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崇高を求めて荒野を彷徨う孤独な写真家

御嶽山が噴火したとき、私たちは天高く立ち上り、登山者を巻き込みながら膨らんだ、あの不気味な噴煙の映像に目を奪われた。たしかに自然の恐ろしい猛威ではある。だが、なぜか惹きつけられてやまない。この複雑な高揚感は、美学的には「崇高」として考えられている。

崇高の「崇」には、もともと「山が高く尊い」という意味があるが、これを近代美学の文脈で初めて定義したのはエドマンド・バークである。『崇高と美の観念の起源』において、バークはアルプス山脈を念頭に置きながら「美」と「崇高」を概念的に区別した。いわく、美は野原に咲く花のように小さく、繊細で、快いものだが、崇高は急峻な山岳のように大きく、荒々しく、不快なものだという。ただバークは双方をつなぐ視点も示している。たとえば高い山脈を目前にしたときの恐怖。この自然への畏怖は、時として畏敬に転じることがある。バークの崇高論の根底には、不快なものが快楽に転ずるような逆転構造があった。

バークの崇高論を受けて、さらに練り上げたのが、カントである。難解極まる『判断力批判』を丁寧に読みほぐしていくと、次のような一節に出会う。

「頭上から今にも落ちかからんばかりの嶮岩、大空にむくむくと盛り上がる雷雲が雷光と雷鳴とを伴って近ずいてくる有様、すさまじい破壊力を存分に揮う火山、一過したあとに惨怛たる荒廃を残していく暴風、怒涛の逆巻く無辺際な大洋、夥しい水量をもって中空に懸かる瀑布等は、我々の抵抗力をかかるものの威力に比して取るに足らぬほど小さなものにする。しかし我々が安全な場所に居さえすれば、その眺めが見る眼に恐ろしいものであればあるほど、これらの光景は我々の心を惹きつけずにおかないだろう。我々はかかる対象を好んで崇高と呼ぶのである。これらのものは、我々の心力を日常の平凡な域以上に高揚させ、まったく別種の抵抗力を我々のうちに開顕するからである。そしてこのことが我々に、見るからに絶大な自然力に挑む勇気を与えるのである」。

小島一郎は、おそらく崇高を求めて彷徨した写真家だった。荒涼とした津軽平野の農民を写した小島の写真は、まさしく自然の猛威を体感させるからだ。雲の裂け目から差し降りてくる陽光や吹雪で荒れる道を行く馬など、ややもすると過剰にロマンティックに見えないわけでもない。ミレーの《落穂拾い》を連想させるような絵画的な構図の写真も、たしかに息を呑むほど美しい。

だが、小島の写真を評価するにはやはり「美」より「崇高」がふさわしい。なぜなら、そこには大いなる自然を背景にしながら、バークの逆転構造とカントがいう「別種の抵抗力」がたしかに認められるからだ。

「私はのどかで静かな風景も好きではあるが、どちらかというと、荒れ狂う自然のなかに入り込んでいって撮るほうが性格的に合っているのか、つらいというよりも、かえってその荒々しさにいどみかかるようなファイトがわいてきてむしろ痛快な気分である。しょせん人間は自然の大きさに比べればあまりにも小さな存在であり、とうてい自然を征服するなどとは思いも及ばないが、一人勝手に自然にいどみかかる気分にひたることはできると思う」。

小島は広大な津軽平野を幾度も歩いた。苦しみが痛快に反転するほど、ひたすら歩いた。そして荒々しい風土を身体で経験した先で獲得したのが、厳しい自然に一人で立ち向かうような勇気だった。小島の写真に体現されている絶対的な孤独をこそ、崇高の芸術と呼びたい。

初出:「Forbes Japan」(2014年12月号) 

展覧会名:小島一郎 北へ、北から 
会期:2014年8月3日〜12月25日  
会場:IZU PHOTO MUSEUM

#小島一郎 #写真 #美術 #アート #レビュー #崇高

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