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酷評に、愛は宿る。

「いいじゃん!」「いいね!」「すごい!」「おススメ!」

背中を押してくれる言葉をもらったら、嬉しい気持ちになります。

「ダメ」「全然ダメ」「悪い」「星を付けるなら1個も付けられない」

否定される言葉をもらったら、悲しい気持ちになります。

ただし、否定される言葉も「ダメ」「悪い」といった一言ではなく「~という理由でダメ」「~という観点で~の部分が悪い」など、理由や改善点まで述べられるような長文での批判、いわゆる酷評は時に愛を感じます。

例として、クチコミで長文の酷評を書いているのを見たり、日常で酷評をもらったときなどに愛を感じます。

酷評を述べる側も、それなりのエネルギーと時間を消費するわけです。

ゲームに例えると「ダメ」「悪い」で消費するMP(マジックポイント)を1とするなら、酷評までいくとMP10は超えるでしょう。酷評の魔法を繰り出すまでに時間もかかります。大魔法を繰り出すのと同じです。

大魔法を繰り出しているということは、対象に対して強い想いがあることになります。興味関心がない対象にわざわざ大魔法は出しません。

こういった理由から、短文の批判ではなく長文の酷評に愛を感じるというわけです。

見方を変えるとnoteをはじめネットで評価をもらう際も、批判はツラいですが酷評は愛であると、酷評をもらえるほど注目されているのだと考えることが出来ます。

真っ向から突き付けられる酷評の刃に恐れるのではなく、酷評のムチと捉えて、酷評も背中を押してくれる言葉だとポジティブに考えられると、新しい道が開けるものです。

「ついに、、、酷評もらえた!嬉しい!」

ここまでポジティブにいけたら良さそうです。


酷評に、愛は宿ります。


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