028:刑務所はどんなところ?
バリ島クロボカンにある刑務所。私の棟にいるのは10人ほど。当たり前ですが刑務所にいるということは全員が犯罪者ということです。こんなところでトラブルに巻き込まれるのは嫌なので、彼らのことはもちろん、ローカル・ルールなどについても調べることからスタートしました。
入り口に近い部屋は大柄なバリ人がいて、彼がこの棟を仕切っているボス的な存在でした。彼には変に目をつけられることがないように、できれば少しでも気に入ってもらえるよう注意して行動しました。その後しばらくしてから知って驚いたのですが、彼は実刑判決を受けて服役しているにもかかわらず、毎週刑務所を出て自宅に戻っていました。そしてその時に飲み物や食べ物を仕入れてきて、刑務所内でそれを販売するというビジネスを展開していました。
きっと看守に相応のリベートを支払っているのでしょうが、日本では全く考えられないことです。驚くと同時に、バリでは日本の常識が通じないんだと言うことを再び実感し、慎重に行動しなければという思いがより一層強くなりました。
外からのサポートがないと食事も大変
ここでの朝食は、毎朝7時頃に食パン数枚とフルーツ(いつもパパイヤでした)が配られます。その後しばらくすると、部屋の鍵が開けられ、夕方再び鍵がかけられるまでは出入りは自由。その間、グラウンドに出てスポーツをしたり、お寺や教会、モスクなどにいってお祈りをしたり自由に過ごす事ができます。
昼食と夕食では白米が配られますが、炊いたお米を直接リヤカーの荷台に載せて運んでくるのには驚きました。日本人としては全く信じられない感覚です(とても食べられたものではありません)。また、他の棟がどうだったかわかりませんが、少なくとも私のいた棟ではおかずらしきものが配られたことはなく、ある人はどこかで野菜などを調達して調理をし、ある人はインスタントラーメンなどを作り、またある人は敷地内にある売店で食事を済ませたりしていました。
私はブノアの時にお願いしていた日本食レストランに引き続きお弁当を作ってもらい、弁護士事務所のスタッフに一日二回届けてもらっていたので助かりましたが、そうでなければ毎日の食事さえまともに摂ることができなかったと思います。
自由はお金で買うもの
鍵のかかるドアは棟の入り口と各部屋の入り口の二ヶ所。両方とも夕方になると鍵がかけられますが、私がここに移った数日後の夕方にこんなことがありました。
部屋の外に出て「そろそろ鍵がかかる時間かな」と思っていると、同じ棟のハミッドというイラン人が、「もう少し外に出ていたいか?」と尋ねてきました。そんなことは聞かれるまでもありません。私が「もちろん」と答えると「それならこれだけ払え」とお金を要求してきました。
最初は一体どういうことか分からなかったのですが、話を聞いてみると、少しでも長く自由な時間を手にれたい者は、看守に定期的に袖の下を払うことで時間を延長してもらっていたのです。実はこの事に限らず、看守に何か便宜をはかってもらうときにはその都度お金が必要で、刑務所の中で少しでも快適に過ごそうとすると何かとお金がかかるのでした。
刑務所で数日過ごすうちに次第に状況が分かってきたのですが、私が二日目にこの棟の個室に移動できたのは弁護士が動いてくれたからでした。もしそうでない場合は何日も雑居房に入れられたり、外国人であっても現地の人達と同じ棟に入れられてしまうこともあるようでした。
ここでは公平にとか平等にとかいう概念は通用しません。すべてはお金でどうにでもなる世界なのです。
私が移動してきてからしばらくして、バリに旅行に来てドラッグ所持で捕まったという日本人の青年と出会いました(結局、ここで出会った日本人は彼一人でした)。彼はもう半年以上も前に捕まったのですが、そのことを親にも伝えていないため全くお金がなく、弁護士を雇うことが出来なかったのです。そのため裁判も遅々として進まず、いつ裁判が終わり、いつ刑務所を出ることができるのか、全く分からないとのことでした。そんな彼は日本人であるにも関わらず、収監されているのは現地の人達と同じ棟でした。
ここでは正しいことなどなにひとつなく、全てはお金でどうにでもなる。そんな世界だったのです。
読んでいただいてありがとうございます。何かを感じてもらえたら嬉しいです。これまでの経験について本にしようと考えています。よろしければポチッと・・・。