見出し画像

MADSAKI「HERE TODAY, GONE TOMORROW」

東京とニューヨークを拠点に活動しているMADSAKIの個展。グラフィティのスプレーで描いたタブローなど21点が展示された。モチーフは、主に彼の妻で、昭和レトロな空間のなかで鮮やかな浴衣を羽織ったヌード像が多い。奇妙な色気を感じさせる不思議な絵画である。

「奇妙」や「不思議」と言ったのは、描かれた絵肌とそれらを描いた画材とのあいだに大きな乖離があるように感じられるからだ。スプレーによるグラフィティと言えば、タギングのように、スピード感と躍動感にあふれた大胆不埒な線を連想するし、スローアップやマスターピースにしても、悪魔的なイメージが少なくない。だが彼がそのスプレーで描き出すのは、むしろひじょうに精緻で繊細な線であり、たおやかな女体なのだ。黒い輪郭線はところどころで液垂れしているので、それらがスプレーで描写されていることは一目瞭然だが、にもかかわらず、畳やカーテン、壁紙などの細部に目を向けると、色と色をきわめて丹念に置いていることがわかる。いずれの絵画においても顔がレゴブロックのように抽象化されているため、人体のヌードはむしろ後景に退いて見えるが、それが逆説的に、衣服や背景、空間を異常なまでの執着心で描き込んでいることを、ありありと実感させるのだ。

グラフィティの暴力性とタブローの綿密性。MADSAKIの絵画の真髄は、おそらくそのように相反する両義性を内側に抱えながら、絶妙な平衡感覚でそれらのあいだを自ら切り開いている点にある。会場には輪郭線を排除しながら色面だけで画面を構成した作品も展示されていたが、黒い輪郭線で縁取られた絵画と比べると、やや遜色があった点は否めない。過剰なまでに明るい色彩がファンシーな印象を強く醸し出しすぎていたからではない。それらがグラフィティというよりタブローの方に重心を傾けすぎていたからだ。

だが黒い輪郭線は、グラフィティという出自を指し示しているだけではない。それはわたしたちにとっての絵画的イメージの特性をも暗示しているのではなかったか。グラフィティが本来的に線描であることは事実だとしても、「絵画」や「美術」という概念を西洋社会から輸入することで日本近代美術が制度化される以前、わたしたちにとっての絵画的なイメージの大半は、そもそも線描であった。日本近代美術の端緒にドローイングからペインティングへの重心移動があったとすれば、MADSAKIのグラフィティ=タブローには、明らかに日本近代美術以前への志向性が伺える。そのような歴史への遡行性を体現しているのが、あの緻密に描きこまれた昭和レトロの空間である。スプレーで丹念に描きこまれた空間や背景は、現実的な生活空間を描写しているというより、失われてしまった美術以前のイメージを取り戻す意志の現われなのかもしれない。

初出:「artscape」2017年7月1日号

※写真はすべて「1984」(Kaikai Kiki Gallery、2020年9月1日~10月1日)より。

MADSAKI「HERE TODAY, GONE TOMORROW」
会期:2017年5月19日~6月15日
会場:Kaikai Kiki Gallery

#MADSAKI #美術 #アート #レビュー #福住廉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?