ハーバード見聞録(71)

「ハーバード見聞録」のいわれ
「ハーバード見聞録」は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。


散るぞ悲しき(5月21日の稿)

『散るぞ悲しき』(梯久美子著)を原案としてクリント・イーストウッド監督が硫黄島における日米の激闘の様相を映画化されつつある。

「硫黄島プロジェクト二部作」のうち、アメリカ軍側の視点から描いた『父親達の星条旗』は06年10月24日に公開され、栗林中将を中心に日本軍側から描いた『硫黄島からの手紙』は12月9に封切りになるという。公開された第一部の「父親達の星条旗」についての米国内の評判はイラクにおける苦戦の影響か、予期した程ではなかった様だ。

大東亜戦争(太平洋戦争)末期の激戦硫黄島の戦いにおいて、守備隊総司令官の栗林中将は、用意周到に大規模地下陣地を構築し、将兵を爆撃・艦砲射撃に耐えさせ、万歳突撃による玉砕を禁じ、徹底的な持久戦を行い、物資も豊富で兵力も三倍近いアメリカ軍に対して善戦し、異例の大打撃を与えた。米軍の死傷者数は2万868名(内、戦死者6821名)に達した。  

因みに、日本軍側の死傷者は2万1152名(内、戦死者2万129名、生存率5%)であった。アメリカの戦死者は日本に比べれば、はるかに少ないとは言え、第二次世界大戦で戦死した海兵隊員の内の3分の2が、この硫黄島での犠牲者であったという。

米軍はイラクにおける自爆テロに苦しんでいるが、第二次世界大戦においては日本軍の特攻攻撃に苦しんだ。特攻攻撃に代表されるように日本の陸海軍の精兵による奮戦振りは、戦線のいたるところで見られた。日本の抗戦は二発の原子爆弾によりようやく、止めを刺すことができた。もしも、原子爆弾がなかったなら、本土決戦において米軍は数知れない程の若者達の血を流す事を余儀なくされたに違いない。第二次世界大戦を通じ、米軍・米国民は日本人・国家の底知れぬ脅威・恐怖感を深刻に記憶に刻んだに違いない。

私が昨年6月からハーバード大学アジアセンターに席を置いて以来、米国の外交・安全保障問題研究者達の潜在意識の中には表現は様々だが、顕著に日本・日本人のポテンシャルの高さに対する警戒感が看取できたような気がする。

●アメリカ外交の基本戦略
国際政治アナリストの伊藤貫氏はその著「中国の『核』が世界を制す」(PHP研究所)の中でアメリカ外交の基本戦略について次のように述べている。

20世紀初頭から現在までのアメリカ外交の基本原則は、「ヨーロッパとアジアで、覇権国になりそうな国を叩く」というものである。16世紀中ごろにエリザベス女王が考えた政策と、同じ外交原則である。

アメリカが第一次世界大戦で英仏側に味方してドイツを叩いたのも、日露戦争で日本が勝利した後に秘密の対日戦争案「オレンジ・プラン」を立案したのも、第二次大戦で英仏中ソに味方して日独両国を叩いたのも、戦後の冷戦期のソ連に対して「封じ込め」政策を実行したのも、全て「米国は、ヨーロッパとアジアで覇権国となりそうな国を叩く」というバランス・オブ・パワー原則に基づいている。

1991年12月、ソ連帝国が崩壊して東西冷戦が終了すると、アメリカ政府は即座に(1992年2月)日本とドイツを今後の米国の潜在的な敵国と見なし、この両国を押さえつけておく事を意図する外交戦略案「国防政策プラン」を作成した。

このプランの内容は、翌月、「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」にリークされ、米国政府は、公式には「信頼できる同盟国」ということになっていた日独両国を再び潜在敵国視する秘密の外交戦略を作成していたことを暴露されて赤面した。

