ハーバード見聞録(37)

「ハーバード見聞録」のいわれ
 本稿は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。


小泉総理の靖国参拝(9月26日の稿)

小泉総理の靖国神社参拝がここハーバード界隈でも話題になった。当地はアメリカでも民主党の牙城であり、リベラルを自認する人が多いせいか総理の靖国参拝は日本が民族主義的傾向に進む兆候であるなどの理由で批判的な向きが多いようだ。

そのうちの最も有名な人としては、既に朝日新聞などで小泉総理の靖国参拝に反対論を展開しているエズラ・ボーゲル教授(我が大家さん)である。教授は、7月6日付朝日新聞の「近隣外交を問う」と題するインタビュー記事で「小泉総理は靖国参拝を止めるべきである」とし、「右派ナショナリズムを超えよ」と日本国民に呼びかけている。教授は、私達、当地の日本人と話をする時も、このような文脈で小泉総理、更には小泉路線の最有力の後継者と目される安倍官房長官に対して極めて批判的である。

このような雰囲気の中で、今年は、当地で学んでいる日中の留学生達(日本の場合は若手官僚をはじめとするエリート集団)が、「日中留学生の討論会」と「上海国際問題研究所のセミナー」が開かれたという。

残念ながら、私はいずれにも参加していなかったので、航空自衛隊の影浦2佐からその様子を伺った。

今春、中国において反日デモが真っ盛りの頃、この界隈の大学院で日中の学生間で日中関係に関する討論会が行われた。アメリカ国内の他の地域では、中国人学生による反日デモも行われたらしいが、ここハーバード界隈ではそうした外向きの活動は無く、学校内での討論会のみだった。私はその中の一つで、ケネディ行政学院で行われた討論会(元々はボーゲル邸での勉強会(ハーバード松下村塾)を発端に企画され、後に同学院内の学生団体間のイベントに発展したもの)に参加した。この討論会は数回にわたって行われたが、総じて言えば次のような印象だった。

・日中関係の重要性が高まっていること、そしてその関係が悪化しているという認識は、日中双方の学生が共有
・首相の靖国参拝に関しては、日本人学生の間では、賛成派から反対派までほぼ均一に意見が分かれている状況
・他方、中国人学生の間では、靖国参拝には全員が強く反対、ただし日本大使館・領事館に対する襲撃事件に対しては反省の意を表明する学生も存在
・中国人学生の歴史及び事実認識は、中国のマスコミ及び中国国内での学校教育を通じて得たものが全てのようであり、一枚岩と言っても過言ではない様子。例えば、自衛隊の海外派遣については、「憲法違反であり軍国主義復活の先駆け」と認識されていた(この意見を発表した学生は、実は日本国憲法は一度も読んだことが無かったことが後で確認された)。

こうした動きの中での台湾人学生と、反中国系アメリカ人学生の様子も面白かった。まず台湾人学生については、討論会に参加した学生はいたものの、遠くから様子を見守る学生がほとんどだった。また、アメリカに留学しその後亡命まがいに移り住んだ反体制中国系アメリカ人学生は、討論会では沈黙を保っていたものの、しばらく経ってから法輪功の中国人研究者まで巻き込んで、反中セミナーを開催した。無論、このセミナーには大陸中国からの参加者は見たところ皆無で、日米からの参加者がほとんどだった。

10月の小泉首相靖国参拝の後には、タイミングよく、中国のシンクタンクである上海国際問題研究所から所長以下の研究者達がボストン入りし、ハーバード大学内の研究センターや大学院でセミナーを実施した。彼らの発言は、内容的には中国政府の公式発表を越えるものはなく、時期的なこともあってか、靖国参拝を批判やいわゆる「南京大虐殺」等を引用した反日的発言が散見された。

こうした意見に対する日本人学生の反応は、先の日中学生間の討論会の時と同様二分されており、中国側に理解を示しつつ『靖国参拝に反対する日本人が大勢いること』を紹介する学生もいれば、当時実施された朝日新聞の世論調査結果を引用しながら『朝日新聞の世論調査の結果でも賛成・反対が二分している』ことを指摘し、日本国内の世論が総理の靖国参拝に必ずしも否定的でないことを主張するメディア関係出身の留学生もいた。

