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洞窟の奥の暗がりで──ダークアンデパンダン darkindependants

・展示される作品の内容、展示会場などの非公開の事柄は、その方法に関わらず、一切他言しないこと

会場の入り口で署名を求められた同意書の一部です。署名しないと展覧会を見ることはできません。とうぜん、署名しました。けれども、困りました。わかっていたことだけれど、ほんとうに困った。展示された作品の内容について他言しないことを約束してしまった以上、この展覧会について「見る」ことはできても「書く」ことはきわめて困難だからです。曲がりなりにも「美術評論家」の看板を掲げているのに、どうしょう、なんも書けねえ……!。もちろん、こんな自家撞着は初めての経験です。退屈な展覧会であれば、堅苦しい同意書なんかびりびりに破り捨て、その空虚な内実を悪意をもって暴露してやることだってできなくはありません。ただ、この展覧会は圧倒的におもしろかったのです。緊張感と興奮、後ろめたさ、熟考、哄笑、あらゆる感覚と知性、そして想像力が動員され、すばらしく濃密で充実した時間でした。企画展としては、ここ数年、いや少なくともこの10年でもっとも優れていたように思います。だからこそ、書きたい欲望を抑圧せざるを得ないことがもどかしくてたまらないのです。とはいえ、何も書かないわけにはいきません。

したがって、わたしがここで書こうとしているのは、書けないという絶対的な条件のもとで絞り出された、ある種の理論的なエッセンスのようなものです。通常であれば、たとえ抽象的な観念やテーマであっても、展示された作品の具体的な描写を頼りになんとか理解してもらうことはできます。けれども、この展覧会の場合、ウェブ上で限定的に公開されたアンデパンダンはともかく(それにしても一般には公開されていない「深淵」があるのですが)、都内某所を会場にして催された企画展については作家名はおろか作品の具体的な詳細についても書くことはできません。わかりにくいかもしれない。いや、間違いなく、何のことだかさっぱり理解できないでしょう。鑑賞者を少数に限定した企画展についての批評が読者も大幅に限定するのであれば、わざわざ読む必要はないとそっぽを向く人がいてもおかしくはありません。しかし、ちょっと待ってください。後に詳しく述べるように、この展覧会の企画者たち(卯城竜太、キュンチョメ、松田修、涌井智仁ら)は必ずしも「深淵」に自閉することをよしとしていたわけではありませんでした。そうであれば、わざわざアンデパンダンという形式を採用して外部に積極的に開く必要はまったくなかったからです。つまりポイントは、「表層」を否定する反面、「深淵」を肯定するという単純な図式にあるのではなく、前者と後者とのあいだにありました。かりに批評という言語活動が双方のあいだを架橋することに少しでも貢献できるとすれば、たとえ読者の共感を得られないことが十分予想できたとしても、書かないという選択肢はありえません。

そもそも、あの同意書。あれは、一方で客観的かつ特権的な批評を端から必要としない企画者たちの割り切った宣言書のように見えなくもありません。けれども他方で、批評の不可能性を条件にそれでもなお批評は可能なのかを批評家自身に自問自答させる、きわめて挑発的な挑戦状のようにも見えました。少なくともわたしは後者として受け取りました。ですから以下のテキストは、書けないことが多すぎることを十分自覚したうえで、それでもなんとかして本展の批評的な本質をまさぐりだそうとした悪戦苦闘の結果です。ここまで読んできて、少しでも興味があれば、先に進んでください。そうでない方は、さようなら。

それにしても、こんなときに詩人であれば、簡潔かつ美しい言葉で、ことの本質をずばりと射抜くことができるのに。選抜された鑑賞者の中になぜ詩人が含まれていなかったのか、いまでも理解に苦しみます。それはさておき──。