しかし、この「国防政策プラン」は、「ヨーロッパとアジアで、アメリカのライバルとなりそうな国を抑え付けておく」という外交原則に忠実なものであったから、その視点からは、「アメリカの伝統的な外交政策」と言えるものであった。

●米国の日本占領政策の延長の手段――日本国憲法と日米安保条約
第二次世界大戦で日本を撃破し、日本に進駐・占領した米国は、上記の基本戦略に基づき、日本が将来米国を脅かす覇権国とならないようにする事を占領政策の中心課題とした。この政策課題を達成するために、米国は先ず自らの手により起案した日本国憲法を占領下の吉田内閣に受け入れさせた(1946年11月)。

この新憲法に仕組んだ、日本を覇権国にさせないためのツールは「第9条」である。日本が独自の軍を持たない限り、アメリカを脅かすことにならないのは当然のことである。もっとも、その後日本政府は、マッカーサーからの要求を受け入れ警察予備隊を創設し(1950年8月)、52年には保安庁法により保安隊に改編、さらに54年には自衛隊法により自衛隊に再改編した後は、憲法を「上手に解釈」し、一定の軍備を整備してきた。

皮肉なことに、冷戦構造が崩壊し、ソ連の影響による日本共産革命の懸念がほとんど消えてしまった今日でも、日本の反米・革新勢力(日本共産党や朝日新聞などの左翼メディア)による「護憲運動」は、アメリカの日本占領政策をそのままズルズルと延長することを可能ならしめている。日本の左翼陣営は、反米を装いつつも、アメリカの占領政策の継続をサポートしているのである。

米国は日本を確実に影響下に置くために、憲法9条のみならず1952年2月に日米安保条約を締結し、日本に米軍基地を確保し、「占領軍」のレッテルを「在日米軍」に張替えて、引き続き駐留させることに成功した。

アメリカの対日政策・戦略に「瓶のフタ論」というものがある。1990年、在日米海兵隊司令官のスタックポール少将は「在日米軍は日本の軍国主義を防止するための『瓶のふた』だ」と発言した。同司令官が指摘した「瓶のふた論」を可能にする在日米軍の駐留を可能にするのが日米安保条約である。米国は、在日米軍の役割を、表向きには「日本の防衛と極東地域の平和と安定に寄与する」と言いながら、本音では、「日本の軍備増強を抑制しアメリカの脅威とならないようにする『ビンのフタ』としても期待している」――というわけだ。

このように、米国は戦後の日本占領を延長・継続する手段として、①日本国憲法(9条)、及び②日米安保条約という二本の「手綱」を日本に取り付け、今日まで日本が米国の脅威となる事を抑止してきた。その結果、日本は「ポチ」と揶揄されるほど、米国に従順な外交・安保政策をとるようになったわけだ。

●戦後日本のグランド・ストラテジー(大戦略)
米国の占領政策の延長は、米国の意向で進められたものであろうが、当時の日本政府もこれに便乗し(或いは「合わせ」という表現の方が適切かもしれない)戦後のグランド・ストラテジーを確立した。それが「吉田ドクトリン」と呼ばれるものだ。「吉田ドクトリン」とは、「独自の軍事力(自衛隊)に対する投資を節減して軽武装国家に徹し、その節減分を経済分野に投入して経済発展を重視する。軽武装(自衛隊)による安全保障上の懸念は、日米安保関係を強化し、我が国の安全保障をアメリカ・米軍に依存する」という考え方である。

明治政府発足後から第二次世界大戦敗戦までの日本のグランド・ストラテジーは「富国強兵」であった。この表現に倣えば、敗戦後のグランド・ストラテジーとなった「吉田ドクトリン」は「富国弱兵」乃至は「富国軽兵」と呼ぶべきものだ。また、当時の社会党は「非武装中立」という無謀極まりない国防政策を標榜していたが、これは、「富国無兵」――狂気の沙汰――と呼べるものだった。