一方中国人学生からは、今回はこれと言った意見や質問も出なかった。学生から見れば、講演者は本国から来た先輩であり上司であり、もしかしたら共産党の監視役かもしれないから、下手な発言は控えるという判断が働いたのかも知れない。

面白かったのは、参加したアメリカ人学生から『中国はいつも南京大虐殺を取り上げるが、何百万人もの中国国民を虐殺したと言われる毛沢東が、今でも中国で奉られているのは如何なものか』という質問が飛び出したことだ。

この質問に対しては、『それは中国の国内問題であり、国際問題である日中問題とは比較にならない』との答えだった。しかし、敵国民を殺すより自国民を虐殺する方が遙かに悪質だと思われるし、中越戦争や朝鮮戦争での敵国民虐殺を含めて質問されていたら、彼らの回答はどのようなものになっただろうかと興味をひいた。

この種の民族・国家間の問題を議論する時は、アメリカのような第三者・国を交えた方が、当事者のみの討論会よりもある意味でバランスの取れた『面白い』ものになることを印象付けた一幕だったように思う。

おそらくハーバード界隈で学ぶ中国人留学生達は、知的にもまた将来の社会的地位においても一般民衆より遙かに高いだろう。しかし彼らでさえ、インターネットの普及した今日でも、日頃得ている日本についての情報が反日的な中国マスコミを通じたものであるところに問題があると指摘する人は多い。ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学が共同で行った中国国内のインターネット・アクセスに関する調査では、中国国内が巨大なLAN(ローカルエリアネットワーク)のようなものになっており、外国から、または外国には、自由にアクセスできないという結論が出たと聞く。また、ハーバードに所在するアメリカ人を含む中国研究者達(非中国人)からも、中国側の情報統制について、当然のことながら批判的意見をしばしば聞くのも事実である〉


ある邦人留学生のご家庭に夕食の呼んでいただいた際、この問題が出たので、私は次のように所見を述べた。
 

〈中国は、改革開放経済で著しい経済発展を遂げる一方で、その副作用として貧富の差の拡大や共産党幹部の汚職の蔓延など、内部矛盾が益々深刻化し、国民大衆の不満は募るばかりである。また、韓国のノ・ムヒョン大統領は、経済・財政面ではそれほどでもないが、『親北朝鮮路線』に対する保守派の反発など内政面では政権発足以来苦しい舵取りを強いられている。

従って、中国も韓国も小泉総理の靖国参拝に対してはまさに『渡りに船』と強硬に反発しているのではないか。二人とも心の中で『小泉総理よ、有難う。我々の内政不安を助けてくれて』と手を合わせているかもしれない。いずれにせよ、中国も韓国も日本の力を借りなければ、自らの力では内政を安定させられないほどの弱体振りを世界にさらけ出しているというふうにも解釈できないだろうか。

よしんば、小泉総理が靖国参拝をやめても尖閣諸島や竹島などの領土問題や歴史教科諸問題など『第二、第三の靖国問題』を拵えて、自らの内政強化に利用しないという保障があるだろうか。特に両国とも今後益々内政問題は抜き差しなら無いほど深刻化する趨勢にあると見られ、『日本叩き』の必要性が更に高まることが予想される。

そのような中で、日本政府が彼らの要求を次々に呑んでいけば、日本は本当に国際世界から敬意を持って信頼される国になれないだろう。アメリカに対しては『ポチになるな!』と言う一方で、『中国・韓国の言い分は聞け』と言うのは如何なものだろう〉
 
またこの問題に対するアメリカの態度についても、私は次のように述べた。
 
〈アメリカは、この問題に対し当然のことながら傍観者の態度をとっている。この問題に関するアメリカの視点は二つあると思う。第一は、第二次世界大戦の歴史的教訓から日本のナショナリズムの高揚には警戒的である。第一・二次安保闘争は共産主義イデオロギーがなさしめた『反米闘争』であったが、日本が右傾化した場合も『反米闘争』に深化しないという保証は無いことを恐れているものと見られる。けだし、民族主義的反米闘争は従来の左翼思想に依拠した反米闘争よりも熾烈になることだろう。私がアメリカに来て5ヶ月になるが、これまでアメリカを見聞して痛感したことは『アメリカは第二次世界大戦の経験から、世界の中で中国や旧ソ連と同様に日本を恐れており、日本が日米同盟から離脱し核武装するのが最悪のシナリオ』だと考えている節があるように感じられる。

