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最後の大会

4時半起きのお弁当作り。タイマーをセットしたジャーからは湯気が立ち上る。無事にたけていることを確認し、お皿やのりを準備する。いくら眠くても、この手順だけは体が覚えているようで、間違えていない。

炊き立てのご飯はびりっとしびれるほど熱い。手を濡らし、少しの塩をなじませ、艶のある白いご飯をその上にのせる。実家の母がつけてくれた深い紅色をしたやわらかな梅干しを真ん中に入れ、大きなおにぎりを握る。お皿の上で冷ましながら、その間にソーセージをゆでる。簡単に食べられて栄養のあるもの、お腹をいっぱいにはしてしまわないように。そして、凍らせたゼリーは保冷剤とご褒美のデザートを兼ねて。

これで最後だと思うとしみじみする。オンシーズンはほぼ毎週のように試合に参加。競技かるたに熱中していた小学生時代、家にいることを好んでいたムスメを見ていて、中学の部活で陸上部を選ぶほど走ることが好きだったとは気づかなかった。記録は伸びなかったけれど、休むことなく部活に向かう姿は母親から見ても惚れ惚れとする、自慢のムスメだ。

長い間痛みが引かずMRIを撮ったこと、筋肉痛の体をマッサージし続けたこと、お弁当作り、たった3年間、運動音痴の母にできることはたかが知れていた。一度として競技場で走る勇姿を見ることはできなかったけど、細い体を弾ませて、きっと楽しんで走っていたでしょ。

お弁当は食べきれるかな。残してもいいよ、無理をせず食べられる分だけ食べてくれたらそれでいい。

ニューバランスの黒いスニーカー、白いスパイク、これで出番も終わるんだね。高校生になったらもう陸上はしないって。少しさびしい気もする。いつもザザーッと砂が出てくる相棒たちも、今日で最後。

毎日の朝練も、よく頑張ったよね。普段は着たことがなかった黄色が、いつのまにか部活のTシャツでよく似合うようになっていた。お母さん、すぐに感極まって、想像しているだけで泣いちゃいそうだ。

帰ってきたらきっとお腹を空かせているはずだから、母はせっせとひき肉をこねる。スパイスを効かせて、つなぎを入れて、感触を楽しみながら、帰ってきた時の笑顔を想像しながらこねる、こねる、こねる。げんこつよりも大きなサイズのハンバーグ、トマトソースも作ったし、チーズもたっぷり載せて、ハイカロリーなハンバーグ。きっと塾の時間ギリギリまでおかわりして、「毎日ハンバーグでもいいんだよ」ってニヤニヤしながら困らせるようなことを言うんだろうな、いつも通り。

思ったよりも帰りが遅いね。雨だからずぶぬれになった体を早く温めるようにお風呂に入ってほしいんだけど。


「最後の部活、お疲れ様、今日は帰りが遅かったね、ごはんもお風呂も準備してあるよ」

気が急いて、一度にたくさん言葉が出る。

お風呂を先に済ませたら、もうあと少しで塾の時間。ハンバーグをほおばりながら、

「そうだ、引退延長になったから」

中3の部活延長って何?理解できず、言葉が少ないムスメに説明を求める。

どうやらリレーで1位を取り、200mで自己新記録を出し、幅跳びでも良い成績が出て、監督推薦で次の試合の参加権を得たらしい。

部長と二人、次の試合まで引退が延長になった。大器晩成タイプだったのか、最後の最後に記録を伸ばしたようだ。人生何が起こるか分からない。

という訳で、最後の大会がもう一つ増える。

母のお弁当作りも引退延長、部活引退のお祝いの食事ももう一度作ることになる。またハンバーグでいいんだろうか?

最後の最後にご褒美が巡ってきたのは、諦めずに楽しんでいたから?きっとこの先にも良い兆しが見える。ムスメにはもちろん、私にもきっとおこぼれがあるんだろうなって、勝手ながらそんな気がしている。




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