見出し画像

津田大介インタビューの質問事項

「美術手帖」2020年4月号〈緊急特集「表現の自由」とは何か?〉において、「あいちトリエンナーレ2019」の芸術監督・津田大介氏にインタビューしました。わたしは事前に質問事項を用意して、津田さんはそれに目を通したうえでインタビューに応じました。さまざまな事情があるのでしょうが、質問に答えてくれた論点と、答えてくれなかった論点があります。また、編集の都合上、割愛せざるを得なかった論点もあります。それらの論点を端的に整理するためにも、そして今後の議論の参考にするためにも、その質問事項を無加工のまま公開します。

①SNS時代における公共圏にはどんな可能性と限界があるとお考えですか。

さまざまな政治的信条をもつ人びとが同じ場所に集まるという点で、国際展や芸術祭もある種の公共圏として考えられますが、今回の事件は、芸術祭という公共圏とSNSという新進の公共圏とが伴走した現象から生じたと考えることもできると思います。また、今後の国際展・芸術祭は、この2つの公共圏が交錯する状況をデフォルトとせざるをえないことも予想できます。津田さんはメディア・アクティヴィストとしてSNSという公共圏の可能性と限界を早くから観察し、また自ら実践してきたわけですが、SNSという公共圏にはどんな可能性と限界があるのでしょうか。より具体的に、また率直に、言い換えれば、SNSをとおしたネトウヨとの対話は可能なのでしょうか。


②議論や対話のための空間設計について。

今回の事件で明らかになったのは、現代美術の現場に美術家や鑑賞者、あるいは一般移民が胸襟を開いて議論したり対話を重ねたりする現場がまったく整備されていないという事実でした。美術館の企画展などでも、「議論のきっかけにしたい」とか「広く対話を重ねたい」、「社会に一石を投じたい」というレトリックが多用されていますが、現実的には、美術館にそのような議論・対話のための空間は用意されていません。今回の事件でも、そのような具体的な場所を設定したのは、サナトリウムにせよJアート・コールセンターにせよ、アーティストでした。国際展や芸術祭をプロデュースしたりディレクションしたりする役割の人びとは、今後、そのような空間を設計する必要性に迫られると思いますが、その一方で、そのような仕事を軽んじることも十分に予想できます。この点について、今回の事件の当事者として、どのように思われますか。


③キュレイターの見えなさについて。

今回の事件で、個人的にもっとも腑に落ちなかったのは、キュレイター陣の姿や声がまったく見えなかったという点です。津田さんや大村知事、あるいは「表現の不自由展・その後」の実行委員会の発言や行動は、大小さまざまなメディアをとおして、伝えられましたが、津田さんをサポートしながら、現場で活動しているはずの、そして「美術の専門家」であるはずのキュレイターたちの動向がまったく伝えられませんでした。これはどういうことなのでしょうか。津田さんが前面に出ることによって彼らを守ったということなのでしょうか。それとも、彼らが無関係を決め込んだということなのでしょうか。なぜこの質問をしているかというと、次の質問にも関わりますが、「美術の専門家」が当初から姿を隠していることと、検証委員会の報告には、何かしらの相関関係があるように見受けられるからです。


④検証委員会はなぜ津田さんの仕事に今回の事件の責任を帰着させたのでしょうか。

すでに津田さんが指摘しているように、検証委員会の報告書は事実誤認やキュレーション観の錯誤など、見過ごすことができない問題点を少なからず抱えています。報告の前提には、「美術の専門家」と「美術の素人」という陳腐な図式があるように見受けられますが、これはあいトリの歴代のディレクターの大半が「美術の素人」であることを考えれば、あいトリのアイデンティティーを否定することになりかねません。こうしたことが明らかであるにもかかわらず、なぜ検証委員会がこのようなずさんな報告をしたのか、その理由には何かしらの政治的な動機が含まれているように推察できますが、どのようにお考えですか。


⑤電凸に応対した職員の疲弊について。

今回の展示中止の論拠となっているのが、おびただしい数の電凸に応対した職員が疲弊し、少なからず精神的なダメージを負ったという事実ですが、これは具体的にどのようなダメージでありショックだったのでしょうか。この点が詳らかにならなければ、展示中止の妥当性を社会的に周知させることはできませんが、現在のところ、端的な事実だけしか伝えられていないため、外側から見ると、展示中止の論拠がある種の「ブラックボックス」と化しています。津田さんはジャーナリストですから、釈迦に説法でしょうが、ジャーナリズムの観点からもっとも関心が高いのは、この点であることは言うまでもありません。ぜひ具体的なお話を伺いたいです。


⑥あいトリの未来像について。

今回の事件は、あいトリだけでなく、日本の国際展・芸術祭にひじょうに大きな課題を投げかけました。自主規制や萎縮効果だけでなく、電凸への対応体制やそのための予算の確保、さらには議論のための空間設計など、これまでの文化行政が手つかずにしてきた問題が一気に噴出しました。あいトリのディレクターは次回以後のディレクターを選出する権限があると聞きましたが、であるならば津田さんは次回以後のあいトリにも、程度の差こそあれ、何かしらのかたちで関わることが予想されます。次のあいトリの望むこと、解決すべき課題、あるいは国際展や芸術祭に期待することなどあれば、教えて下さい。


[追記]
インタビューを終えて、個人的にもっとも気になったのは⑤です。電凸によってどんな具体的な被害があったのか。被害者の声を取材し、それらを公表することは、展示中止という判断の正当性をたしかなものにするでしょうし、電凸という攻撃の暴力性と不正義を社会的に共有することにもなりえます。逆に言えば、この点が藪の中にある以上、展示中止の判断には重大な疑義があると言わざるを得ない。つまり⑤こそが、今回の事件のもっとも核心的な論点だと言えます。にもかかわらず、津田さんも愛知県も、その実情を詳らかに語っていません。美術ジャーナリズムが果敢に取材を試みたという話も寡聞にして聞きません。今後、時間が経てば明らかになりうるのかもしれませんが、その一方で、曖昧なまま忘却される恐れがひじょうに高いことも事実です。「表現の自由」という理想をみすみす手放すことがないよう、将来的に議論が発展することを強く望みます。

#津田大介 #表現の自由 #美術手帖 #福住廉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?