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【小説】私は空き家(吹田市築53年)4

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「お茶、用意した分で足りるかしら?」
「今日は暑いものね。念のため、もう1本買っておく?」
「そのほうが安心よね。じゃあ私、買いに行ってくる」
「ごめんね、お願いします。暑いから気を付けて!」

梅雨が明け、暑さも厳しさを増したある土曜日。
午前中の早い時間にやって来たナツミさんとミチエさんは、落ち着かない様子で準備を進めている。
今日の午後、2年ぶりにトオルさん夫妻がこの家を訪れる予定だ。

この家――私をどうするのか、きょうだい3人の中で「売却」という結論は既に出ている。今日はおそらく、売却に向けた具体的な話し合いが行われるのだろう。
話がまとまれば、私が人手に渡るのは早いかもしれない。何せここは立地の良い場所だ。
もしかすると、遠方に住むトオルさんがここを訪れるのは、今日が最後になるかもしれない。
そう思うと、さみしさと同時に、この家で生まれ育ったトオルさんのたくさんの思い出が浮かんでくる。楽しかったこと、悲しかったこと。全て含めて、なつかしく幸せな思い出だ。
トオルさんにとっても、ナツミさん、ミチエさんにとっても、この家で過ごした思い出が幸せなものであって欲しい。
そのためにも、今日の再会できょうだい間のわだかまりがけるようにと願いながら、トオルさん夫妻の到着を待った


「こんにちは。本日は宜しくお願いします」
午後、先日こちらを訪れた不動産業者の女性社員が訪ねてきた。女性の後ろには、
「姉さんたち、久しぶり」
「ご無沙汰ぶさたしております」
トオルさんと、その妻のトシミさんが並んで立っていた。2人とも少し緊張した面持おももちだ。

「こちらこそ、よろしくお願いします。トオルとトシミさんも、遠いところありがとう」
「さあ、どうぞ上がってください」
明るく出迎えたナツミさんとミチエさんだが、2人もどこかぎこちない。
けんか別れした後、2年ぶりの再会だ。はじめから打ち解けた雰囲気ふんいきというのは、やはり難しいのかもしれない。
それでも、お互いが相手方を気遣きづかう様子がうかがえるのは、幸先さいさきが明るい。
きっと話し合ううちに、きょうだい3人、昔のように気の置けない会話で笑い合うようになるだろう。
そんな期待を込めて、居間へと向かう3人を見守った。


「事前に皆さんのご意見はうかがっておりますが、改めて。こちらのご実家、売却ということで進めて宜しいでしょうか?」
居間についてしばらく、まだ多少ぎこちなさは残るものの、世間話で皆の舌が滑らかになった頃合いを見計らって、不動産業者の女性社員が本題へとかじを切った。

「はい。この家を売却して、そのお金を3人で分けたいと思います」
ナツミさんが答え、その隣に座ったミチエさんがうなずく。

「私も、売却には賛成です。ただ、父の介護や荷物の整理などで姉たちには負担を掛けていますので、それを考慮こうりょして売買代金を分割できればと。さほど利益が出ないのであれば、私の取り分はなくても構わないと思っています」
テーブルをはさんでナツミさんの向かいに座ったトオルさんが、そうよどみなく言いきった。
自分の意見を主張することが苦手なトオルさんの珍しい姿に、ナツミさんもミチエさんもおどろいた表情でトオルさんを見ている。

「この家の売却のこととは、話がれるかもしれませんが……少し、この場をお借りしても大丈夫でしょうか?」
トオルさんの問いかけに、女性社員は「もちろん結構です」と笑顔でうなずく。

「2年前のこと、姉さんたちに謝りたいと思いながら、こうしてズルズルと時間が経ってしまって……あの時は、本当にごめん」
「私も、余計な口を出してしまって。申し訳ありませんでした」
トオルさんに続いて、隣のトシミさんも謝罪する。2人に頭を下げられ、ナツミさんとミチエさんは慌てて声を掛ける。

「そんな、2人とも顔を上げて頂戴ちょうだい。あの時のことは、私たちも謝りたいと思っているのよ」
「本当に。頭に血が上ってしまって、随分ずいぶんと2人に失礼なことをしたと反省しているの。こちらこそ、ごめんなさいね」
ナツミさんとミチエさんの言葉に頭こそ上げたものの、トオルさんは浮かない表情のままだ。

「そんなふうに姉さんたちを怒らせたのは、僕のせいだろ。浅はかだったんだ。『使わない家なんだから、売ってお金に換えればいい』って安易に考えてた。
そうじゃなくて、父さんやこの家のことを側で支えてきた姉さんたちがどう思っているのか、それを大事にするべきだったんだ」
ずっと後悔していたと肩を落とすトオルさんが、更に続ける。

「2年の間、この家のことを考えると、楽しい思い出ばかりを思い出すんだ。
今回、姉さんたちが売却を望んでいると聞いて、『実家が無くなる』と思うと、たまらなくさみしくなった。実家を手放すって実感してやっと、2年前、父さんが亡くなってすぐにも関わらず、自分がどれだけ無神経だったか気付いたんだ。
だから、姉さんたちに会って直接謝りたかった。本当に申し訳ない」

