見出し画像

岡本光博 マックロポップ

京都在住のアーティスト、岡本光博の、東京では21年ぶりになるという個展。決して広くはない会場に、新旧あわせた作品が凝縮して展示された。

「マイクロポップ」をもじった展覧会名に端的に示されているように、岡本の醍醐味は記号を反転させる単純明快さにある。しかも今回展示された作品の大半は、セックスに関わるものであり、平たくいえば下ネタのオンパレードであった。一つひとつの作品に笑わされるというより、それを終始一貫させる、あまりの徹底ぶりがおもしろい。

しかし現代美術の現場において、岡本のような作品は、あまり評価されない傾向がある。高尚な思想を背景にしているわけではなく、解釈の多様性が担保されているわけでもなく、要するにあまりにもわかりやすく、「深み」に欠けているように見えるからだ。とりわけ絵画においては、唯一の解答に導くのではなく、鑑賞者の想像力を無限に拡張させることが至上命令とされている感すらある。芸術とは、かくも深遠なものというわけだ。

けれども、実際のところ、こうした考え方だけが芸術の本質であるとはかぎらない。そのような芸術の「深さ」はポップ・アートによってすでに相対化されてしまったといえるし、その「深さ」とやらこそが、美術と庶民のあいだに不必要な距離感をもたらしたとすら考えられるからだ。だとすれば、岡本の作品をたんなる下衆で低俗な言葉遊びと断じることは到底できない。それは、そのような「深さ」を伴った芸術に向けられた、そしてそのような芸術を依然として待望してしまうわたしたちの心根に向けられた、きわめて鋭利な批判なのだ。性的な主題を大々的に前面化させているのも、それを忌避しがちな現代美術を笑い飛ばす、露悪的な身ぶりなのだろう。

だが岡本の作品もまた、同時代を生きる者によって同時代を生きる者に向けられた美術という点で、現代美術のひとつであることに違いはない。「マックロポップ」が「マイクロポップ」のようなムーヴメントを形成することはないだろうが、現代美術におけるどす黒い反逆の身ぶりを示す指標にはなりえるのではないか。

初出:「artscape」2015年1月15日号


※写真はいずれも2017年に横浜は寿町で開催された「盗賊たちのるなぱあく」で展示された岡本光博の作品《ドザえもん》と《DADAモレ》。


岡本光博 マックロポップ
会期:2014年10月25日~11月22日
会場:eitoeiko

#岡本光博 #美術 #アート #レビュー #福住廉


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?