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野生の絵画──淺井裕介の泥絵について・壱

地球全体、宇宙全体を成立させ、全存在の根拠となる「神」を表すことこそが、芸術家としての自分の表現であり、使命である。 ──長谷川潔

わたしが初めて武隆を訪れた2016年のこと。暗雲が立ちこめる不穏な天候のもと、険しい山道を縫うように車で走っていると、不意に渋滞に巻き込まれた。何でも、折から吹き荒れていた暴風が電線や樹木をなぎ倒し、車道を塞いでしまったので、車が一切通行できないという。消防の到着を待つほかないと諦めていたところ、どこからともなくチェーンソーを手にした中国人が現われた。慣れた手つきでエンジンをかけると、車道に転んだ巨木に勢いよく刃を入れる。上半身が裸の屈強な男は倒木の上に立ちながら大きな斧を何度も振り下ろしている。わずか10分あまりだったろうか、いくつかのパーツに分解された巨木はたちまち撤去され、車道はみごとに復旧したのである。中国人の並々ならぬ生命力の強さに驚愕させられたのだが、それ以上に痛感させられたのは、無自覚のうちに公共の力をあてにしていた自分自身の弱さだった。肉体の脆弱さではない。無意識のうちに抑圧していた精神の甘さを暴露されたようで、それを強く恥じたのである──。

淺井裕介の新作《空から大地が降ってくるぞ》を論じるのに、こうした小話を紹介することから始めたのは、ほかでもない。中国人の驚異的な生命力を背景にして制作されたという点で、この新作はわたしが目撃した出来事と大きく重なり合っているように思われるからだ。もとより、中国人の読者にとって、こうした突発的な出来事にみずから対処する経験は、いまさら振り返るまでもない、日常茶飯事のひとつなのかもしない。だが、日本人であるわたしからすると、中国人の並外れた想像力=創造力には、依然として感服させられることが多い。それは淺井の新作の制作現場でも変わらなかった。

たとえば、淺井が画材として用いる土は、制作現場の近辺から採集した後、まず天日干しにして乾燥させなければならない。湿ったまま絵の具として使用すると、土に含まれるカビなどの雑菌が後々発生しかねないからだ。だが、夏前の武隆は曇天が続き、なかなか太陽に恵まれなかった。淺井が悶々としていたところ、ある中国人スタッフが突然かまどをつくりだし、火を起こした。すると、その上にどこからか借りてきた中華鍋をかざし、土を投入。まるで料理をするかのように土を煎ったのである。高温がたちまち土から水分を奪い取ってゆく。なんという合理性だろうか! 太陽の力に頼ることができないのであれば、火を自分でつくればよい。わたしたち日本人スタッフは一様に虚を衝かれた思いだった。

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あるいは、土ではなく岩石を砕き、それを画材に使用したいと強く主張した、別の中国人スタッフもいた。言うまでもなく淺井の泥絵は土を素材としているから、岩石は想定外である。淺井は当初は難色を示していたものの、ひとりコンクリートブロックで粘り強く岩石を粉砕する彼の姿に根負けし、やむを得ず彼の提案を受け入れた。ところが、どうだろう。結果として、彼の発案によりつくられた「D4」という新しい画材は、これまでの泥絵には見られなかった色彩と表情を淺井の新作に加えることになったのである。中国人スタッフのすぐれたアイデアとスキルがなければ、今回の新作は決して完成しなかったといってよい。いや、より直截に言えば、わたしの知るかぎり、《空から大地が降ってくるぞ》は淺井裕介の作品の中でもまちがいなく最高傑作だが、それは中国人スタッフの手と眼によるところが大きいのである。

注目したいのは、彼らが体現していた身体知を淺井が「野生の思考」と言い表した点である。もちろん、突発的に口に出たたんなる修辞句だったのかもしれない。だが、淺井がこの言葉を口にしたという事実が、わたしの耳にはことのほか大きく響いた。というのも、「野生の思考」が美しいレトリックであることは事実だとしても、淺井こそ、この詩的な言葉にふさわしいアーティストであると、わたしはつねづね考えていたからだ。あらかじめ結論めいたことを言えば、《空から大地が降ってくるぞ》は、たしかに「野生の思考」によって制作されたと言えるが、その一方で、それは淺井裕介のすべての制作活動に通底する、きわめて本質的な核心ではなかったか。淺井は、そもそも「野生の思考」を体現するアーティストであり、だからこそ、それを共有する中国人スタッフたちと共鳴しながら、《空から大地が降ってくるぞ》という比類のない大傑作を生み出すことができたのではないだろうか。

[この稿続く]

野生の絵画─淺井裕介の泥絵について・弐

野生の絵画─淺井裕介の泥絵について・参

野生の絵画─淺井裕介の泥絵について・肆

※中国語訳の全文はこちらから

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[追記]
本稿は「武隆ランバ国際大地芸術祭2019」で制作・発表された淺井裕介の作品《空から大地が降ってくるぞ》の一部として執筆されたもので、全文は約15000字。今回掲載しているのはその冒頭です。四川外国語大学の准教授で友人の王宗瑜さんにより中国語に翻訳され、会場の苔蘚館で展示されています。近日、中国語訳の全文がwebで公表される予定です(2019年8月9日にアップロードされました)。

通常、批評はアーティストと批判的な距離を保ちながら展覧会の後日に発表されることが多いですが、今回淺井くんと相談して、批評も作品の一部として発表するという新たな試みに挑戦しました。事務局の働きやボランティアの肉体作業、電気や空調などの内装工事、そして通訳などと同じように、批評という言説活動もまた、作品を構成する重要な要素である。そう考えたのです。それは、森羅万象、さまざまな有機物と無機物を描いている淺井くんの泥絵とパラレルの関係にあるとも言えるでしょう。

わたしは本作の制作中に二度、現場を視察しつつ、同時に制作にも携わったので、今回の論考は基本的には泥絵を中心とした作品論になっています。が、より深い意味においては、淺井裕介の(おそらくは初めての本格的な)作家論としても読めます。現地で作品を鑑賞するのがベストであることは言うまでもありませんが、後日日本語でも全文を発表する予定です。お楽しみに。

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