●憲法改正に対する米国の懸念
米国の戦後占領を延長・継続する手段の核心となる日本国憲法の改正に関して、米国は無関心なはずがない。しかも、時恰も、中国が着々と台頭している時期にだ。米国にとって対中国戦略上最も重要な日本が憲法を改正し、新たな国策・国家運営の道を模索し始めることは、無視出来ないどころかヴァイタルな国益に関わる案件であろう。

ここハーバード大学においてさえもライシャワー・インスティテュートを中心に「憲法改正研究グループ(The Constitutional Revision in Japan Research group. REISCHAUER INSTITUTE WEBSITE」が結成され、日本の憲法改正の動向に関する情報を活発に集め、分析・研究を進めており、その関心の高さが窺われる。

小泉政権時代、総理の靖国神社参拝に対し、米国政府は平静を装っていたが、憲法改正の動向とセットで見るならば内心心穏やかではなかったはずだ。

我が国の憲法改正については、「中国や韓国のアジア諸国の理解が不可欠」との論が一般的だが、最重要でヴァイタルな国はアメリカに他ならない。憲法改正についてアメリカをどう納得させるかが遥かに重要な問題だと思う。

●米国の対日疑念・猜疑心こそ最大の脅威
国際政治アナリストの伊藤貫氏はその著「中国の『核』が世界を制す」(PHP研究所)の中で、次のように述べている。

筆者はアメリカの首都ワシントンに20年間住んでいる。米国政治の長期観察者としての正直な感想を言うと、「アメリカは、嫉妬深い。アメリカ政府には19世紀の初頭から競争相手をありとあらゆる口実をつけて叩き潰そうとする外交パターンがある」と感じる。

日本にとって最大の脅威は、実はアメリカである。日本の憲法改正について分析・評価し、「日本がアメリカの戦後占領体制・枠組みから離脱し、アメリカの国益を損なう存在になるかもしれない」という疑念・猜疑心を抱くことは、絶対に避けなければならない。

この作業は憲法改正準備と並行し、かなりの期間を要するものと思われる。安部総理が述べられた「5年程度」の期間は必要かもしれない〉

●憲法改正に伴う日米関係の焦点・問題(日本の立場から)

現行憲法を改正すると対米関係上二つの問題があると思われる。

第一にアメリカが日本の将来の動向に「アメリカのコントロールから離脱して、『先祖帰り』するかもしれないという」疑念・猜疑心を持てば、日米関係が疎遠になり、米国は日本を敵視する政策(日露戦争直後に策定された「オレンジ計画」の例)を取りかねない。このような観点から、韓国のノムヒョン政権の反米政策の行方は「他山の石」として注目に値する。

第二に、アメリカによる日本に対する際限ない安全保障上の要求に、歯止め(エクスキューズ)が出来なくなる恐れがある。従来、日本国憲法の下では、「貴国(アメリカ)が占領下で呉れた現行憲法の下ではそれ(例えば海外派兵や集団的自衛権など)は許容できない」と言い逃れが出来たが、憲法改正をすればそれが出来なくなる恐れがあり、アメリカの都合の良いように〝こき使われる恐れ〟が出てくる。

●憲法改正に伴う日米関係の焦点・問題(米国の立場から)
米国としては、上記の「日本の立場」と対を成すことではあるが、日本の新憲法にたいしては、次のような思惑(要求・願望)があるものと思われる。

第一に、日本がアメリカの脅威にならないこと。

第二に、アメリカの世界戦略の枠組みの中で、日本の国力・軍事力を最大限に利用すること。特に、台頭する中国の脅威が増大すれば、「防波堤としての日本」に一層の役割・支援を
求めてくることになろう。

●憲法改正に伴う提言(日米安全保障関係の視座から)
①    憲法改正作業と並行して行うべき事項(我が国の安全保障の観点から)として、半世紀の将来を見通してネットアセスメント(将来予測)の実施

