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先生がウンコだったらどうする?

 そう僕が言えばいつも、まさや君は立っていられないくらい笑ってくれたものだった

小学校2年生。8歳くらいのころ、僕たちは誰もがみんな等しく「ボケ」ていたように思う

うちの母親はチンチン星人だとか、場合によっては助走もなく「ゲロ!!!」とだけ叫んで笑っていたこともあった。

 僕の記憶の中にある1番最初の「ボケ」は、5歳の頃、タクヤ君が言った

「俺はおっぱいをやるから、お前はウンコをやれ」というものだった。

たしか、幼稚園で戦隊ヒーローごっこの配役を決めていたように思うんだけど

レッドとかブルーじゃなくて「おっぱい」だったことで僕は頭がおかしくなるかと思うくらい笑った。

おっぱいの方がウンコよりも「ヤバい」言葉だから、僕より喧嘩が強いタクヤ君がおっぱい役を勝ち取っていた。

 いま、僕はもう30歳を超えているのだけど、あの頃のタクヤくんより面白いことを言う人は会社に1人もいない。

子供の頃は、先生のことをウンコだと言えば大声で「違うよ!!」と割って入り、先生はウンコじゃなくてチンコだと言い張っていたが

大人になった今、会社の上司がウンコだとかチンコだとか言う人はいなくなった。

気持ち悪いよね、とか事実めいた陰口を叩く人はいても、大胆にも先生をウンコだと言い張ってくれるタクヤ君はいない。

 大学を卒業したあたり、僕は少しだけ足掻いてみていた。

 当時、僕は社員数2000人超の大きな会社に入社していたんだけど、その社長。

そのくらい大きな会社の社長だから、風格もなかりのものだったんだけど

その社長とエレベーターが一緒になったときは、

社長がエレベーターを降りて扉が閉まるか閉まらないかのギリギリのところで、隣にいた同僚に

「あいつ童貞らしいよ」と毎回耳打ちをしていた。

誰も笑ってくれないまま転勤が決まって、以降、僕はあまり同期と仲良くしようとしなくなった。普通に仕事ができなくて干されていたのもあるけど。

 いま、僕の周りにいる彼らだって、子供の頃はウンコだとかチンコだとか言いながら笑っていたのではないか。いや、絶対そうに違いない。

うちのクラスのみんながそうだったから、みんながポケモンをやったり消しゴムを指で弾いてバトルしていたように、ウンコだとかゲボだとか言って笑っていたと思う。

当時、それはとても禁忌的なことで、タブーを破るような感覚が堪らなかった。

 いま、僕は30歳を超えて、社会人になって10年近くが経つけど。誰かを笑わせようとか、禁忌がどうとか、言っちゃダメなことを言うとか、そういった凶暴性のようなものが枯れてしまっている。

 その先に安定があったのか、他人を思いやる心があったのか、分からないけど。少なくともそれは先生をウンコと呼称するよりも大切なことではない。

 僕は、職場で笑い声が聞こえると「面白いわけがないだろ」と決めつけている。

 それはほとんど、条件反射のようなもので、興味深いことはあっても「笑ってしまう」ことは絶対にないから内容を聞かずに笑い声の時点で「面白くない」と決めつけている。間違いはないと思う。

 職場というのは、笑い声が遠くから聞こえた際に、大声で「おもしろいワケないだろ!」と僕が発狂すれば、ボケとツッコミが成り立つようになっている。

 もっと言うと、目標を達成するとか、難しい仕事をみんなでやり遂げるというのは、会社の上司のことを「ウンコ」だとして、それをチンチンの僕がチューチューと吸ってゲボを吐いてしまうことよりも面白いことなのだろうか。

 僕が仕事をするのが苦手なだけで、本当に、仕事というものは、給与によって得られる安定や家族というものは、それよりも面白いものなのかもしれない。

 小学校の頃に立っていられなくなるくらい笑った「おっぱい」と「チンチン」よりも面白い、かけがえのないものがあるから

だからみんな、上司のことをウンコチンコ先生と呼ばないで生活しているのだろうから、まあ、たぶん、そうなんだろうと思う。

 僕は、本当に、本当にそれが羨ましい。

「面白い」よりも大切なことを見つけるのが大人になるということなのだとしたら、大人にならずに生きていくことは、そういった自認と自己矛盾を抱えながら生きることは、本当に辛い。うんこになりたいな。

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