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「つくのつくるのマルシェ」に込められた意味

弊社で地元の商店街で3年続けた「たなぐらマルシェ」は「つくのつくるのマルシェ」へリニューアルします。新しいロゴはこちら! 名前とロゴをデザインしてくれた大隅隆雄さんと私との対談をお送りします。

「つくの」は開催している「つくの商店街」の地名です。これまでのことは前回の投稿をご覧ください。

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木村)どうしてこういう名前を思いついたんでしたっけ?

大隅)最初に「つくのつくるのプロジェクト」という言葉を思いつきました。
「マルシェ」はプロジェクトの一部です。

木村)えー、そうなんだ!なんでそんなことを思いついたのですか?

大隅)それは木村さんが言っていたことからです。商店街で店をやってみると地域のことや地域での商売がよく理解できて成長するからいろいろな人に挑戦してほしい、と言っていましたよね。僕も大学生の時から商店街に関わって若い頃は失敗もさせてもらったから「商店街で人が育つ」というのに納得しました。

木村)なるほど・・・。そんなことも言っていました。

大隅)だから「つくるの」に込めた思いは、一つに、未来の人材をつくる、という思い。もう一つは地域や商店街の人が一緒になって未来の商店街をつくる、ということですね。木村さんはマルシェだけやりたいわけじゃないと思うので、いずれプロジェクトとして広がりを出せるといいですね。

木村)目の前のことに追われがちですが、初心と大きめのビジョンを思い出せる名前ですね。ありがたい〜。ロゴの左の木は、商店街の入り口にある木ですよね?

大隅)そうですね。小さな力が集まって大きな力になる、という象徴の意味もあります。

木村)なるほど。商店街の入り口にある緑の空間も活用できたらいいです。体に感じる心地よさは大事ですよね。

木村)そして、右下のグレーの部分は「ぼてふりさん」ですよね。

大隈)そうです。商店街のあたりを昔、ぼてふりさんが通っていたと聞いたので、「過去をチラ見せ」させました。

ぼてふりさんは、江戸時代、鶴見川の河口でとれた小魚・カニ・貝やその佃煮を売りに来ていた人たち。天秤棒を担ぎ商店街のあたりを通って、高台の方へ売りに行っていた。冷蔵庫のなかった時代なので新鮮な食材を運んでくれる重要な人たちだった。その途中で拝んでいったといわれる「ぼてふり地蔵」が商店街の中程に残っている。

木村)江戸時代のあり方はヒントになりそうです。まずは、ぼてふりさんのコスプレをしてみたいです!

(対談終わり)

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私の中の大きな問いを整理すると、商店街とは誰のもの、という話があります。もちろん土地の所有者や店のオーナーのものであるのですが、同時に通りがかる人や買い物をする人の空間でもある。だからこそ、いろいろな人と力を合わせて心地よくしていきたい、と素朴に思うわけです。

また、同時に、これから「何」を売るのか、ということ。この商店街は生活品を安く売ってきた商店街ですが、ネットでの購入も増え買い物の選択肢が増える中、売り物を変えないと存続は難しい。地元の商店街において今後「何こそ」が売り物になるのか。これはずっと考えています。

そんな訳で、小さなマルシェを月1回やり続けているだけの身ですが、マルシェは関わりの入り口です。このように「商店街」を考える実践の場があることはありがたい。商店街の方々や応援して下さる方にも感謝して、ぼちぼち、やりましょう。


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