見出し画像

のっぺりした街が人間くさくみえたんだ 地域の商店の可能性

高校生の頃は学校帰りに毎日2-3時間、横浜駅のショッピングビルにいた。友達といくのは稀で、一人で、ルミネやジョイナスの本屋で立ち読みしたり、CD屋で視聴したり、服をみたりする。店のディスプレイが変わればいち早く気がついた。お金もないから買わないでただ眺める。地味で孤独なウィンドウショッピングに膨大な時間を費やした。

そんな訳でショッピングビルは居場所だった。学校の授業や部活や友達とのおしゃべりは守られすぎていて白々しいときがあった。店でうろうろしているときのほうが心にフィットした。

あの頃は今よりモノに期待していたと思う。心ときめくものを手にいれて、断片のように組み合わせると、いつか理想とする「ワタシ」がみえてくるような気がした。だからショッピングに意味があった。

あれから20年たつ。二つ、強く思うことがある。

一つに、モノに対する期待が風船が割れたみたいにしぼんだこと。年を取ったせいもあるけど、モノを買うことよりも経験を求めているし、経験を手に入れやすくなった。

二つに、あの頃うろうろしていた時の感覚が、まちづくりに向かわせていること。ショッピングビルはどんなに歩いてものっぺりしている。私は永遠に名もない消費者だ。力なく降伏するしかない。人の気配を感じたい、引っかき傷でもいいから残して街と通いたい、という思いは、あの頃の反動だと思う。

その意味では、4年位、商店街で小さなお店を回す経験ができたことはヒントになった。

シャッターを開けて道を掃きコーヒーを入れ商品を手渡して地道な毎日。でも、あの期間に私は単なる弱い消費者ではなくなった。サービスを供給する側になり、仕入れ、原価率、スタッフのローテーションなど、小売店の裏側をある程度理解した。すると店を見る目が変わる。

お客さんにも育てられた。商品を奪い取っていく人はいなかった。「ありがとうね。」「この前美味しかったよ。」と一言かけていく。お客さんも売る側のスタッフを人としてみている。人同士の信頼があって商売が成り立つんだ、ということを肌で感じた。

そして関係の始め方。長居をするおばあちゃんは昼にお弁当を差し入れてくれた。商品のレシピを絵にかいて教えてくれたり、疲れた顔したスタッフに趣味のお菓子をくれたりする人もいた。みんな一期一会だけれど、少し踏み込む勇気をもって、余計なこと、おせっかいなことをすると関係が始まる。そういうことを恐れなくなった。

今、店はなくなっても商店街や個人商店にこだわって、月1回マルシェをやって粘っているのは、あの時期にサービスをする側もされる側も人間であると気づきを得て、のっぺりした街が人間くさく見えるようになったから。この経験を還元できないだろうか。

今、多くの地域のお店が「本当に厳しくなった、うちの代でおわりだよ」という。しかし、地域の個人商店がお客さんと育ちあいながら生き生きと商いをすることの現代的な価値を信じたい。そして数年でもいいから、多くの人が地域で店に立つ経験ができたら、想像力という翼を手にいれられるのではないか。そういうことができる街と仕組みを作りたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?