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the finders2019 ハービー・山口 レクチャー参加レポート


福岡アジアアートウィーク 2019 02.23-03.02 02.24 ハービー・山口氏 写真と心のサイエンス 福岡市科学館

当日は1日を通してFINDERS  LECTURE CREATIVE SCHOOLが開催されていた。

12:20開催予定のハービー氏レクチャーは前の部が押したため、10分ほど遅れて開講された。

入室を許され、二列目の席に座る。一番前の席は既に埋まっていた。

ハービー氏は部屋に入ると、最前列の男性のところに近づき、「前にもどちらかでお会いしていますよね」と声を掛けた。男性は嬉しそうな表情で会場名を伝え、ハービー氏から「今日も来ていただいてありがとうございます」とお礼を告げられるシーンを目にした。

出席者の顔を覚えている?男性が印象深かったのか、それとも何度も来訪しているのか、冒頭から驚きを隠しきれず、柔らかい表情にくぎ付けになった。

時間が押していることもあり、簡単な紹介の後、すぐにレクチャーが開始された。


ギャップをなくす


黒の革ジャンとストール、ハラコのシューズといういでたちで登場したハービー・山口氏。

ピンマイクをつけ、会場を歩きながら、恵比寿のお店で購入したというストールについて話し始めた。

そのお店は古着のデッドストックを利用し、色を染め直したりポケットやファスナーをつけ足したり、デザインを変化させて販売している。

商品の新旧、老若男女にこだわらず、誰もが手に取ることのできるファッションをコンセプトとしたそのお店は、商品においてもギャップをなくし、フラットなものとして命を与えている。

ギャップとは何か

例えば年齢、男と女、階級・・・

人は悲しいかな自分でギャップを作ってしまう、というよりも作りたがる。ただ、ギャップを一度すべて外したら、自由になれる。

それならギャップを埋めるためには?

今日はギャップについて話していきたいと穏やかな笑顔で話してくれた。


ハービー・山口 名前の由来

生後間もなくカリエスを患い、幼少期には石膏のコルセットをしたまま。

体育の授業にも参加することのない少年は、先生でさえいじめをする時代、孤独に耐えていた。

そんな時に勇気を与えてくれたのは音楽。

中学生になり、憧れのブラスバンドに入部しフルートを手にするも、体調悪化のため退部。

音楽はその後もずっとハービー氏を支える存在となる。

その後、大学20歳ごろバンド仲間と共にそれぞれミドルネームをつけようということになり、ジャズフルート奏者ハービー・マンからハービー山口と名付け、現在に至る。

ちなみにバンド仲間のジェフとポールは崖の上のポニョで大橋のぞみちゃんが歌っていた後ろの2人、藤岡藤巻さんとのこと。驚き。


ロンドンでの生活

ハービー氏は大学を卒業後、半年の約束で写真の勉強のためロンドンへ渡る。その時にもハービーというのはとても良い響きだ、いい名前をつけたねといろいろな方から褒められたそうだ。

ロンドンでの生活が半年を過ぎるころ、ビザ延長をもくろみ、募集のあった日本人劇団のオーディションを受け、合格する。生バンドの演奏に合わせ、せりふのない動きだけのその劇団で100回は舞台に立ったという。そして半年の期限を決めて旅立った生活は10年に及ぶ。

劇団に所属していた時に、アメリカでは既に有名だったサンタナのdrums マイケル・シュリーブがバンドを脱退し、新しいバンドを引き連れてイギリスに来た。

その時、ハービー氏は「なぜお金や名誉を捨ててまでサンタナを抜けることにしたのか」と尋ねると、マイケル氏は

「人生は名誉とお金だけじゃない。人生のレールは自分で作っていい、やりたいことを試すのが人生さ」「カメラマンを目指す君も僕と同じ人生を歩んでいるんだよ」と。

日本では働いてお金を得る、安定が大切とされている中、ロンドンでは自分に正直に生きることを勧められる。この一言は背中を押す大きな勇気に代わる。

またある時、地下鉄ベイカーストリートの駅で偶然、ザ・クラッシュのジョーに遭遇。プライベートの時間に邪魔をしてもいいものかと悩むハービー氏は勇気を出して写真を撮らせてほしいと伝えた。

ジョーは「妥協するな、撮りたいものはみんな撮れ、それがパンクだ」と。

「That's PUNK」パンクの精神、どんな主張をしてもいい。

勇気を出して伝えることの大切さ

たとえそれがサラリーマンであっても、カメラマンであっても、自分の進むべき道を歩もうとする全ての人に通じる言葉を掛けられた。

時代が変化しても色褪せることのない30年前の出来事を多くの人に伝えていきたい、この思いをつなげていくことが使命だと話した。

私にも20年前のある苦い思い出が蘇る。今日はこの思い出を書き換えるために参加したのだった。


50歳、トラックドライバー

ラジオ番組でこの話を聴いたトラックドライバーから届いたメール。


私は今50歳、トラックドライバーをしています。30年前カメラマンになろうと海外を放浪、その後日本に戻り恋をし、結婚。子どもが生まれ生活のためトラックドライバーになりました。この話を聴いて心が動かされました。50歳の今でも写真を撮るのは遅くないですか」

ハービー氏は言う。


いくつになっても決して遅くない。その気持ちを持った時に、トラックの助手席にカメラを置いて、撮りたい時に撮る。

これまでの思い、経験の蓄積がある分、ギャップはすぐに埋められる。

汚れたウインドーが映っていたって、雨に濡れたワイパーが映ろうと、それがすべて個性になる。

思いをぶつけて撮ったらいいんだ、年齢は関係ない。

***

涙が止まらなくなった。

誰もが何者かになれるわけではなく、名のある人になれるわけでもない。それでも心の中にひっそりと抱いているものがある。

若い頃とは違い、自分なりに小さな幸せを手に入れるために今まで生きてきた。だからこそ、想いに火がついた今、大きな力に変化する。

***

ハービー氏の写真がスライドになって流れる。

そこに映る誰もがあたたかい。


時間が押していたため一人だけの質問が許された。

若い男性が質問するが、私の耳には届かない。さっきのハービー氏の言葉が頭の中をループしている。

そこで、ハービー氏が話し始めた。「いけない、一言も逃したくない」とメモを取る。


生き方

どれだけの人の心をポジティブにできるかを意識して生きる

願う心、信じる心がGOOD LUCKを招き、リアルになる

あらかじめ考えておいた言葉ではなく、その時に感じたまっさらの心が感動を呼ぶ

自分のポリシーを持つ

一歩上のレベルの友人と付き合う。正直な意見、勇気をもらえる人が本当の友達。愚痴だけ言う人とは友達にならない、切る


たった一時間のレクチャー、されど心に刻まれた言葉はいったいどれだけの重みがあるのだろうか。

人の痛みを知っているからこそ、人に勇気を与え、温かいまなざしで、穏やかな表情で人の本質をとらえるハービー氏。

自分の人生を自分で決めていいと、妥協をするなと本人の経験を多くに人に伝えることを使命としている。

あのストールでふわりと心を包まれたような気がした。

そしてストールを外すときにギャップが消えてなくなるんだ。

***

20年前の思いが、苦しみが、今日この日を持って何かに生まれ変わろうとしている。

そう思うと、いてもたってもいられなくなった。


これでレクチャーのレポートは終わる。次は番外編、私の心情に。

ハービー・山口氏との出会い、20年前の思いとは何かに続く。








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