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027:人生初の「塀の中」

ブノアでの毎日はとても平和で、これがずっと続くことを期待していましたが、残念ながらそうはいきませんでした。ある日弁護士から次のように告げられたのです。

もしかすると近々ここを出て、クロボカンにある刑務所に移らなければならないかもしれない

本来は捕まってから警察での取り調べが終わるとすぐに刑務所に移されるようなのですが、私が精神的にかなりダメージを受けていたため、心配した弁護士ができる限りの根回しをしてくれたおかげで、ブノアの警察にいることができたのです(もちろんそのために水面下でお金が動いたことは言うまでもありません)。

しかしどんな状況も永遠には続きません。できることなら日本に帰国するまでここにいたかったのですが、検察側から「これ以上の延長を認めない」と通達があったのです。弁護士はあらゆる手を使って延長を試みたのですが、残念なことに最終的な回答は「NO」。遂に移送されることが決まってしまいました。

まさか自分の人生において、刑務所に(それも海外で)収監される経験をすることになろうとは・・・。まったく想像すらしていませんでした。

刑務所に移ることが決まってから、「そういえば、ブノアの警察の人達とあまりコミュニケーションを取っていなかったな」ということに気付きました。毎日鍵を開けてくれた人、時々マンゴーの差し入れをしてくれた人、いつも笑顔で話しかけて力づけようとしてくれた人、そして自分の部屋を使わせてくれた所長さん。たくさんの人に支えられていたのですが、「時間はたくさんあるから、そのうち話をしよう」と思って何もしなかったのです。

ずっと居られると思ったブノアから「クロボカンに移るかもしれない」と言われてから、正式に決定して実際に移動するまで、わずかの間の出来事で、残念ながらほとんど話も出来ずに終わってしまいました。ブノアを去る時、「やりたいことを先送りにしてはいけない。その時が最後かもしれないという気持ちが大切なんだ」とあらためて感じました。

遂に刑務所へ

クロボカンの刑務所はどんなところなんだろう。

さすがに刑務所となると、何も悪いことを指定なのに、まるで犯罪者として扱われているような気分になってしまいます。私はデンパサールからブノアの警察に移動した時とは比べものにならないくらい、不安でいっぱいになりました。

バリのどこに刑務所があるのか知らないのはもちろんですが、そもそも刑務所があることすら知りませんでした。移動当日、警察の車に乗り込んでしばらく移動し、刑務所に近づいてくるとまわりにはなんとなく見覚えがある景色が・・・。

到着してから驚いたのですが、そこはいつも食事や買い物に行っていた地区から目と鼻の先でした。きっとそれまでに何度も何度もこの前を通っていたと思いますが、まさかそんなところに刑務所があるとは思いもよりませんでした。

ブノアの警察とは違い、ここは刑務所なので大勢の人々が収監されています。私と同じように裁判を控えている人、裁判中の人、そしてすでに実刑判決を受けて服役中の人。国籍も年齢も宗教も様々です。どのように区分けされているのかはわかりませんでしたが、広い敷地の中にはいくつもの棟がありました。弁護士の説明では、私はその中にある外国人向けの棟に行くのですが、最初だけは手続きの都合で現地の人達と同じ雑居房で過ごさなければならないと伝えられました。

想像を絶する場所

手続きが済んでから雑居房まで案内されて行ってみると、そこは6畳ほどの部屋がいくつか並んだ長屋のような建屋で、それぞれの部屋にはどう考えても定員をオーバーしていると思われる、十名を超える人達がいました。部屋の中には備え付けのベッドがひとつ、その脇にはトイレがひとつあるのですが、それだけでほとんどいっぱい。他には満足に座る場所もないくらい超過密な状態でした。

私が部屋の入り口の前で「夜は寝られるんだろうか?トイレは?シャワーは?」などと思いながら呆然と立ちすくんでいると、刑務所の看守がその部屋のリーダーと思われる男に何かを言い、それを聞いた男は黙って頷きながら聞いていました。そして、短い会話が終わると看守は私の前に近づき、

