見出し画像

推し、卒る

(藤原)


学生の思い出

3月も後半になり、大学生の卒業の姿や、高校生や中学生が春休み?終業式帰りかな?という姿を駅や街でよく見かけるようになった。
学生の時の記憶が、特に中学生の時の記憶が曖昧であるけれど、小学校や中学校の春休みってなにしていただろうか?
宿題は無かったと思う。

小学生の高学年の時は、地域のサッカーチームに入って、毎日のようにサッカーしていた記憶がある。そもそも体力にそこまで自信がなかったのと、4年生からサッカーを始めたので、そんなに上手くならず、26人いた同学年のチームの中でも最後まで下から数えるくらいの能力だったと記憶している。
サッカーは11人でやる競技なので、よく同学年内で紅白に別れて練習したり試合したが、いわゆる2軍に3年間ずっといた。

当時は試合中も基本的にはベンチスタート。後半から出られたら良い方で、後半の残り半分過ぎた頃から出る、ということの方が多かったと記憶している。
前後半ともに30分ずつだったはずなので、毎試合10分ほどか。
グラウンドも狭いので、試合中常にウォームアップしてはいけなかったため、本当に交代する直前までベンチに座っていた記憶がある。冬場や雨の日は最悪であった。

ポジションは最初はディフェンスだったが、最後の方はフォワードだった(というかワントップ)。(※要するに右サイドバックとか固定されていない)とにかく、こちらも相手も体力が残っていない中で鉄砲玉の如く必死にボールに、こぼれ球に喰らい付き、相手のミスを誘い、奪ったボールを仲間にアシストするか、もしくは仲間がいなければ直接隙をついて点を取りにいく、というのが仕事であった。
あまり上手くはできなかったけれども、奇跡的に何点か決めたことがあり、それが自信となって、あまり試合に出られないことには気にはしていなかった。

今思えば、たまに見る日本代表などのサッカーにおいて、後半途中から出る選手の役割や重要性は十分理解できるけれども、小学生のころはやはり長く出る方が楽しいだろうと当時は思っていたし、レギュラーでもなく、ベンチ時間が長いのはやっぱりいい気持ちではなかった。
そんなこともあって、中学になったらサッカーはあっさり諦め、個人競技であるところのテニスに切り替えた。
結局、高校までずっとテニスを続けていた。そこまで上達はしなかったけど、いい球が打てる楽しさ、すぐにフィードバックできるところは楽しい。
詰まるところ、テニスは楽しい思い出しかない。(そもそも試合があまり好きではない)

余談になるが、タイに住んでいたとき、仕事終わりにサッカーしようぜ、と職場のタイ人スタッフに誘われて何度かフットサルの試合した。技術的にも下手になっていた以上に、自分の体力のなさい唖然とした。数分走っただけでマジで意識飛ぶかと思った。
フットサルの試合が終わったらその場でみんなでビール飲んで、奴らは運転して帰って行ったがどんな体力してるんだ。。。(そして運転はダメだろ。。。)

チームでの役割

なにがきっかけか忘れてしまったが、何年か前から薄く、ファンからすればオブラートのレベルの薄さでアイドルを箱推ししている。
昨年、とうとう大阪城ホールでライブを観に行った。
誰か1人を推す、という訳でなく、全体(箱推し)しているのだが、一方で、色々な物を購入する際には、その中の1人を選ばないといけない機会が度々出てくるので、その都度選ぶ。
自分の好みを言語化するのは難しいので、どんな基準で選んでるかは表現し難いが、総合評価で選んでいる気がする。(普通そうか)
で、時代というのは時に残酷なもので、そんな薄く推しているようなアイドルも、1人、また1人と卒業していく。
別に人生を辞める訳ではないので、これからも色々多方面で活躍されると思うので、すべからく応援し続けるのであるが。
ふと、自分のいわゆる歴代推し、というのが、世間的にどうなのかというのを振り返ってみると、いわゆる序列が下の方(あまり人気がすごい人ではない)人が多い。

もっと厳密にいうと、そのグループが最近選抜制度を導入して、いわゆるメイングループと、アンダーグループ(もっとわかりやすく言うと1軍、2軍。※本当はこの表現はタブーですが)に分かれることになったのだが、私の推している人は例に漏れずアンダーグループ行きとなった。
そして、その配属が決まって数日後に、そのうちの1人が卒業を発表した。

別にチームでの役割的に不人気という訳ではなかったし、ファンの方も惜しみつつ応援している温かい声も多いのは安心だけど、本心はどう思っているんだろうなぁと。
他人の評価に否が応でも一喜一憂せざるを得ない職業なのでどうしようもないと思うが、これからも頑張ってほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?