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レーキ角とフェチズム — 路線バスを見るとF1マシンが頭に浮かぶ話

路線バスとF1マシン

日ごろ街でよく見かける路線バスと、世界最高峰の自動車競技を戦うF1マシン。
一見相反するイメージの両者であるが、とある路線バス・とあるF1マシンをみると「似ているな」と感じるものがある。何を言っているんだ?と思うだろうが、まずは下記の写真をご覧いただきたい。

三菱ふそうエアロスター(2PG-MP38FK)、京王バス多摩営業所J31748号車
RedBull Racing Honda(以下レッドブル)RB16B

どこにでもいるバスと、最高峰のF1マシンである。
タイヤが4輪(バスはリアがダブルタイヤであるが)であるのとハンドルで曲がること、エンジンがついていること以外ほぼ共通点がない。しかし見た目において、「よく似ているなあ」と感じるポイントがある。ヒントはレーキ角である。

F1マシンにおけるレーキ角

レーキ角とはF1の技術用語で、「マシン前後の最低地上高の差異により発生する、傾斜角」のことだ。マシン前部が地面に近く、マシン後部が路面から高い位置にあればレーキ角が大きく(要は前傾姿勢)、フロントとリヤの車高が均等であればレーキ角が小さいということになる。
F1では各チームが技術競争を繰り広げており、同じような見た目のマシンでもその設計思想は全く異なる。この違いはレーキ角にも現れており、メルセデスのレーキ角は小さい傾向、反対にレッドブルはレーキ角が大きい傾向にある。(2022年以降は規則が変わりグランドエフェクトカーとなり、レーキ角が大きいマシンは姿を消した)

メルセデスW12(上)とレッドブルRB16Bの比較画像。床下を見ると、RB16Bの方が前傾しているのがわかる。

レーキ角が大きいマシンの設計思想は「ハイレーキ・コンセプト」と呼ばれ、2010年レッドブルの最高技術責任者エイドリアン・ニューウェイによってもたらされたもの。これはF1マシン後部のリアウウィング下部に設置されているディフューザー(マシン下に流れる空気の整流板)に流れる空気量を多くする目的で生み出された発想で、その後2021年までに他チームにも波及した。
レッドブルのF1マシンは、ハイレーキの急先鋒であるといえるのだ。

路線バスにおけるレーキ角

さて、話を路線バスに移そう。路線バスをはじめ、バスのレーキ角はないことが多い。これは前扉と中扉の最低地上高に差異が生まれないようにするためだ。現に国内バス大手3メーカーのうちいすゞエルガ / 日野ブルーリボンは、レーキ角がほぼない。

いすゞエルガ(QDG-LV290N1)、小田急バス登戸営業所17-E9384号車。地面と車体の間隔をよく見ると、レーキ角はなく一定なのがわかる。ちなみにエルガとブルーリボンは統一車種であるため、設計はほぼ同じ。

しかし、三菱ふそうエアロスターは話が別だ。
LKG-MP35F/37F以降のエアロスターは、6M60型エンジンと尿素SCRシステム(尿素によって窒素酸化物を浄化する技術)の組み合わせで、エンジンからマフラー吹出口の間に触媒マフラー(浄化装置)が設置されたことにより、地面と配管関連とのクリアランスが必要になった。

三菱ふそうエアロスターに搭載されている触媒マフラー。

そのため、車体後部の最低地上高「のみ」15mmほど嵩上げし、前扉より10mmほど高い位置にある中扉の地上高を下部にオフセットし調整することで、この問題を解決している。

三菱ふそうエアロスター(2PG-MP38FK)、京王バス多摩営業所J31748号車。前輪と後輪のタイヤハウス上部のクリアランスをみると、前傾姿勢(レーキ角がある)なのがわかる。中扉下部は戸袋部分を含め、地上高を調整している。

F1マシン同様、路線バス車両においても各メーカーによって設計思想が異なっていることがよくわかる例といえよう。

あらためて両者を見比べると

路線バス界のハイレーキマシン三菱ふそうエアロスターと、F1界のハイレーキマシンレッドブルRB16B。

皆さんもうお分かりであろう。理由や目的は違えど、三菱ふそうエアロスターとレッドブルRB16Bのハイレーキなスタイル(前傾姿勢)が、とても似通っていると感じる。よって、街中でエアロスターを見かけるとレッドブルのF1マシンが頭に浮かぶし、F1観戦しているとエアロスターが頭に浮かぶ。

レーキ角とフェチズム

なんとも奇妙な視点ではあるが、皆さんもこうした「全然違うものだけど、独特の感じ方によって繋がるもの」があるのではなかろうか。

筆者はこの絶妙なレーキ角にたまらなく興奮を覚える。これはもうフェチズムと言っていい。両者(車)は様々な制約や目的のために、設計者が頭を捻り苦労を重ねた結果が、あの前傾姿勢なのである。

あらゆる製品において「ここなんでこういう風になっとるねん」と思う部分がある。しかし、ひとつひとつに理由があり目的があるのだ。それを感じ取り、愛していける人間になりたいものである。

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