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なぞること──。指や手で、そして眼で。本展でもっとも印象深かったのは、視覚であれ触覚であれ、すでにあるものをなぞるイメージです。色やかたち、線といった美術作品を構成する要素や特定の人物だけではありません。常識や倫理、社会通念といった眼に見えないものもなぞる、その手ざわりや質感がびしびしと伝わってきました。もちろん、なぞることを視覚的かつ直接的に表現した作品もありました。しかし、多くの場合、それは逸脱や侵犯によって逆説的に浮き彫りにされることで、わたしたち鑑賞者の心情を大きく揺さぶったのです。それゆえ、本展における作品をひと言で要約するとすれば、きわめて自覚的な「バッドテイスト」であると言えるでしょう。言うまでもなく、ここで言うバッドテイストとは、倫理や法に反しているかもしれず、不安や恐怖、あるいは吐き気を催すこともあるかもしれない、ひじょうにネガティヴな感性のことです。自覚的というのは、なぞる行為をみずから明瞭に意識していないかぎり、なぞることは論理的に成立しないからです。

たとえば、かつてジョン・ウォーターズが喝破したように、この「バッドテイスト」をより微視的に「bad bad taste」と「good bad taste」に区別したうえで、本展を後者に位置づけることもできなくはありません。なにしろ「悪趣味」は、あのシャルル・ボードレールが貴族趣味の逆説的な例証として絶賛したくらいですから、れっきとした近代的美意識のひとつなのです。あるいは、なぞることを「模倣」として読むとすれば、ギリシア哲学の重要な概念とされる「ミメーシス」の文脈から検討することもできるでしょう。事実、その文脈は現代美術のなかにも連綿と受け継がれているわけですから、どれほど露悪的なバッドテイストに見えたとしても、そのような古典的な語り方は理にかなっているように思われます。しかし、ここでわたしが書きたいのは、そのような悪趣味論でもミメーシス論でもありません。本展でわたしが感じ取ったのは、悪趣味の基盤である「近代」やミメーシスの背景にある「古代」といった時間軸ではなく、それらよりはるかに遠い昔のクロマニョン人たちが生きていた「旧石器時代」だったからです。荒唐無稽、あるいはいかがわしいと失笑される方も少なくないでしょう。わたしの持論を裏づける具体的な作品の詳細を明かせないのだから、いたしかたありません。けれども、そのいかがわしい想像力を励起せしめたところに本展の最大の魅力がひそんでいるように思われるのです。外光を遮断された本展の会場は洞窟の奥の暗がりであり、そこに集う少数の鑑賞者たちはクロマニョン人だったのではないか。そんな原始的なイメージをわたしに抱かせたのは、展示された作品がいずれも人類にとって始原的な「なぞる」というイメージを感得させたからにほかなりません。

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美術評論家の中原佑介(1931-2011)は、1996年、フランスはラスコーの洞窟画を見学しました。65歳の頃です。帰国後、その経験をもとに画家や彫刻家、動物学者、人類学者、民族学者、宗教学者、音響工学者、脳科学者らと対話を重ねながら、洞窟に絵を描いたクロマニョン人たちの心情や動機、社会背景、世界観や死生観ついて推察と想像を繰り広げた『ヒトはなぜ絵を描くのか』(フィルムアート社、2001年)を発表しました。これはめっぽうおもしろい本なので、まだ読んでいない方には強くおすすめしたいのですが、なかでもわたしが注目したのは、中原さんがクロマニョン人たちの「なぞる」行為について想像を働かせている点です。

ラスコーにしろアルタミラにしろ、洞窟画は一か月や二か月、あるいは一年や二年ですべてが描かれたわけではなく、それらには何十年、何百年、さらにもっと大きい年数幅があると思います。とすれば、あとから洞窟の奥へ入ってきたクロマニヨンは、すでに描かれた動物の絵を発見し、それを見たうえでかたちを真似たということもじゅうぶん考えられるからです(p.202)。

つまり、現在わたしたちが眼にすることができる洞窟画とは、特定の描き手が描き遺した絵というより、むしろ複数の描き手が模倣を繰り返した結果なのではないか。その時間の蓄積の総体こそが洞窟画の正体なのかもしれないというわけです。しかも、その模倣という「なぞる」行為は、より直接的で明示的な痕跡として残されている場合もあります。そう、ラスコーをはじめ世界各地の洞窟から発見されている、あのおびただしい数のヒトの手形です。