「おまえは今夜、このベッドで寝ていい」

と言いました。どうやら、ここでも弁護士が事前に根回しをしてくれていたようです。時間が経つにつれて徐々に分かってくるのですが、ここでは何をするにもお金がものを言います。つまりお金さえ払えば、大抵のことはできてしまうのです。逆にお金を払えない人は何もできないわけで、それは「ここまであからさまでいいのだろうか?」と思ってしまう程でした。

ベッドは狭い部屋の大半を占めています。その奥にあるトイレは特に仕切りなどはなく、小さな布で目隠しされている程度。この場所は「とりあえず」で、すぐ別の場所に移動できるんだと分かっているから良いものの、もしもここでずっと過ごせと言われたら耐えられそうにはない環境です。

刑務所での最初の夜。私はリーダーと二人でベッドをシェアして眠れましたが、それ以外の人達は空いているスペースを適当に確保して寝るのですが、中には満足に横になることすらできない人もいました。部屋には冷房はもちろん扇風機すらなく、蒸し暑さと居心地の悪さと不安な気持ちとで、ほとんど眠ることができないまま過ごしました。

またしても欺されるところだった

翌朝、房から出て管理棟に行き弁護士が来るのを待っていると、マデというインドネシア人が笑顔でとても優しく声をかけてきました。会話の中で「昨日はほとんど眠れなかった」という話をすると、彼は即座に「お金を払えばすぐに別の部屋に移れる」と言ってきました。部屋のあまりの酷さに耐えかねていた私は、「それくらいなら払えない金額でもないな・・・」と思い、ついその場で彼にお願いをしてしまいました。

彼と別れてしばらくすると弁護士がやって来たので、私は「昨日の部屋は耐えがたい環境だったので、別の場所に移れるように依頼をした。そのためのお金が必要なので、用立てて欲しい」と伝えました。すると、弁護士から「既に別の棟に移れるように手続きを進めている。マデへの依頼は不要なのですぐに断るように」と言われました。

私は弁護士と別れると急いで彼を探して話をしました。彼は最初、ニコニコしながら聞いていましたが、「断りたい」という話をした途端に鬼のような形相に変わり、「おまえがOKしたから既に手配した。キャンセルはできない。断るなら金だけ払え」と脅してきたのです。良い人に見えたのは、日本人だから金づるになると思ってそう演じていたのでしょう。ダディットと出会ったときに「見た目で判断してはいけない」と学んだつもりだったのに、全く学習していなかったと反省しましたが、この事件のおかげで、マデはそれ以降も何かにつけて因縁をつけてくるようになり、本当に厄介な存在となりました。

結局、その部屋に泊まったのは一晩だけで、翌日には外国人用の棟に移動することができました。案内された外国人棟は昨晩とは別世界で、広々とした清潔感のある建物でした。棟の入り口の鉄格子を開けて中に入ると中央には共有スペースがあり、それを取り囲むように大小合わせて8つほどの部屋。それぞれ広さによって個室または相部屋になっていて、各部屋の入り口には鍵のかかる鉄格子の扉がありました。案内されたのはその中でも比較的広い部屋で、二段ベッドが二つあるため4人までは入れそうでしたが、幸いにも先客はなく私一人で使うことができました。

ここでも「お金さえ払えば、部屋は自分の好きに改装できる」と言われたのですが、そんな金銭的な余裕はないため断りました。後になって別の部屋を覗いてみると、テレビを持ち込んでいたりステレオがあったり、ある人は壁の色を塗り替えたり・・・。みんな自由に部屋をアレンジして少しでも快適に過ごそうと工夫をしているようでしたが、私は長居するつもりもないので、ブノアから持ってきたマットレスと扇風機を持ち込んだだけで、何もしませんでした。

この部屋にはありがたいことにお風呂のスペースがありました。つまり、いつでもマンディ(水浴び)ができるということです。バリのお風呂は水をためたタンクから手桶で水を汲んで使うのですが、部屋には手桶がなかったため、とりあえずビニール袋で代用して数日ぶりにマンディをしました。

これからは好きなときにマンディができる!

そう思った瞬間、そんなごく普通なことにも感謝ができて、ありがたいと感じられている自分にちょっとびっくりしました。

読んでいただいてありがとうございます。何かを感じてもらえたら嬉しいです。これまでの経験について本にしようと考えています。よろしければポチッと・・・。