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やっぱこれだね、やっぱここだね

僕は今年の3月に大学を卒業して、現在はある地方で公務員として働いている新社会人だ。「新社会人」と言うと、何だか「ピカピカの一年生」みたいな、前途洋々希望に満ち溢れた感じがするけども、僕の場合は全然そんなんじゃない。

4月に働き始めるずっと前から、僕は就職することに対してただの一度もワクワクすることがなかった。それは4か月経った今も変わらず、給料日は楽しみで仕方ないけれど、残業代が出ようがボーナスが出ようが、だから頑張ろうなんて前向きな気持ちには1ミリもなれないのだ。もし働かなくて済むのなら、僕は絶対に働かない。これは断言できる。

でも、公務員の仕事はもの凄くやり甲斐がある。当たり前だ。公務員の仕事というのはほとんど全て、無きゃ困る仕事である。絶対に誰かがやらなきゃいけないことを、公務員がやるのだ。だから、「俺、何の為にこんなことしてんだろ」なんてことを考えずにやっていける。これはいい。僕はここが分からなくなるとすぐに面倒になって辞めてしまう癖がある。今まで辞めてきたバイト数知れず(雇い主の皆様、本当にすいませんでした)。

それと、働いてみて僕が一番強く感じたのは、「公務員の仕事は死ぬほど面白くない」ということだ。とても乱暴な言い方かもしれないけど、実際僕はそう感じている。もちろん面白がり様はあるが、仕事そのものは本当に面白くない。でも、そういうものなのだ。公の業務が「面白いか面白くないか」を基準に行われてたら、かなりヤバいと思いませんか?公共サービスや政治に面白は要らないのだ。まず公正さと思いやりがあって、面白は絶対その二つより先には来ない。またこれは、今までの人生面白そうなことだけ選んで来た僕にとってはかなり新鮮な体験となっている。

毎日のようにこうした仕事をする生活。でも、仕事を終えて家に帰って来てからはこの限りではない。帰って来たらまず(シコって)風呂に入って、ふりかけ飯食ったらスタンバイ完了。あとはおぞましい映画を観て悪魔の音楽を聴いて寝るまで過ごすのだ。この二重生活は今のところ中々悪くない感じだ。昼はしがないサラリーマン、夜は女たらしのスパイ、みたいな。いや、見栄を張った。やっぱりいくら夜更かししても、寝る時には自分の居場所にバイバイしなくちゃいけないみたいで毎度すごく寂しい。

さて、もうこれはこれで締めてもいいような長たらしい前置きだったけれど、今回はそんな、自分の居場所にバイバイ出来ない人たちの映画の話をしたいと思う。言い換えれば「俺が輝けるものって何?私が輝ける場所ってどこ?」な映画のこと。

あれ、前置き関係あった?いや繋がってる繋がってる、無理やりだけど。

※以下紹介する作品はネタバレ含みます。観ていないなら読まないでください、僕の駄文を読んで観た気になるには勿体なさすぎる作品なので。

「ミッキー・ロークといえば両国の時観た猫パンチ」なんて家の親父は言ってたけど、当時を知らない僕にとってのミッキー・ロークとの出会いは、TSUTAYAで借りてきて観た「ランブルフィッシュ」だった。ミッキー・ローク演じるアウトローのカリスマ・モーターサイクルボーイの厭世的なカッコ良さ、モノクロの画面に吹きかけられるタバコの煙がとびきりクールな作品だ。意地の悪い観方をすれば「ただの雰囲気映画」ともいえよう。でもその批判は同時に、映画一本成立させてしまうほどのミッキー・ロークの魅力の証明でもある。

それから約25年、「レスラー」を撮るまでの間に、ミッキー・ロークには色んなことがあった。と、彼の栄光と転落のキャリアを僕がここで書いてもただの聞き伝えにしかならないので、ここで紹介するのはやめておく。ただ、「レスラー」を語る上で、この作品が主人公のプロレスラー・ランディのカムバック・ストーリーであり、ランディを演じるミッキー・ローク自身にとってもカムバック作品であった、ということだけは一応書き添えておきたい。

「ザ・ラム」ことランディはかつて、誰もが認めるスーパースターとしてリングの上に君臨していた男。今はスーパーでバイトして生計を立てながら、マイナー団体に所属してプロレスを続けている。そんな彼を心臓発作が襲う。長年の肉体の酷使とステロイドの過剰摂取によるものだ。ドクターストップを宣告され、彼はリングの外の世界に目を向ける。彼が想いを寄せるストリッパーのキャシディ(マリサ・トメイ)や、ずっと放ったらかしで十分に愛してやることのできなかった娘・ステファニー(エヴァン・レイチェルウッド)に対して、真剣に向き合うために彼は生き方を変える。しかし、どれだけ誠意をもって接しようとしてみても空回り、あげく一度は振り向いてくれた娘との約束をすっぽかし、再び拒絶されてしまう。そんな折、彼の働く精肉部門のカウンターにやって来た客が声を掛ける。
「俺、お前のこと知ってるぞ。ランディだろ?"ラム・ジャム"の」
この一言で目を覚ました彼は、店のエプロンを脱ぎ捨てて再びリングに立った。引き留めるキャシディ、しかし彼はもう振り返らない。高鳴る声援と心臓の鼓動。コーナーの上に立ち、十八番の"ラム・ジャム"を豪快に繰り出す...。

エンディングテーマのブルース・スプリングスティーン「The Wrestler」、を掻き消すほどの自分の咽び泣き、ののちに冷静になって考えてみた。はて、自分の居場所はどこにあるだろうか、と。教室?実家?体育館?映画館?TSUTAYA?