手形は掌を洞窟の表面に押しあてることによって生まれています。つまり掌は壁に垂直方向に、その奥に向けられているわけです。その手形をつけることによって、洞窟の奥、あるいは洞窟を取り囲んでいる空間に秘められている力を取り出してくるということではなかったでしょうか(p.92)。

重要なのは、「なぞる」という行為がたんに色や線、かたちを反復するだけでなく、その反復をとおして表面の奥に向けられた何らかの働きかけだったという点です。中原さんは、この点にことのほか大きな注意を払っています。興奮を隠していないと言ってもいい。洞窟画をめぐる研究は、描かれた絵であれ周囲の空間であれ、水平的な思考に終始していましたが、肝心なのは洞窟の壁の奥に向かう垂直的な思考なのではないか、と。一見すると、こうした議論はオカルト的な神秘主義に回収されがちですが、決してそれが悪いわけではないにせよ、科学的な美術批評の第一人者であった中原さんは、それをあくまでもコミュニケーションの問題としてとらえます。つまり、洞窟の奥に描かれた動物たちの絵は、それらをつくりだした超越的存在、すなわち神、さらに中原さんの言葉で言い換えれば「ヒトならざるものへのことば」だったのではないか。眼には見えないけれども、コミュニケーションの相手を洞窟の壁の奥に感知していたのではないか。洞窟画として残された絵や手形は、彼らが見えざる存在へ語りかけたことの証左なのではないか。

むろん、こうした推察は中原さんが繰り広げた想像に過ぎません。科学的に実証することは困難を極めるでしょう。けれども、それをわたしたちがある一定の説得力をもって受け止めることができるのは、中原さんがこの推論を今日のグラフィティ文化と接続しているからです(既成の「美術」の枠組みの中でしか美術作品を論じることができない凡百の美術評論家とちがって、中原さんの視点はほんとうに幅広くて、すばらしい!)。80年代のニューヨークのストリートや、ちょうど90年の東西ドイツ統一に伴い崩落した「ベルリンの壁」で目撃したグラフィティについて、それらが意味するところを、中原さんは次のように的確に指摘するのです。

ひとことでいえば壁を撤去しろという意思表示だっただろうと思います。それは壁に何を描くかということとは直接関係しない。文字であれ、絵であれ、あるいは意味のないしるしであれ、なんでもいい。描けばいいのです。描くという行為の根底に壁を瓦解させるという祈りがあったように私は思います。別のいいかたをするなら、ラクガキは壁のこっちと向こうの間に通路をつけたいという願望をあらわしていたと思うのです(pp.101-102)。

ここで中原さんがグラフィティの現場をラスコーなどの洞窟画などと同じように垂直的な思考で目撃していることは明らかでしょう。つまり旧石器時代のクロマニョン人であれ、現在のホモ・サピエンスであれ、目前の壁をなぞりながら、その奥に向かって働きかけ、語りかけていることにちがいはない。その先に神を見通すにせよ、「隔離された世界に穴を開けたい」という破壊的な欲望を投影するにせよ、あるいはもっと別の存在を認識するにせよ、わたしたちは今も昔も、つねに手をまさぐりながら目に見えない向こう側に抜ける「通路」を開こうとしているのです。

では、その通路の向こう側には何があるのか。中原さんはじつに明快に──それまでの科学的論理的な思考とは裏腹に、じつにあっさりと──「もうひとつの世界」と明言します。

動物の群れが再現的に描かれていても、洞窟内は動物の生息している現実の世界の再現ではなく、この世とは別の世界だったのではないか(p.25)。

中原さんによれば、洞窟画とはこの世とは別の世界へつながる通路の一端だったのです。それが必ずしも旧石器時代に限定された世界観とは限らないことは、すでに見ました。だとすれば、現在、その入口はどこにあるのでしょうか。もうひとつの世界に通じる通路の入口はどこに開かれているのでしょうか。グラフィティにあるのか、それとも──。

