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第一ボタン

なんで第1ボタンを締めなければいけないんだろう。


ずっと、そんなことを考えていた。

第1ボタンを締めないことで教師?大人?やら社会みたいなものに反抗する気マンマンの彼らを横目に

第1ボタンを締めながら疑問を抱き続けていたのが僕だ。

彼らには、「第1ボタンを締めない理由」があった。

反逆者であることが毎週観ているドラマの自己投影になるからかも知れないし

教室内での“出世”の近道であったのかもしれない。

単純に、資産価値の高い女子中学生のマンコの中に出したかったから、という理由が結果的に一番合ってそうだけど。

とにかく彼らには第1ボタンを締めない理由がちゃんとあった。

これは今でも断言できるけれど、言葉に出来ていたかはともかく、彼らには確実に理由があった。 


 僕は、第1ボタンを締める理由が分からなかった。

怒られるから、不良に目をつけられるから、学校を統治しやすくするため。

答えのようなものが何となく出たあとも、じゃあなんで怒られるの?って疑問が頭の中をグルグル回り続ける。

1人でいるときは常に疑問がグルグルグルグル回り続けるもんだから、僕には通学路を歩いていた記憶がない。

黒人のチンコがケツの穴から出たり入ったりするように、僕は疑問にレイプされ続けていた。

色々な疑問が出ては入って。

そんなことを繰り返していた記憶しかない。

通学路の景色は何本もあったデカマラの一つでしかなくて、そんなものは、すでに色々な疑問と一緒にアタマから押し出されている。 

なんで第1ボタンを締めなければいけないの?


その答えが「権力者が効率的に生徒を統治するため」だと断言できる友達が心底羨ましかった。

“その答えの先”に何もないことを本能で理解している彼らが、羨ましくて仕方がなかった。
 



  中学を卒業して、比喩でもなく1万回のオナニーをした僕は社会人になった。

頭の中の疑問を黙らせるには射精しかなかった。

本能的な快感でしか脳をコントロールできない。

今もそう。

ガソリンもオイルもないバイクのエンジンを空回し続けるような自慰行為で僕は段々と壊れていった。

それでも、頭の中には疑問が回り続ける。 

 なんでネクタイを締めなければならないんだろう。


僕はもう大人になったのに。

今でも、毎朝、頭の中には疑問がグルグルグルグルしてる。

山手線を流れる広告もまた一本のデカマラに過ぎない。

なんでネクタイを締めなければならないんだろう。

「そういうものだから」だと断言できる友達が羨ましくて仕方がない。

友達が断言している“答え”は、あの頃よりも絶対的に間違っていて、あの頃よりも相対的に解答足り得ている。

みんなには、ネクタイを締める理由があった。


  「第1ボタンを締めない理由」があった奴らはオフィスの外にいた。

奴らもまた、ネクタイを締めない理由を、ちゃんと持っていた。

たぶん、聞けば、何となく。理由とかも言葉に出来たりするんじゃないだろうか。
 
 気が付くと、何の理由も持ってないのは僕だけになっていた。

僕の頭の中だけが、ずっと疑問で回り続けている。

あれだけ嫌いだった「第1ボタンを締めない奴ら」がオフィスから居なくなって。

僕は少しだけ生きづらくなっていた。

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