このようなコンテクストで、アメリカの今次のトランスフォ―メーションにおいて、日米同盟の中核的存在である自衛隊・米軍の関係をより緊密にするために様々な施策を実施していることは「日本のアメリカ離れ」を阻止するための最後の仕上げとも言うべきものであろう。

特に、あらゆる意味において「日本の最後の砦」とも言うべき陸上自衛隊との緊密化を図るため座間に米陸軍司令部を推進して来る意義は純軍事的な側面だけではなく、日米間の政治的意義から注目すべきことである。その一方で、第三海兵機動展開部隊の司令部を沖縄からグアムに後退させるのは日米間の政治的な意味では左程の重要性は無いと見られるものの、軍事戦略的には対中国・対北朝鮮に対するコミットメントを低下させるのではないかという疑念を持つのは私だけだろうか。余談だが、日本外交も、このようなアメリカの意図を逆手にとって「対米追従」の「代償」を引き出す工夫・努力が必要だと思う。

第二は、日中に諍いがあっても、アメリカの国益にとって殆ど影響は無いということだ。それどころか、日本が益々アメリカに接近せざるを得なくなるだろうし、中国に対し対台湾、対朝鮮半島に加え第三番目の課題(対立正面)を拵えてくれることになる。火種が増えると言うよりも、『形を変えたアメリカの代理戦争(熱戦ではない)』と言う見方もあるのではないだろうか。特に中国の台頭を受けて、今後アメリカは対中国戦略を考える上で日本の価値はいっそう高まるのは必定で、日中関係が悪化したほうが好都合であると思っているのではないだろうか。私には、総理の靖国参拝に対するアメリカの態度乃至はアメリカ識者のコメントは、複雑な意味を込めて『冷笑』しているようにしか感じられないのだが〉
 
私が夕食に招かれた席で所見を述べた数日後、影浦2佐から私のアメリカの対日政策についての推理を裏付けるような次のようなメールを頂いた。
 

昨日、ハンチントン教授の授業で興味深い発言を引き出すことが出来ました。授業は、『ならず者国家:テロと大量破壊兵器』という題目だったのですが、『リアリスト』でもある同教授は、ある程度核兵器の意義を認めており、現在でも『核による平和』が成り立っていることを否定していません。

そこで私が『北朝鮮・中国という核保有国に囲まれる日本が、より安定した安全保障環境を構築することを目的として、核兵器を保有するという選択肢はあり得ると考えるか?もしそうであれば、米国はそれを許すであろうか(かつて韓国は許されなかったが)?』と質問してみました。すると矢張り(!)次のように答えてくれました。

『日本が核を保有することは、その目的のためには『適切な選択肢の一つ』であると考える。しかし、米国はそれを許さない。なぜなら、日本にせよ韓国にせよ、核を保有すると、米国への依存度がかなり低下するからだ』

ハンチントン教授はご老体(78歳)で、その所論を巡っては賛否両論ある先生ではありますが、このように正直にホンネを語ってくれるので、私は好感を持っています〉

小泉首相の靖国参拝問題をナショナリズムの問題と捉えるなら、私は我が国のナショナリズムの高揚を心から喜んでいる。私自身が、靖国神社に眠る英霊と同じく、国を守る立場にある自衛官であったというメンタリティから言えば、国に殉じた英霊が、未だ半数近くの国民(英霊の子孫)からまるで「犬死」に等しい扱いをうけることには理屈抜きに「英霊に対して申し訳ない」、という思いが強い。

半世紀を閲し、日本も変わりつつある。日本人という同胞を信じたい。世界の中で、先の大戦から学んだ節度あるバランスの取れた正しい道を堂々と歩んで行ける日本国の到来が待たれる。


【後記】2021年11月14日、当時留学生の一人だった土井様から「日中学生対話会」の顛末(日中留学生のバトル、日本外交官の変節、ボーゲル教授の中国支持など)について次のようなメール(情報)を頂いた。
 
