした。今まで生きてきたことに誇りを持てず、今も生きてきたことに対して誇りを持てないでいる。

友人、知人が結婚や出産などのライフイベントをみるたびに自分の番はいつ訪れるのだろうか。

待っていたってはじまらないのである。自分を変えたくて文章を書いたり、写真を撮ったり、転職サイトに登録して、出来ることを増やしながら生きている。

20代前半のとき、10年後はきっと器用な人間になっていると思っているだろう。
残念だが、そんなことはない。壁を越えてもさらに大きな壁にぶち当たっている。

いつかは、この自信というものが目に見えて認められるようになるのだろうか。

大丈夫です。病んでおりません。

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