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noteの代表作が欲しくて頑張っていたのだけれど…

正直な話、「今もnoteをバズらせたい……!」という気持ちがないわけではないのですが、半年ほど前よりもその気持ちも落ち着いているように思います。
ただただ、noteの住人の人たちに追いつきたかった。
ライティングゼミにも通いながら、別のプラットフォームでも実績を、結果が欲しくて突き進んでいたような感じがします。

「自分は他人よりも劣っている、できないことが多い……」だから誰よりも量をこなさなければ、誰よりも文章について考えなきゃ、遊んでいる場合じゃない!心は休みを求めていたのにも関わらず、そんな気持ちを無視して、ただひたすらに書いてきた。

ようやく、最近「なんか違うな……思っていることが違うな……」納得のいくような着地点みたいなものを見失っていたような気がします。

「読者をなめている!」何ヶ月か前にそんなこと言われていたなということを思い出して、今までの文章を振り返ってみた。書き手はそのときの熱量や気持ちが真空パックされていて、心地の良いものに見えるのだが、読み手から見てその記事は心地の良いものなのか。というとふと疑問を感じました。

「狙って書くこと」は重要であるのだけれど、それをずっとすると自分の気持ちとズレが生じていた。確かにライティングゼミの記事をnoteに投稿しても同じような結果が得られるわけでもなく、スキであってもシェアされるものでないし、ライティングスキルばかりだけだと、自分の思っていることがどんどん隠れていくようになっていった。

「そんな邪な気持ちも読者には伝わっていく……」

ダッシュボードを見て、自分の文章が読まれても……心が動かないような記事ばかり書いたところで、それはタイムラインを、相手の時間を奪う行為でしかないことに最近気づいた。

「難しいな、ライティングって……」情報媒体が違うとこんなにも反応が変わる。変化し続けないといけない社会情勢、同じことばかりしたところで、過去と同じような結果が出るわけではない。

再現性……言葉にすると漢字で3文字簡単にできそうに見えるけど、全然違う。器用な性格ではないし、まだ書くことに対して1年も経っていない状況でずっと成長ばかりに目を向けてきたのだけれど、少しばかり気持ちに余白を空けてnoteに取り組んでいこうと思います。

外出禁止ってきついな。ずっと外出ばかりしていた人生だったので今の状況に身体を合わせていくことでストレスを感じ、焦りがより加速してしまったのかな……

だけど、おうち時間を楽しむために書籍を1万円分購入して、普段読まないような本を読んでいます。ちょいちょい、読書感想文のnoteをあげると思いますが、そうやって誰かの力になれるような、記事をつくり続けるようにしたいと思います。

「書くことはサービス」

できることって案外自分ではわからないものなんだなあと思いながら記事を書いてます。




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