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死との距離

コロナウイルスCOVIT−19が猛威を振るい、つい先月に京都から東京に越してきた僕にしてみればまだ東京本来の賑わいも知らぬうちに家から出ないようにとのお達しが。

今朝には幼少期から僕らのお茶の間のヒーローだった志村けんさんの訃報が飛び込み改めて今回の感染症への警鐘がその音を大きく打ち鳴らしたように感じます。

そんな中今回のコロナウイルスが飲食業界に与えた影響は多大なるものがあり、同じ業界に身を置くものとしてただただ想いをここに書き記しておきたくてこの文章を書いてます。

今回甚大な被害を受けている飲食業界。被害というのは主に経済的な意味がその多くを占めているのは言うまでもなく、やれ和牛券だ やれ外出自粛要請だ なんていうのにどうこう言いたい訳じゃない。何が悲しいって本当に大切なものを見つめる体力が業界に僅かしか残されていないと言うことだ。

経済的に余裕のある方やそのシステムを作っている方からしてみれば、こんなことで倒産するようなビジネスモデルを選択していることや、不測の事態に対する備蓄や対応策を持ち合わせていないのが悪いだけだと一蹴されるかもしれない。実際そんな人たちは本当に大切な あなた自身の命 に目を向けられている方が多いように思う。

ただ(恵比寿のご夫婦で経営されてるお店の旦那さんの言葉を拝借するなら)こと僕ら飲食業界において、無観客試合はできない

そういうビジネスモデルにしかできない素晴らしい感動があるのも事実で、それが主体の商売をしている沢山の人がいて、今回の出来事が刻む傷はとてつもなく深いものになるのもまた事実。その両者の意見を踏まえた上でもう一度考えて欲しい、おいしいってなんだろうって。

僕たち料理人の心がけるおいしいの根底の部分には至極当たり前に その料理に関わる全ての人々の命の安全 という揺るがぬ体制を敷かなければ成り立たないということを忘れてはならない。だからこそ命を預かる医師同様に白衣に袖を通しているのだと。

そう考えた時に今回のコロナで営業をやむなく一時的に停止するお店、縮小営業するお店、それぞれに歯を食いしばりながら苦渋の決断を下している。対応はそれぞれで営業をせざるを得ないお店も中にはある。どれだけ綺麗な言葉を並べても事実お金が無ければ必要最低限の生活も保てないし、こと経営者においては店の利益が出ようが出まいが従業員を解雇しない限り養わなければならないのだ。そんな中、国の確たる保証がなければ皆が揃って経済活動を止めるなんて不可能に近い。

だからこそ数々の料理人が今署名し賛同している「飲食店倒産防止対策」をはじめとする様々な活動に少しでも賛同してくださる方が増えることを願いたい。100%保証しろなんて言わないんでせめて80%でも国が保証すると声を上げてほしいし、自粛ではなく規制と明言してくれることをただただ祈るしか出来ることがない。それが本当に悔しい。

日本全土で考えるとまだ「自分は大丈夫」なんて甘っちょろい声が聞こえてきそうだし僕自身も先月まではそのうちおさまっていくだろうなんて考えてた。でも事実としてここまでの大きな事態になっていることに目を向けてほしい。飲食業界の人は経済的な意味も踏まえある意味の 死 を身近に感じられているかもしれない。でも まだ大丈夫だ とたかを括っているあなたに言いたい。あなたが菌を持っている可能性なんていくらでもあるし、対策を打ってかからないに越したことなんてないんだ。

かかってから話が違うなんて誰の耳にも届かなければ、あなたのそれまでの行動であなたの大切な人が命を失うかもしれないんです。今日の志村けんさんの訃報でさらに死への距離感が縮まった人は少なからずいる筈です。その感覚を忘れないでほしい。

普段から 命をいただき新たな命の糧とする職業に従事し、命との距離感が近い僕らですが、改めて 今ある命と死に対する距離感を測り違えない事こそが今この業界に求められている能力だと感じています。そしてせめて命をかけて目の前にある命と真正面から向き合ってる。そんな全ての飲食業界の人達の思いを我らが日本国が無碍にするようなことだけはしないでほしい。

国が今保証を求められているのは、政策の先にある素晴らしく価値のある国民1人1人の命であることを忘れないで欲しい、そしてそれを求める僕ら国民も命をぞんざいに扱うに等しい行為だけはしないで欲しい。まだまだ思うことはありますが沢山の関係者の方が様々な活動をされていて、テイクアウトや物販など、あちこちでこの死の波に抗うべくする料理人の魂の祈りが形になってあなたの手元にやってきます。少しでもこの文章を読んでくださった方がぼくらの世界に手を差し伸べて貰えるなら僕は嬉しいです。長文失礼しました。