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瞳子の場合

窓際4人席、ミルクティーを飲みながら2時間本の世界に沈み込むのが高校生からの習慣で会社員になってからも変わらない。無垢のテーブルには味のある染みが増え、少し硬い革のソファには経年のひびが目立つ。足にざらりと触れるたび、ふいに現実に引き戻される。気分が沈む時や胸に傷が出来た時、ここで本を読むのを心の支えにしている。白地に藍色の柄のティーカップは薄く繊細で、味と香りを引き立てる。こっくりとした味わいの紅茶を飲むたびにざらついた心が落ち着きを取り戻す。

分かり合える人がいないから孤独なのではなく、ひとりを信じる強さ。世界を広げてくれるのは本だけでなく3人目の中庸な意見だと気づかせてくれたふたりに今も感謝している。

私だけ今もここにいる。


アンダーアーマーの名入りジャージを着た見るからにスポーツ万能のアイキ、学校帰り、制服のままいつも本を手にしている瞳子、そして大抵私服はバンT、お金と時間の許す限りライブに行きたいと話すチハヤ。

通う高校も趣味も別々、ベン図で言ったら重なり合う部分がなかった私たち。普段満席になることのないこの喫茶店であの日、相席したからだった。

軽くコーヒーだけのサラリーマンが多いのに、その日に限ってカウンターでマスターに深刻な相談をするお客さんがいて、いつものテーブル席に座るともう他に空きがなかった。

カウンターの端っこを陣取ってマスターに話しかけるチハヤ、ドアのすぐ右手のテーブルに座りジャージ姿で参考書を広げるアイキ、2人のことは前から知ってた。というよりレトロな喫茶店の中に異質な雰囲気を醸し、目を惹く存在だった。

続いて入店したものの席がなく悩む2人に「よかったら、ここどうぞ」って声をかけた自分に驚いた。何か同じ匂いを感じていたのもしれない。

大して愛想の良くない3人は何となく同じテーブルを囲んだ。くだけた自己紹介が始まるわけでもなく、名前を尋ねる前に本のタイトルを聞かれた。

「今日は何を読んでるの?」ギターコンクールに出場する人の話。「誰?」****、前に芥川賞を取った人。「知らんな」

「あなたは誰のライブに行くの?」今日はインディーズデビューが決まったスリーピースバンド。「スリーピース?」3人組ってこと。「なるほど」

「あなたってあの進学校のバスケ部?」多分想像通り。「部活終わりの塾通い?」そう、食べると眠くなるからドリンクだけで時間つぶしてる。

なんとなく素性が分かったところで、それ以上の詮索はしない。この空気感が心地よかった。でも名前だけは知りたいな、そう思ったと同時に和音のように声が重なり、3人とも思わず顔を見合わせて吹き出した。

「私はチハヤ」「私アイキ」「瞳子です」



「ここはちょうどいいんだよね。人が多いわけでもないし、うるさい学生がいないから」チハヤが静寂を破る。

「なに、そのうるさい学生って」と瞳子が口を挟む。

「だから無意味に奇声を上げたりするじゃない?ファストフードとかと違って私たち普段は静かじゃん、ほぼ。要するにしゃべらない私たちは誰の邪魔もしないってこと」そう言うとアイキはコーヒーフロートの残りをズビッというおかしな音を立てて吸い上げた。

チハヤはライブ前の腹ごしらえを兼ねていつもココアを注文する。ココアにはいつからか1枚ビスケットがついているし、少し多めに生クリームをトッピングされているのを気づかないふりをして、次のライブのチケットの心配をしてみせる。

「私たちも前は一緒の空間にいても全く話もしなかったのに、今じゃ3人揃ったら当たり前のように同じテーブルにいる。不思議だよね」瞳子がいつも注文するシンプルだけどていねいに淹れられた香り高いミルクティーは多分アッサムだ。


「奇数の面倒さってない?『私達友だちだよね』って念押しされるたびに何だか息苦しくなって。その割に一緒にいる子の悪口とか私に言ってきて。友達って何だろうって考えちゃう」瞳子がつい本音をこぼす。

「知ってる?ライブってひとりで来てる人結構多いんだよ。でもみんなそのアーティストの音楽を楽しみたいから、ひとりがいっぱい集まって同じ時を共有すんの。普段は別々でも大好きが一緒の人とは友達になれる気がする」

「私もチームワークは大事だけどひとりが多いよ。部活と趣味は違うし無理に合わせようとしないから。でもひとりも今ここにいる3人も奇数じゃん。大切にしているものを平気でバカにしたり、何でも一緒じゃないと安心できない人と無理して付き合わなくて良くない?念押しするほど不安な人もいれば、宣言しなくても友達になれる人もいるのに」

「ただね、ふたりだと〇か×しかないけど3人目がいたら△が生まれるの。賛成、反対、もう一つの意見。だから3って数字は好き」アイキがそう言ってほほ笑んだ。

いつ揃うか分からない3人。ここで会って話して別れる。それだけで充分。この先もこの関係が続いたらいいと思っていた。


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