〈小泉総理の靖国参拝は、私の帰国直後の出来事で、当時はまだ駒場のウィークリーマンションに仮住まいして居り、「千載一隅のチャンスだ!」と思ったので、靖国まで現場を見に行ったものです。朝ニュースを見て急いで出た甲斐ありまして、総理の到着前に現場に着くことができました。私の到着前に、サヨク共と右翼勢力の間で小競り合いがあったようですが、警備陣が無事鎮めたあとで、境内は何事もなく静かになっており、無事サヨクを追い払った国士諸君が気持ちよさそうにそこここで、笑顔で語らっている程度でした。

そこへ小泉総理が到着、拍手とともに、散発的な「万歳」の声が上がり、私も唱和しましたが、それもやがて静まり、、、という感じで、現場は報道のヘリが五月蠅かった以外は、至って静かだったのを覚えています。

さてメルマガでご指摘の「日中学生対話会」、懐かしいです。これはその前年に、私たちの学年の時に初めて、現在経産省で課長を務めるO氏(私の年度のヴォ―ゲル塾「塾頭」)と、元・チャイナスクール外務官僚で博士課程に居たN氏の「仕掛け」で、やらざるを得ない状態になったもので、私や、現在衆議院で安全保障委員長を務める大塚拓代議士等は、「向こうのプロパガンダに利用されるだけだから、彼らとの直接対話会ならまだしも、公開形式は避けるべきだ」と主張したのですが、彼らの自己顕示欲と、おそらくヴォ―ゲル氏の意向もあって、押し切られる形で開催に持ち込まれてしまったものです。

そこでO氏と私が担当したのが、「南京大虐殺」に関するセッションで、これも私は教科書問題を取り上げたかった(こういうこともあろうと思って、実は藤岡信勝氏らの「新しい教科書」を、ハーバードに持ち込んでいました)のですが、これまた中国側とグルになった外務官僚のN氏に押し切られてしまいました。

正面から中国人の主張を否定してもヒステリックな水掛け論になるだけで、生産性はないし、妻子を含めて身の危険が及ぶ可能性がある、と考えた私は、短い準備期間の中で一計を案じ、東史郎ら日本人の虚言「証言者」達にスポットを当て、「これらの日本人については、中国でも有名だと思うが、実は彼らの証言はこのように皆極めて疑わしく、日本では裁判で負けている。となると、〝事件〟の全体像にも疑念が生じるがどうか?」と投げかけるにとどめ、後を受けた大塚氏が、「事実に則って、自ら検証する姿勢が重要ではないか」というスピーチで締めました。

我々は、短い準備期間(これまた、意図的に短く設定されたわけですが)の中でこれだけの準備をして臨んだわけですが、これに対する中国代表の発表は、思わず腰を抜かすような拍子抜け物の内容で、駐米大使館のサイトの内容をプリントして配り、その内容を説明しただけでした。意気込んでいた大塚氏と私は「あれはないだろう」と思わずズッコケたものです。

「日本人学生、中国人に涙の謝罪」という感動のシナリオを描いていたヴォ―ゲル一派もこれには思わずズッコケ、N氏などは、何の関係もない、自分の一族の大陸からの引き揚げ(どうもそういう過去があるようです)の逸話を紹介し、勝手に泣き出す始末。訳のわからないイベントになったのでありました。

これが、記念すべき「第一回 ハーバード日中学生対話会」です。ただし、私や大塚氏の予想どおり、中国側はケネディスクールだけでなく、近隣の大学にまで動員をかけ、大部屋に入りきらないほどの人数を集めて、こちらにプレッシャーをかけてきていたことは、申し添えておきます。

これに対するアメリカ及び各国留学生の感想としては、ご指摘にもありましたとおり、「俺の国では、今何万人と人が死んでるのに、何十年も前のことで何を言ってるんだ。馬鹿馬鹿しい。」「中国側は判で押したようなのに、日本人の中で意見の食い違いや対立があるのは面白い」などが寄せられ、共産党のプロバガンダの機会としては、失敗に終わらせることに概ね成功致しました。(これを機に、それまでは「面白いことを知っている日本人だ」という扱いだったヴォ―ゲル先生の私への態度が、途端に冷たくなりました。。。苦笑)

まぁしかし、おかげで今でも、議員会館に〝戦友〟である大塚代議士の部屋を訪ねると、温かく迎えてもらえるのは、仕事上もありがたいことです。〉


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