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カッコ悪い自分と向き合った1週間の毎日note最終日

今年最初の1週間は必ず毎日noteを書き続けようと決めていた。今日はその最終日。たった1週間だけど、毎日その日にあったことと向き合って書くのはひさびさに新鮮な気持ちがした。

昨年の12月にnoteをはじめて3周年のお知らせが届いて、その時にこれまでのnoteとの向き合い方を振り返った。書きはじめてすぐに開催された第1回note酒場。多数アップされるイベレポや感想文を読み、実際にnoteを書いている人たちが存在し、交流を深めていた文章に心震わせ、私もいつかこの場所に参加したいと考えるようになっていたのを思い出す。

もう既にnoteの中の有名人、長く書き続けている人たちがたくさんいる中で、私の書いた文章を読んでくれる人がいるんだろうか。最初の頃は1000文字にも満たない短さで、簡単にサラリと読んでもらえる長さにしました、なんて強がっていたけど、息を吐くように文字を綴る人がいる中で、私は絞り出してやっとこの長さしか書けなかった。しかも心の内を書けるはずもなく、上滑りしている言葉だけ。それでも知り合いが読んでつけてくれるスキを見るだけで頬を赤くして。

どこで見つけてくれたのか、まったく知らない方が読んでスキをつけてくれた日を思い出す。そしてコメントをいただけた日。一方通行でただ綴っていただけの文章が相手に心に届いたと知り涙をこぼして感激したこと。

noteを読んで感想を伝え、交流できるようになり、noteの中で友達と呼べる人ができた。毎日noteの世界に書き込まれる文章を読み、むき出しの感情を長文で綴る人たちに憧れを抱きながら、同じ場所に並べるはずはないと一歩引いた場所から眺めていた。

第二回note酒場で顔を見てありがとうを伝えられた人たちに、口下手で伝えられない気持ちを文章に表せたら。そう思いながら、言葉を磨く努力をしてこなかった。居心地のよさだけを感じながら、ただその場に留まっていたかった。

変わらなきゃ、と焦る気持ちは心を乱す。磨き続けない文章はくすみ、輝きを失くして、そのうちに感情は零れ落ち、何も残らなくなった。書き続けられなければ存在しないのと一緒、透明になっていく自分は気配も感じられない。
そっと手を差し伸べてくれる人、大きな気持ちで見守ってくれる人、つぶやきに必ず反応を示してくれる人、DMやメッセンジャーで直接連絡を取ってくれる人、人よりも何歩も遅れをとっていても守られている気がした。

ぽっかりと抜けた記憶も、力が足りずに焦る姿も、勝負にも出ずに負けを認められないカッコ悪い自分を手放したら、いつか内に秘めた自分を認められるはずだと、そう思い、無理せずに続けられそうな年始1週間だけの毎日noteを書くと決めた。

まだまだカッコ悪さを出し切れない私は数人にしか伝えていなかったけど、書き切れた。

書けば書くほど、表現力の足りなさにもどかしくなり、こんな文章をあげている間に筆力の高い人たちの心揺さぶられるnoteが次々とアップされていく。

恥ずかしくても物足りなくても、深く潜れていなくても、書き続ける。いっぱい恥をかく、恥の上塗りをしても文章に残す。忘れ去られていく記憶を残すために、私が今日何を考えていたかを思い出すために。

まずは最初のチャレンジを終えた。あきらめなければ勝ちをひとつずつ積み重ねられる。少しだけ光りはじめた文章にはよく家族が登場していた。平凡だけど私にとって生活のベースは家族と過ごす日々で、そこから見つけるしあわせや気づきが思考の整理につながっていると気づいた。私が見ている日常を、輝きを失わないよう毎日ではなくても書き続けていく。

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