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サドベリースクールを作りたい!

サドベリースクールとは

サドベリースクール作りを夢見てから、
もう2年くらい経つ。早いなあ。

サドベリースクールについて、
わたし自身の言葉で一言で表すなら
今のところ、こうなる。

一人の人間として、
自分の人生を自分で創る自由と責任
 存分に謳歌できる場所。

カリキュラムはない。
宿題もない。
クラスもない。

誰かが決めた「学ばないといけないもの」を
強制されることはない。それのために、
自分らしさや自分の好奇心を手放さなくていい。

サドベリースクールにあるのは、
今日の自分の関心を好きなように好きなだけ追求し、
自分の「内なる自分の声」(グリーンバーク 2006、200)に
好きなだけ耳を傾け、その時の自分という人間を、
好きなだけ表現できるキャンパス。

関心を追求する上で、
その時のスクールのリソースに限りがあるなら、
外部の誰かに教師をお願いするもよし、
スタッフに教材購入を交渉するのもよし、
他に方法を探すのもよし。

教師をお願いするなら、
誰に、いつ、どれだけ、いくらで
手伝ってもらうのかについても、
スタッフや先生候補の方と交渉して決める。

そんな場を作り出すのは
子どもたちは、人間性の本質である生来の好奇心に衝き動かされることで、自分を取り巻く世界に分け入り、それを我がものとしていく途方もないエクセサイズを続ける努力家である」(グリーンバーク 2006、24)
という信念と、

それをベースにした
子どもたちから頼まれない限り『与えない』」
(グリーンバーク 2006、197)
というスタッフのあり方。

出典:
ダニエル・グリーンバーク(2006). 世界一素敵な学校
   ~サドベリー・バレー物語~ 緑風出版


自分とサドベリースクール

サドベリースクールのことを考えると、
いわゆる"一般的な"学校に行ってた
自分の幼少期を思い出す。

心惹かれることは山程あったけど
こっそりと隠れてやるか、もしくは
心の奥底にしまい込むしかなかった。

"そんなこと"より学校の勉強を上手くできないと
落ちこぼれるぞ、将来行きていけないぞ、
と暗に示される環境で、とてもではないが、
自分の望みを口に出す勇気はなかった。

受験の頃のことなんて、今でも夢に出てくる(!)
「来年はもう受験なのに、数学も物理も地理も、
    全然習得できてない!やばい!!!」

恐怖と焦りでいっぱいになる。
好きなことを追求する余地なんかないし、
そんなことは"タブー"だ。

自分のことでいっぱいいっぱいだから
友達や家族を気にかける余裕なんか、全くない
気になるとしても、友達の"点数"と"成績"だけ。
結構キツイ。

そんな夢。
「過去の話だ、もう今は違うんだ」
と気づいた時の安堵感ったら...!!

だが、わたしにとっては過去の話でも、
これから生まれてくる子どもたちの中には、
わたしと同じような経験に今後直面する(or今直面している)
子どももいるのかもしれない。

だからこそ、彼らに(そして彼らの親に)
「他の選択肢もあるんだよ」と伝える場所がないと。

サドベリースクールのことを考えると、楽しくてしょうがない。
(自分が子供の頃に知っていたなら、本当に行きたかった!)

きっとこんな子供は、こんな風に過ごして、
こんな会話があって、こんな発見があって、
こんな事件が起きて(毎日が事件となるに違いない)。

今生きていることを、存分に純粋に楽しんでいる。
それは「自分の描いた人生を創り生きていく」
力と自信に繋がっていく。

「そういう生き方もあるんだよ」と、
子供や親に伝えている自分でありたいし、
また、伝えていきたい。

新しい選択肢が生まれ続けることが、ベスト

決して放っといてはいけない問題があるとするなら、
それは「サドベリースクールが近所にないこと」じゃない。
サドベリースクールは唯一解じゃない。
一つの選択肢に過ぎない。

問題は「既存の学校以外に選択肢がない(ように見える)」ことだ。

わたしにとっての選択肢はサドベリースクールだ。
心から愛して信じ、熱望している学校。
(もちろんまだ見たこともやったこともないから、
作り上げていく中で、より独自なものに変化していく余地はあるが)

そして、わたしがそれを作ることで、
他の人が自分の愛して信じるスタイルを
拓いていく勇気を与えられる、かもしれない。
わたしが先駆者の皆さんから勇気をもらっているように。

そしたら、更に新しい選択肢が
どんどん生まれていく。

新しい選択肢が増え、
「教育のカタチに唯一の正解なんてない」ことが常識になれば、
"劣等生" "落ちこぼれ"なんて言葉は死語になる。

本来の持って生まれた自分を"加工"して"規格合格を目指す"、
そんなキツイ(そして楽しくない)人生を選ばなくてもよくなる。

それを望むなら、望んだ時に、自分で描いた人生を、
自分で創ることができるようになる。


大人も!

サドベリースクールに強烈に心惹かれるのは、
ここで過ごす子どもの人生はもちろんだが、
彼らの親、兄弟姉妹、地域の人々等、
大人の生き方にまで底無しの影響を与え得るからだ。

自分の関心をまっすぐに追求して、
自分の生き方を創ろうとする子どもは、
多くの大人を巻き込むだろう。

その中で、大人たちの心を激しく打ち、
大人たち自身も「自分の内なる声」に気付いて、
それに従って選択する機会が生まれるはず。

自由と責任を謳歌する一人の人間は、
それが何歳の人間であれ、
そして関わった相手が何歳の人間であれ、
彼らに自由と責任を謳歌する自由を与えると、
確信している。

わたしは秘密基地(仮名)を造りたい
ということを別の記事で書いたが、
この秘密基地で生み出したいものこそ、
正にこの、年齢を越えた"自由の連鎖"である。

"自由の連鎖"を引き起こす重要な一つの源泉として、
この秘密基地にサドベリースクールを作りたい。
ご近所さんも、そこを訪れる人々も、
自由の連鎖に巻き込まれていくように。


とりとめなく、ドバッと書きました。
サドベリースクールやその教育論の詳細(全然語りきれてない)、
「自分で作る際にはこうしてみたい」等のことも、
ちょくちょくアップしていこうと思っています。

ご興味のある方、是非見てやってください。
読んでいただいて、ありがとうございました!

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