そうして繰り返し謝罪の言葉を口にするトオルさんに、ナツミさんとミチエさんは顔を見合わせる。
少し困惑こんわくした様子ではあるものの、2人の表情は穏(おだ)やかで、むしろ喜びがにじみ出ているようにも感じる。

「――トオルがこの家に『また帰りたい』って言っていると聞いて、すごく申し訳ない気持ちになったのよ」
言葉を選ぶように、ナツミさんが話し出した。

「トオルにとってもこの家は大切な実家なのに、この2年間、私たちが遠ざけてしまったって。本当にごめんなさい」
そう言うナツミさんに続いて、
「あなたたちが悪いって、意固地になってしまっていたの。私にも悪いところがあったのに……。トオルにも、トシミさんにも嫌な思いをさせて、ごめんなさい」
ミチエさんもトオルさん夫妻への謝罪を言葉にする。

「今日、あなたたちがまたこの家に帰ってきてくれて、トオルがこの家のことを大事に思ってくれているのを知って、すごく嬉しいの。
だからもう、謝るのはめにしましょう」
「姉さんの言う通りね。こうしてお互いに謝り続けていたら、時間がなくなっちゃうわ。そんなの、せっかく集まった意味がないじゃない!」
「ミチエ姉さん」
「ありがとうございます」
冗談めかして言うミチエさんの言葉に、トオルさんとトシミさんの顔にもやっと笑みが浮かんだ。

「先程、トオルはああ言いましたけど。私たち3人の実家ですから。売却で出た利益はきっちり3等分したいというのが、私とミチエの希望です」
きょうだいたちのやり取りを静かに見守っていた女性社員に、ナツミさんが声を掛ける。

「もちろんトオルの意見も聞いた上でですが、私と姉としては、先日お伺いした『買取かいとり』という方法で売却できればと思っているんです」
ナツミさんに続く形で、今日の話し合いに先駆け姉妹2人で話し合ったという内容をミチエさんが説明する。
荷物をそのまま引き取ってもらえること、手放す時期がはっきりと決まるために安心で、資金面でも計画が立てやすいことなどが、不動産買取を選択したい理由だという。

「姉たちの希望するように、不動産買取での売却で私は構いません。売却益の分け方に関しては……申し訳ない気持ちはありますが、せっかくの姉たちからの厚意ですので、素直に受けたいと思います」
姉たちの希望を聞いたトオルさんも、そう同意を示した。

「皆さんのご意見、承知いたしました。それでは、買取にて進めてまいりましょう」
きょうだいたちの意見を聞き、女性社員がにこやかに話し合いを進行していく。

「売却の際、『売主はその不動産の所有者でなければならない』という決まりがございまして。まずは、登記名義をお父様から変更する手続きが必要になります。
こちらのご実家と土地をごきょうだい3人の共有名義とし、ごきょうだい3人が売主となって売却する方法が一つ。
どなたかお一人の名義として登記し、その後に売却した上で、売却益を3等分するという方法が一つ。
どちらの方法を選択されますか?」

「これもトオルが承諾しょうだくしてくれるなら、ですけど。きょうだいの代表として、私の単独名義で登記するのが、その後の手続きがスムーズで良いかと思います」
女性社員の問いかけにナツミさんが答える。事前に承諾していたであろうミチエさんはうなずき、トオルさんも「それがいいと思います」と同意する。

「遠方の私が加わると、書類のやり取りに時間が掛かりますよね。ナツミ姉さんには面倒を掛けるけれど、代表して手続きを行ってもらえるなら有難ありがたい」
「本当に。私に出来ることは、何でも手伝うから。姉さん、よろしくお願いします」
「やあねぇ、2人ともそんなにかしこまらないでちょうだい。私たちの大事な実家のことですもの。それに、何か困った時には遠慮えんりょなく頼るから、宜しくね」
真摯しんしに頭を下げたミチエさんとトオルさんに対して、ナツミさんが明るく笑いながら言う。
そんなナツミさんの言葉に、ミチエさんとトオルさんも笑顔になり、顔を見合わせて3人で笑い合っている。

まるで昔に戻ったかのような、そんな光景だ。
この家で暮らしていた頃の3人はとても仲が良く、顔を合わせれば会話がはずみ、笑い声の絶えないきょうだいだった。
今、笑い合っている3人には、2年前のような険悪な雰囲気ふんいきも、つい先程までのぎこちなさも、まるでない。
昔と何も変わらない、仲の良いきょうだいたちだ。

もう、私に思い残すことは何もない。
お子さんたち3人が和解するところを、こうして見届けることが出来た。
私がなくなっても、3人はこれからも変わらず仲良く支え合っていくだろう。
これで心置きなく、家としての役目を終えることが出来る。

ご主人様家族と共に過ごし、お子さんたちの成長を見届け、奥様とご主人様を見送り、お子さんたちに見送られて役目を終える。
その長い年月を、家族に大事にされて過ごすことが出来た。
私は、本当に幸せな家だ。


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エピローグ

『私は空き家』とは
「空き家」視点の小説を通じて、【株式会社フル・プラス】の空き家活用事業をご紹介いたします。
※『私は空き家』はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


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