新憲法が施行されると想定されるタイミングにおける日本を取り巻く国際環境及び国内の政治・経済・社会の状況はどうなるか。特に安全保障面から見た評価。明治憲法と現行憲法のいずれもが半世紀以上存続したことに鑑み、最小限半世紀の国内外の展望をして見ることは、無駄ではあるまい。半世紀の間に新憲法の「制度疲労」が起きない工夫が求められる。

但し、50年先を見通すことは極めて困難であるので、米国防省が実施しているように25年先までは精密に、それ以降の25年については、粗く行えばよい。

●我が国の取るべきグランドストラテジー(大戦略)の策定
制度疲労著しい「吉田ドクトリン」の見直しは必至だ。特に「軽武装」をどのように変えるのかが論点となろう。核武装・敵基地攻撃能力の保持や空母などによるパワープロジェクションの適否について分析評価することは論を待たない。この際、ネットアセスメントで評価した結果(国際情勢、及び我が国の人口構成、財政状況など)を反映することになる。

●日米の公式・非公式の対話の積み重ね
アメリカに対し堂々と本音ベースで、憲法改正の真意を伝える努力を怠ってはならない。この努力は、外務当局だけの責務ではなく(アメリカの〝メッセンジャー〟となり下った外務省の手には負えない)、特に政治・防衛当局・メディア・学会などを含む様々な分野の統合的・計画的な日米の公式・非公式の対話の積み重ねが必要ではないだろうか。

●日本は中国の「平和台頭戦略」に習うべし
国際政治アナリストの伊藤貫氏はその著「中国の『核』が世界を制す」(PHP研究所)の中で、台頭しつつある中国がアメリカから叩かれないための「平和的台頭戦略」について次のように述べている(ただし、伊藤氏の論説は習近平登場(2012年11月)以前に書かれたもの)。

中国の政治指導者と外交官は、中国の大国願望と覇権願望がアメリカの嫉妬・反感・猜疑心を招く事を十分に承知している。(中略)

この事を熟知する中国の指導者・外交官・言論人は、異口同音に、「我々には、アジアの覇権を求める意図など全くない。中国は、すべての国との平和的友好関係を望んでいる」と強調する。彼らは、「アジアで覇権国となりそうな国を叩く」という米国の外交原則の発動を避けようと試みているのである〉

伊藤氏が指摘する通り、中国は、自らの大国・覇権願望をカモフラージュするために「平和的台頭戦略」を採用している。日本もこれに習うべきだ。しかも日本の場合は中国とは異なり、何も「下心」は無い。アメリカの占領政策の延長状態から脱し、「よりマシな状態」の日米関係を構築したいというだけのことである。

●日米安全保障条約の改定
前項で述べた、「憲法改正に伴う日米関係の二つの焦点・問題(日本の立場から)」の解決策を新たな日米安全保障条約に盛り込むことが重要である。

即ち、第一に、憲法改正に際して、アメリカ側の、日本の将来の動向に対する疑念・猜疑心(アメリカのコントロールから離脱して、「先祖帰り」するかもしれない)を払拭し、確固たる日米関係の継続を謳いあげること。

第二に、日本の対米協力の限界(軍事的な質・量、行動範囲、法制など)をアメリカとの合意に基づき明記すること。

●結び
「日本国憲法と日米安保条約こそが米国による日本の占領政策の延長である」ーというメカニズムを考えれば、憲法改正に最も関心・懸念を寄せているのはアメリカである。それゆえ、憲法改正の成り行きによっては日米関係を棄損し、北東アジアに不安定要素を作る可能性があり、我が国の平和と安定を損なう可能性がある。

現在の憲法改正作業は、憲法の内容の吟味に偏しているように思われるが、日本国憲法の生い立ちに思いを致せば、我々は①対米関係を損なわないように配慮・工夫しつつ、②アメリカからの真の独立を勝ち取ること――という二つの条件を満たすことが極めて重要である事を忘れてはならないと思う。

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