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さて、ここまで長々と中原佑介さんの洞窟画をめぐる想像的分析を紹介してきたのは、ほかでもありません。ダークアンデパンダンとは、まさしく「もうひとつの世界」を実現させるためのヴィジョンとして構想されたからです。企画者たちが採用している「表層」と「深淵」=「ダーク」という図式が、そのことを如実に物語っているのは言うまでもありません。本展も、具体的には一切明かせませんが、表層の世界では決して実現できない深淵ならではの内容だったことを証言します。ただ重要なのは、中原さんが「通路」という言葉で説明したように、企画者たちもまた、この二分法を現在世界で進行しつつある分断を加速させるためではなく、あくまでも双方のあいだを媒介し、交通させるためにこそ仮設していたという点です。特権的で閉鎖的な深淵の世界を構築しつつ、同時に、そのありかを表層に暗示すること。アンデパンダンというかたちで部分的に開くことによって、閉じられた世界のありかをほのめかし、その入口への欲望を喚起すること。なぜそのような方法を採用したかといえば、企画者たちははっきりと明言してはいませんが、そのことによって息苦しくて不自由な表層の世界をより自由でより開放的なものに作り変えたいという欲望を抱いているからにちがいありません。

ただ、表層の世界を改革する業務は企画者たちの責任ではない。彼らが責任を持って果たしたのは、表層に深淵を対置させることであり、深淵の魅力を表層に持ち帰り、それをもってして表層を再構築しなければならないのは、じつは本展の鑑賞者です。わたしたち鑑賞者は、しばしば誤解しがちですが、特権的で有能な批評家や学芸員として選抜されたわけでは決してなく、「もうひとつの世界」を体験することによって「いまある世界」を作り変えるためのエージェントとして選出されたのです。だからこそ、このすばらしくも完成度の高い、きわめて刺激的な企画展は、無料だったのです。このことの意味を理解できない鑑賞者は、いますぐ職業を代えるべきでしょう。

同意書にサインした後、なんの対価も支払わずに会場に足を踏み入れたとき、わたしはマルセル・モースの『贈与論』(ちくま学芸文庫、2009年)を思い出していました。モースは、トロブリアン諸島における「クラ」や北アメリカ北西洋海岸における「ポトラッチ」などを手がかりにしながら、それらの贈与経済のなかに3つの義務が機能していることを解明しました。すなわち、「贈り物を与える義務」、「贈り物を受け取る義務」、そして「お返しする義務」。これら3つの義務を果てしなく循環させることによってギフト・エコノミーは社会をドライブしてきたのです。いや、「お中元」や「香典返し」などといったかたちで贈与経済が生きていることを思えば、それは過去の遺物というより、現在も貨幣経済とは異なる次元で機能している社会経済の様式であると言うべきなのかもしれません。ちょうど「もうひとつの世界」が「いまある世界」のすぐ横にあるように、贈与経済は貨幣経済に帯同しているのです。

ダークアンデパンダンを目撃した鑑賞者たちは、企画者たちに「負い目」を負っています。つまり、返礼の義務を負っているのです。その体験を表層に持ち帰り、そこで何をするのか。それが問われています。深淵を覗いた視線を持って、わたしのように可能なかぎり批評を執筆するのか、あるいは中庸な企画展をより先鋭的なものに作り変えるのか。美術館や大学、国際展や芸術祭など、問題含みの美術の制度を抜本的に改善するのか。そのためにこそ選抜されたという厳然たる事実を忘れ、沈黙を貫いたまま、たんに例外的で実験的な企画展として「深淵」を消費する態度は、返礼の義務を一切果たさないという点で、最悪中の最悪であると言っておかなければなりません。だから、ここまで読んでくれた読者のみなさん。いいですか。公開されている鑑賞者のリストを忘れないようにスクショしておきましょう。彼らが今後どのように行動してどのように返礼するのか、つねに眼を光らせておくのです。ダークアンデパンダンとは、革命のはじまりなのです。


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