人間は、実生活の中に居場所を見つけなくてはいけないのだろうか?円満な家庭の中、安定した職場の中、学校の教室の中、そうした実名での生活の中に、居場所を求めるべきなんだろうか?

その方が生きやすいという意味ではそうなのかもしれない。一日の大半の時間を過ごす場所に「本来の自分の姿」を充てられることほど幸せなことはないのかもしれない。

でも、そういう場所に自分を見出せる人はそうそういないだろうし、多くの人はそのあたりを何とかごまかして、騙し騙し生活しているのだろう。かく言う僕もそうだ。平野啓一郎さんの説く分人主義に救われたことは多々あるが、それでもやっぱり連続する波のように迫ってくる日常を生き抜くのは易しいことではない。僕だって、できれば一日中映画を観たり本を読んだりして過ごしていたいし、映画撮ったり小説書いたりして飯を食ってみたい。そんな妄想が膨らむたびに現実とのギャップが胸を刺す。

「レスラー」は、自分の居場所や生き甲斐をごまかすことのできなかった人間の話である。共に歩んでゆくべきかに思える人との触れ合いよりも、彼はリングの上で「ザ・ラム」として生きることを選んだ。たとえその選択が自分の命を削るものだとしても、彼はより自分が輝く方を選んだのだ。「輝く」というのは、観客の拍手喝采によってだけではない。何より、リングに立つ彼の目が一番に輝いているのだ。

他に似たテーマの作品を挙げるとすれば、今年公開された「ジュディ 虹の彼方に」だ。4月以降あまり新作を観られていない僕だが、今のところこの作品を2020年ベストに推したい気持ちである。

本作は「オズの魔法使」や「スタア誕生」などの映画主演などで知られるジュディ・ガーランドの晩年にスポットライトを当てた伝記映画だ。ハリウッドで活躍した少女期にクスリで過酷なスケジュールを強いられていたことによるドラッグ依存、実生活での幾度の結婚・離婚、子供達とのすれ違いなど、ショービズの世界は彼女の実生活をも蝕んだが、それでも彼女は最後までステージに立ち続け、また子供達とも向き合い続けた。彼女の輝きがすべて、ステージの上と子供達との時間にあったからだ。

もちろん、エンターテインメントの世界に居場所を求める人の話ばかりが良いわけじゃない。坂口健太郎・綾瀬はるか主演の「今夜、ロマンス劇場で」は、何よりも愛した女性に全てを捧げる映画である。

舞台は昭和30年代、坂口演じる牧野は映画監督を目指し自分の脚本を書きながら、何でも屋の助監督として撮影所で雑用に奔走していた。そんな彼の毎日の楽しみは、行きつけの映画館「ロマンス劇場」の最終の回が終わった後、金庫に眠っていた昔のフィルムを特別に上映してもらうこと。彼はその映画のヒロイン・美雪(綾瀬はるか)にすっかり惚れ込んでいるのだ。ある日、いつものようにその映画を観ていると、モノクロのスクリーンから美雪が現実世界に飛び出して来てしまう。触れると消えてしまう美雪をそれでも愛する彼は、映画会社の社長令嬢(本田翼)との縁談を無下にしても、美雪を一生愛することを誓う。牧野は夢だった映画監督になることはできなかったが、触れられない相手と一生を添い遂げることができた。

古典ロマンス映画のいいとこ取りみたいな作品ではあるが、僕はとても気に入っている(言いたいことが無いわけではないが、それはまた別の機会に)。「俺は俺の道を行くよ、思い出をありがとう、バイバイ!」という作品が多いなかで、その逆を行くこういう作品が出て来るのは僕としては素直に嬉しい。別に映画だからといって、エンターテインメントの世界に全てを捧げる人間の話を描かなくてはいけないわけじゃないのだ。「レスラー」にしても「ジュディ」にしても「ロマンス劇場」にしても、肝心なのはそいつの本気度なのだ。その選択がいかに客観的に見ておかしなものでも、自分にとって最高に輝ける居場所を選ぶことが、何より大事なことなのではなかろうか。

泣ける作品がいい作品だなんて言うつもりは全く無いが、ここで書いた3本は多分僕の涙量ランキングの表彰台を占めている。それだけ僕にはこういう作品がツボなのだろう。僕は現実逃避したくて仕方ないのかもしれない。でも、こういう「俺の居場所系」映画のおかげで、かなり励まされているのは確かだ。彼らの人生が良いものだったかはさて置いて、「こういう生き方だってあるし、こういう生き方を選んだって良いんだ」ということを、僕は映画を通して定期的に確認している。きっと僕はまだまだ仕事と趣味の二重生活を続けて行くんだろうが、いつでもこっちの世界に身を投じてやるぜ!という心意気のもと生きていこうと思う。

やっぱこれだね、やっぱここだね。